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2018年11月21日のインド アンダマン諸島の記事のこと

2020年08月09日 | 蝦夷からヤポネシアから 帰属しないものから見えるもの

 ▲ 2004年 インドネシアで起きたスマトラ島沖大地震の後、被害状況を調査するインド沿岸警備隊のヘリコプターに向かって弓矢で威嚇する北センチネル島の先住民(インド・アンダマン・ニコバル諸島・北センチネル島)

 

2018年11月21日のインド アンダマン諸島の記事のこと

 

2018年11月21日のインド アンダマン諸島で起きた事件記事のことが、なぜか気になっていたのだが、正確な記事の日時を忘れてしまい、元記事を探すのに手間取ったのだが、ようやく探し出せた。

例年8月に入ると、戦後○○年の、特集記事・番組が目立ち、どのTVでも新聞でも気合を入れているようなのだが、なぜか編集者・関係者には申し訳ないが、最近では視聴したり記事を精読しようという気持ちが湧き上がってこない。早寝して早朝に目が覚めた時には、テレビや新聞の誘惑から脱出して、お気に入りの本やコピー資料などを近くの公園内の東屋に運び緑陰読書している。

5年ほど前から友人たちと月一回、例会・読書会というか、それぞれが読んで気になった本のこと、ニュース・コラム記事などを持ち寄り、コピー資料などの配布を手がかりにコーヒーを飲みながら雑談するのである。

2018年の11月26日に私が拾って報告した記事は以下簡略に記すとこういうものだった。

「11月21日AFP 世界で最も孤立した地域の一つ、インド東部アンダマン諸島の島を訪れた米国人旅行者が、保護政策の対象となっている先住民に弓矢で射られて死亡した。」

「21日の現地警察発表によると、死亡したのは、27歳のジョン・チャウ(John Chau)さん。チャウさんは地元漁民に金銭を払って船に同乗。外界と完全に接触を断った先住民たちが暮らす北センチネル島に近づき、さらに1人ででカヌーを使って進んだ。だが、当局筋がAFPに語ったところによると、チャウさんが島に上陸した途端、その身に矢が降り注いだ。」

「インド洋に浮かぶ同諸島に住む複数の先住民に接触することは、独自の生活様式の保護、および疫病対策の観点から禁止されている。ただ規制区域の一部では立ち入りが認められており、チャウさんも同諸島への入境許可を含む観光ビザを持ち、最近数回、同諸島を訪れていた。それでも、北センチネル島から半径5キロ以内への立ち入りは違法とされている。」

「当局筋によると、チャウさんは11月14日に島への到達を試みたが、成功せず、その2日後に準備を整え、途中で小舟を降りて、1人でカヌーの乗って島へ出発。「チャウさんは矢で襲われた後も歩き続けた。また漁師たちは先住民らがチャウさんの首に縄を巻き付け、体を引きずっていくのを目撃した」という。怖くなった漁師たちはその場から逃げ出したが、翌朝戻って海岸でチャウさんの遺体を発見した。」

その時は、ほかの例会での報告資料もあり、2018年のインド・アンダマン諸島で起きた事件については、簡単な話で終わったのだが、最近もう一度、関連の記事がないか調べてみたのである。

すると、これに関連する興味深い記事が二、三見つかったので記してみる。

一つは、2018年の事件後、インドの女性人類学者へのインタビュー記事

 

▲1991年、インドの先住民調査にインド人類学者に交じり、女性も参加していた。

2018年11月21日、中国系米国人が北センチネル島に上陸したところ、弓矢を持った先住民によって拒絶され、なおも歩みを続けた青年は殺害された。

その直後、かつて、北センチネル島に調査に訪れたことのあるインド女性人類学者がインタビューを受けた際の記事がインターネットに残っていた。あとで紹介するが、その前にウィキの日本語版の「北センチネル島」の項目にも、同様な記事があるので下に紹介する。

「唯一の友好的な接触」

1991年インド国立人類学研究所英語版 (AnSI) の人類学者を含むチームが2度にわたり住人と接触した[14]。2018年時点で唯一の「友好的な接触」とされる[14]

チームに参加していたAnSIの研究員マドゥマラ・チャトパディヤエ英語版によれば、1991年1月におこなわれた1度目の訪問では、弓を携えた住人たちに出迎えられたものの、チームがボートから彼らに向けて流したココナッツを回収した。弓矢を構えた若い男性の住人もいたが、ココナッツを受け取りに来るよう(アンダマン諸島の他の民族の言語で)呼びかけところ、隣にいた女性に促されて矢を降ろし、ココナッツを拾った。何人かの男性はボートを触りに来、またチームは砂浜に上陸した。ただし住人たちが村にチームを案内することはなかった[14]

1か月後、より多くの人数のチームで島を訪問したところ、住人たちは武器を携えずに出迎えた。チームが浮かべたココナッツが受け取られ、住人たちはやがて船に上がり込んでココナッツを袋ごと持って行った。一方で彼らの装身具(葉でできたもの)を手に取ることは拒絶された[14]。その数か月後、3度目の訪問が実施されたが、悪天候のために砂浜に住人は出ておらず、接触は失敗した[14]。」

これに対する事件後のマドゥマラ・チャトパディヤエ

への記事には、やしの実の贈り物を渡した後、緊張関係がゆるむように、女性の機転により、弓矢を持つ青年の母親に目配せをして、武器を下げさせたようだ。

長期間外界との接触なしに暮らしてきた先住民は、外国人が持ち込むウィルスには完全無防備であるだろう。インド政府は、1990年代初頭の調査の後、北センチネル島の海岸から5キロまでの立ち入りを禁止している。現在論議されている「先住民の非接触の権利の承認」というものでもあるだろう。

しかし、自称冒険野郎の青年はどこにでもいる。

 

 ▲インド人類学調査の際のヤシの実の贈り物を受け取る先住民 1991年

 ▼ やがて、うち解けた先住民の母親は、インド人女性人類学者を受け入れた。

 

▼先住民の子供が、贈り物のバナナを運んでいる。インド人女性の首には、贈られた首飾りが見える。貝をつないだものなのだろうか。

 ▼ インド・アンダマン諸島・北センチネル島の位置

▲インド・アンダマン諸島・北センチネル島の位置

 

▲北センチネル島の先住民は、出アフリカから、どこを経由してこの島にたどり着いたのだろうか?!

 

 

▲2004年のスマトラ島沖地震は、インド洋、アフリカ東海岸まで津波は達し甚大な被害を与えた。インド・アンダマン諸島でも多くの死者が出たようだ。北センチネル島は1990年代約100人の先住民がいたとされるが、2011年の調査では約40人ほどの集団にまで減少していると推定されている。

地震・津波の後、北センチネル島は隆起し、島の周囲のサンゴ礁は壊滅し海産資源の変化は著しい。北センチネル島の先住民の減少はこの影響もあるかも知れない。

1880年、北センチネル島が、インド植民地統治する英国人探検家に6人ほどアンダマン諸島に連れていかれたことがあり、そのうちの2人が死んだことがあり、残りは島に返されたそうだが、北センチネル島の先住民はそれ以来厳しく外界との接触を拒んでしまったとも考えられる。

 

▲NASA による北センチネル島

 

2018年11月、この島に中国系米国人が北センチネル島に上陸。青年に対し先住民が弓矢を持ちその歩みを制止する威嚇にかかわらず歩みを止めず青年は弓を放たれた。

 

▲ 1991年頃 インド・北センチネル島で浜辺から贈り物のバナナを運ぶ少女。2004年のスマトラ沖地震・津波を生き延びているのだろうか?

 

追記 以下は ナショナルジオグラフィック記事 より引用

「自称「冒険家」の米国人宣教師ジョン・アレン・チャウ氏は、センチネル族の人々をキリスト教に改宗させるために北センチネル島に出発したと伝える。

今回殺害されたチャウ氏は、最初に上陸を試みた11月15日の体験を日誌に記していた。

 彼はまず、防水加工された聖書を高く掲げた。すると、島から矢が飛んできて聖書を貫通したという。さらに2人の男性が弓に矢をつがえるのが見えたので、チャウ氏は慌ててカヤックを漕いで退却した。彼は漁師たちに約350ドルを支払って島の近くまで送ってもらい、海上で待機してもらっていた。

チャウ氏は日誌に、北センチネル島の人々は「サタンの最後の砦」なのだろうかと記し、「彼らはなぜ、こんなにも身構え、敵意をむき出しにするのだろう?」と、自分が歓迎されなかったことに失望していた。」

 

チャウ氏は 2018年の ダーウィン賞 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E8%B3%9E#cite_note-47

すなわち

ダーウィン賞(ダーウィンしょう、: Darwin Awards)は、進化論者であるチャールズ・ダーウィンにちなんで名づけられた皮肉の「名誉」であり、愚かな行為により死亡する、もしくは生殖能力を無くすことによって自らの劣った遺伝子を抹消し、人類の進化に貢献した人に贈られる賞である。なお、優れた業績を挙げた生物学者に授与されるダーウィン・メダルとは全く関係が無い。

https://darwinawards.com/darwin/darwin2018-13.html

インド政府が、人口僅かな北センチネル島の先住民に対して先住民保護のため接触を禁じている島に対して

「サタンの最期の砦」なのかと日記に記すチャウ氏の背後にある キリスト教超原理主義に戦慄を覚える。

太陽・海・山・川・草木・生命悉皆 すべて贈与の恵みを生きている北センチネル島先住民

に対してこれほどまでに攻撃する姿勢は、それ自身の思想・身体が愚かなサタニズムに心髄まで侵されていることを証明しているようでもある。

2018年 ダーウィン賞

受賞理由

外部との接触を拒む先住民の島に一方的に立ち入り、殺害された自称宣教師の男性

 

続く


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