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『現代思想』2015年8月 上野千鶴子・高橋源一郎対談が痛快至極

2015年07月29日 | ジャーナリズム 大森実 ・孫崎

                    ▲『現代思想』2015年8月 青土社 1300円+税=1404円

 

『現代思想』2015年8月 上野千鶴子・高橋源一郎 ー戦後70年の上半身と下半身対談が痛快至極


『現代思想』は8月号は戦後70年特集 どこも8月は、「戦後70年」の特集なのか、現代思想くらいは、「敗戦後70年」と銘打って欲しかったのだが。

特集以外の記事でぐいぐいと引き込まれたのは上野千鶴子と高橋源一郎の対談
これは、2015年6月22日にリブロ池袋本店(会場は池袋コミュニティ・カレッジ)で行われたトーク・イベントの再構成の収録。

面白い対談の中から、ちょっとだけ、ピック・アップ。

上野 「対幻想は男の妄想だったと思います。その男の妄想の舞台に女が乗ってあげたということだったと思います。歴史的に見れば、恋愛というものが思想として入ってきたのは、明治からです。・・・・「新しい女」より先に「新しい男」が登場し、その新しい男たちが、「オレの恋愛の対象になるにふさわしい新しい女はどこにいるんだ?」と嘆いていたところに、「それは私です」と登場したのが「青鞜」の女たちだった。・・・・・なぜ参入したかといったら、あの当時、「青鞜」の女たちにとって「恋愛」はすごく大きな主題でした。圧倒的に男女と対等になれるたった一つの土俵だったからです。あの頃は、性と愛はセットでしたが、戦後70年、性と愛のパッケージが切れました。」

高橋 「上野さんがおっしゃったように、新しい「恋愛」という概念がまず入ってきて、それを男が受け入れて現実に適用するために女を探したということは、僕も『日本文学盛衰史』のなかで書きました。・・・・ところで、そもそもなぜ僕がここにいるのか、『ぼくらの民主主義なんだぜ』のような本を作家がなぜ書かなければならないのかということを考えてみました。『日本文学盛衰史』も、よく考えれば、半分小説で半分評論のように見えます。しかも文学評論というより、ある種社会学的な評論を目指しました。それは、僕のなかに「文学」に純化しようとすることに抵抗するものがあるのだと思います。」

『朝日新聞』の「論壇時評」を2011年4月から始めたわけですが、その仕事を依頼されたとき一つは「もうかつてのような『論壇時評』は不可能だから新しいものをやってください」という依頼があったのです。・・・」

上野 「日本では作家が文明批評をやるという伝統がありますね。・・・・・今「論壇時評」史上最長不倒記録をつくりつつある歴史的人物にになりつつあるのですから。」

高橋 「歴史的かどうかはともかく、僕も本当に運命的だなと思っています。『思想をかたちにする』のなかで、小熊さんがとてもいいことをおっしゃっていますね。上野さんがやられてきたことというのは、単なる研究ではなくそのその時代のトピックと同伴することだと。」

上野 「時代と寝た」と言ってもいいのよ」

(会場笑い)

この後も会場爆笑の渦に巻き込みながらの対談は、佳境に入っていく。

上野 「高橋さんが「論壇時評」を引き受けてからの4年間というもの、日本ががあまりに正しくなくなりすぎたというか、あまりに破廉恥になりすぎた。時代がまともだったらそれをおちょくったりシニカルに距離を置いたりいろいろな芸ができますが、その芸をする余裕もないくらい時代が本当におかしくなってしまいましたので、書き手が倫理的にならざるを得ないという追い込まれ方が、この4年間にありましたね。」

高橋 「いくらなんでもそれはないだろうということが続けておこりましたからね。」

上野 「そうですね。まさかここまでになるとは思いませんでしたからね。」

橋 「今は安保法制、少し前は特定秘密保護法案、派遣法改正、就活の問題がありました。毎月のように一年に一回あるかないかというような事件が立て続けにおきています。」

 ・・・・・・・

高橋 「論壇時評(6月25日)では、古代アテナイの民主主義について書いたのですが、安倍さんのふるまいは古代アテナイ民主主義以前なんです。それ以前には民主主義はなかったわけですから、今は民主主義の前の段階に戻そうとしているということです。さすがにここまでやった内閣はありませんでした。」

「これについて一面よいことだと思っているのは、もう原理的な話をすればいいという段階に入ったことです。例えば「法とは何か」とか、「どうして憲法が必要なのか」とか、「どうして首相が決めてはいけないのか」とか。ある意味でわかりやすい

 

 

▲▼ 『現代思想』2015年8月号 目次

上野千鶴子と高橋源一郎の特別対談ほかに、討議が二つ。これも、見逃せない出来。ふだんは、『現代思想』を読まない、買わない人も今月は買いですぞ!

なによりだめな日本になるのを目前にして、このまま、「私は政治家じゃないし、知らない」と言い逃れできないほど、日本の対米従属化の全貌が明確になってきた。アメリカは、公務員(軍隊の費用も、戦争遂行予算も含む)の予算も賄えないほど衰退しているのに、(それ故にと言うべきかもしれないが)戦争の一部を日本に代替させようとしている。

団塊の世代である上野千鶴子と、それに限りなく近い1951年生まれの高橋源一郎の態度にはただならぬ決意が読み取れる。ここで、団塊の世代、●共闘の時代の人びとは、体の一部が私利私欲の塊になり果てた今の老人生活から脱して、第2次世界大戦でアジアで死んだ数千万の人びとに、もう戦争はしないと決意した団塊の世代の親たち日本人の祈りと決意を思い出すべきだ。団塊の世代は、このまま現代の日本史から退場してはならない。はずだ。

 

 

高橋 「実はここ十数年、僕のなかで、大きく変わったことが、あります。それは鶴見俊輔さんを発見したことです。もちろん鶴見俊輔さんが書かれたものはずっと読んできました。けれど、僕の中では数ある思想家の一人にしかすぎませんでした。ご存知のように、鶴見さんが、小田実と「べ平連」をやっていらしたときも、「そういうやり方もあるんだね」みたいな感じでした。僕とは遠い人物として見てきたのです。しかし、「論壇時評」を書くようになって、鶴見さんが書くものがほんとうに身に沁みてわかるようになったのです。彼の世界への接し方と、そして、目の前に起こる問題の解き方、対処の仕方はとても柔らかいですよね。・・・・・・吉本さんも鶴見さんも、彼らの仕事としては、世界を解釈する、ただそれだけをやってきた。ただ、これからやってくる人たちのための視点を失っていないのです。そういう責務として僕たちの仕事もあるというふうに、今はすんなりと落ちています。」

・・・・・・・

上野 「よくぞ言ってくださいました。どんな主義主張にもよらず、自分のことばで考え抜いた人ですから。「リベラル」というのは鶴見さんのためにあるような言葉です。何か困った出来事が起きると、「鶴見さんはこういうときにどんな対処をするだろうか」「何を言うだろうか」と思わずにはいられない人です。そういう人が自分と同時代人に生きていてくれてありがとうという気持ちがあります。そういうふうに高橋さんもなりつつあるのかしら。」

 ・・・・・・・・・

上野 「私は実は京都大学の哲学科卒業なんです。哲学科社会学専攻なんです。もともと社会学は社会哲学から生まれていますから。そういう意味では、人文学の素養なくして経済学も法学もやってはいけないのです。」

高橋 「でも今はそういうことを言っている人は粛清されますからね。」

(笑い)

上野 「歯向かうと、助成金減額されますしね。」

高橋 「京都大学は大丈夫ですか?今の総長は大丈夫のようですけど。」

上野 「マルチン・ニーメラーという、ナチスが台頭したときに抵抗しれなかった教会の牧師が、ナチス政権が倒れた後で痛恨の思いで過去をふりかえった文章が残されています。ナチが最初共産主義者を攻撃したときには自分に関係ないと思っていた、ナチが性的少数者を迫害したときも自分に関係ないと思っていた。そのうちナチが学校や新聞を攻撃し始めたときも自分には関係ないと思っていた。それからいよいよナチが教会を攻撃し始めたとき、自分は、立ちあがろうとしたが、手遅れだった、と。最後の教会の直前が、学校とメディアなんです。その学校とメディアが今攻撃の対象になっています。・・・・・」

・・・・・・・

上野 「この前、京大の山極寿一さんとお会いして、文科省から君が代日の丸について締め付けがきましたね。京大はどうするんですか?・・・・・・・京大は、反権力のシンボルなんだから、ここが落ちたらもうアウトでっせ。みんな見てますさかいにな」と言ってきました。」

(会場拍手)

 

そろそろ、『現代思想』誌では、現代思想家としての高橋源一郎特集を組んでほしいのだが、おっと、それより前に、『現代思想』誌は、きちんと反省をして、鶴見俊輔や小田実の特集を本格的に取り組んで欲しいところだ。フランス思想を追いかけているうち、思想の根幹・今を生きる日本の現代思想に鈍感になってしまっていたのじゃないだろうか。2011年の震災以降、『現代思想』は少し変わってきてはいるが、まだ、学問・思想の取り扱いや在り方に、旧態依然とした舶来思想をありがたがるにおいがするんだよね。鶴見俊輔や小田実を思想営為として認めたがらない編集方針があるのだろうか?

今、陰謀工作によって、北朝鮮や中国に対して偽旗作戦をどこかのある国が行い、文字通り水面下で何らかの工作が行われれば、「友好国が攻撃された」 と、たちまち、「我が国は危殆に陥り」、「我が国存亡の危機」は演出できる。国民や、メディアが、全く観察、チェックできないところで、起きている事態の情報を誰が分析し、誰が総合判断するのか?安倍総理が、総合的判断する?

知らぬ間に自衛隊高官が、国家安全保障会議に参加して、国民が関知できないところで、国際政治に軍事面から深く関与できる体制になったのも、政治の軍事化の切れ目のない隠された計画の一環だったと言える。国民から選出されていない議員でもない一自衛官が、政府外交に深い影響を与える地位を獲得しているのである。

「それみたことか」 「安保法制は必要なのが証明された」 ・・・・・

戦争は戦争したいものたちの偽旗作戦からはじめられることが極めて多いことは、過去の歴史を見れば明らかなはずである。

6月22日に行われた上野千鶴子と高橋源一郎の対談で、互いに明らかにしたことであるが、『朝日新聞』は、痩せても枯れても800万部発行の全国紙である。鶴見俊輔の評価も、上野千鶴子が、追悼記事を書いている。高橋源一郎には今後も核心を衝く「論壇時評」を継続してもらいたいものである。

対談の最後のあたりで、高橋源一郎は、安倍政権の全体主義的政策決定について「危機こそチャンス」と言っているが、上野は、「高橋さん、けっこう脳天気ですね」 (会場笑い)と言っている。

希望や、楽観は決して捨ててはならないが、21世紀は、毎年のように世界中あらゆるところで陰謀工作が行われていることが明々白々なのである。ウクライナが、右翼ファシストによってクーデターが行われたのだが、世界中のメディアは見て見ぬふりをしている。今人口5000万近い国が、民族ファシストの政権参画による威嚇を受けて国家破綻の極に達しているのだが、ロシアやその友好国を除いて、その情報は抹殺されている。

希望や、楽観は、生きる糧でもある。これを捨てるわけにはいかないが、陰謀工作という偽旗作戦にはくれぐれも、監視と注意を怠ってはならないと思う。

ナチス・ヒトラーは、ドイツ国会議事堂を炎上させ、共産党籍のある外国人浮浪者に罪をかぶせ、共産党非合法化に始まる一連のファシズムの諸政策に着手している。

「安保法制」が、国民の批判の前で立ち往生しつつある時、今一番警戒しておかなければならないのは、偽旗作戦による国家安全の危機の演出ではないだろうか。

 

 7月31日 国会デモへの上野千鶴子さんのメッセージはここ

 https://www.youtube.com/watch?v=dyXPGQN6X7o&feature=player_embedded

 

 つづく

 



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