野散 NOSAN 散種 野の鍵 贈与のカオスモス ラジオ・ヴォルテール

野散 のさん  野を開く鍵 贈与のカオスモス 散種 混沌ー宇宙 想像的・歴史的なもののジャンルなき収蔵庫をめざして 

『思想の舞台 メディアヘのダイアローグ 粉川哲夫・鶴見俊輔対談 』 1985年 田畑書店

2015年08月01日 | ジャーナリズム 大森実 ・孫崎

    ▲『思想の舞台 メディアヘのダイアローグ 粉川哲夫・鶴見俊輔対談 』 1885年 田畑書店  定価1500円

 

粉川哲夫・鶴見俊輔さん対談 その1-1

 

鶴見俊輔さんの思わぬ訃報で、本が捜し出せず残念なのだが、ベ平連や、69~70年反安保の集会などで、大江健三郎さんや、小田実さんとともに、元気な顔を見せていた俊輔さん。若者の気を引くような流行思想で武装するようなまねは一切していなかったように見えたが、この本で、鶴見俊輔さん、私も若い頃は、ニューアカデミズムのようなことをしていた時がありますと、話していた。

そうか、確かに、戦後すぐは、「記号論」「プラグマチズム」だって、ニュー・アカデミズムだったんだ。

この対談、東洋大学新聞のメンバーが企画したのだが、粉川哲夫・鶴見俊輔という、異色といえば異色の組み合わせだ。

回を重ねるごとに、本好き・もの好きの二人の好奇心に満ちた対談で、相当な数の人物と本とエピソードが満載。読了すると、たくさんの味読・未読本のメモができあがる。出版は1985年で、まだ、インターネットも、ソーシャル・メディアもない頃の本なのだが、人間のコミュニケーション・ネットワークのすばらしさを堪能できる。京都は空襲から免れたので、戦前の、文化人が集う京都喫茶店文化の話しも興趣がつきない。

粉川哲夫さん、大学で70年代前半頃は、現象学の講座を持っていた。まだ哲学アカデミズムからは脱出したばかりの頃だったのか、後のパフォーマンス実験劇場化した破天荒な講義ではなく、割と、講義と質問応答を交えた講義だった。

この本で二人が対談する1980年代前半は、粉川さんは「自由ラジオ」の積極的推進者で、各地で有志たちが作った自由ラジオの立ち上げを支援していた。このブログ、ラジオ部門はないのだが、ブログ名に「ラジオ・ヴォルテール」という、自由ラジオ時代の活動の痕跡を残している。粉川さんには「自由ラジオの可能性」について講演をしてもらったことがある。今では、若い人には、アメリカ映画批評家のイメージが強いかも知れないが。

粉川さんは1970年代初頭では、講壇現象学を厳しく批判していた批判的現象学運動家という印象があった。

鶴見俊輔さんは、本の著者プロフィール欄では、ジャーナリズム史研究と記すものもあったと思う。筑摩書房で出していた、『現代日本思想大系』の編集では、12巻目の『ジャーナリズムの思想』の巻を担当しているので、「思想はどのように人びとの間で生きることができるのか」という観点を終生大事にしていたと思う。この対談でもその特徴が、随所に出てくる。

鶴見俊輔さんは戦争経験を「した世代なので、この本の中でも、戦争についての話しが出てくるのだが、その中に、『テレジンの子供たち』という本のことに触れていた。

「人間は最後、殺される時になっても劇をやって楽しむのかと思って感動した」といっていた。

また、京都の喫茶店進々堂の当主続木満那という人の戦争中の話しを語っていた。

「戦争は嫌いだが、招集が来て兵隊に入ったら、すぐに前線にやられて、・・・明日はスパイを処刑するから銃剣術を練習しろと言われた。彼はその夜悩む」

「ここでははっきり反対といって、重営倉に入るべきかどうか、一晩寝られなかったという。で最後に結論に達した。現場には出て行く。しかし殺さない。・・・」 (193頁)

ここまで読んで、つい先日、当ブログで紹介した「ゲバラの処刑を命ぜられた、ボリビアのウエルタ少尉のこと」を思い出した。以下は再録。

「ボリビア軍ホアキン・センティノアナジャ大佐にゲバラ銃殺を命じられた、ウエルタ少尉は処刑を拒否、その後、チェ暗殺の経緯を記した回想録を書いていることを、複数の者に漏らし、軍に知られることとなり

「1969年ボリビア軍はウエルタの回想録を消却し、さらにはウエルタを、ラ・パスとオルロを結ぶ幹線道路で自動車事故にみせかけて殺害した」 『チェ・ゲバラ最後の真実』 (39頁)

ウエルタ少尉は、捕らわれの身となったゲバラに強い感動を呼び覚まされ、見張りを命じられた僅かな時間の間に、ゲバラの思想に共感を示し始めていた。一度はゲバラの縄を解き、逃がそうと同僚に持ちかけている。友人たち複数の証言取材から、22歳のウエルタ少尉の煩悶が見えてくる。」

(当ブログ2015年7月18日) ここ▼

http://blog.goo.ne.jp/jfk1122zzzya/e/1b3164b118d6bfbc6fc34571c6f76a85

 

京都の喫茶店進々堂の当主続木満那の戦争中の話しなのだが、殺せと軍に命じられても、私は殺さないと判断することができる日本人もいたのだ。

ゲバラとのほんの僅かな時間の触れ合いでも、ゲバラの目に射抜かれ、自分の判断で、ゲバラ銃殺を拒んだ22歳のウエルタ少尉。

借りものでない自分を支える個人思想というもの、リベラリズムの核心を鶴見俊輔さんに学ばせてもらった。

 

 

▲▼ 『思想の舞台』 目次

▲▼『思想の舞台』 目次

 

▲『思想の舞台』 目次3

 

 

つづく

 



最新の画像もっと見る