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本日の到着便 西田長壽 『日本ジャーナリズム史研究』 1989 みすず書房

2015年05月17日 | ジャーナリズム 大森実 ・孫崎

            ▲ 西田長壽 『日本ジャーナリズム史研究』 1989 みすず書房 定価8500+税

 

 

本日の到着便 西田長壽 『日本ジャーナリズム史研究』1989 みすず書房

 

1980年代後半、岩波書店から土佐の自由民権家・ジャーナリストの馬場辰猪の全集が刊行された時、全集を購入していたのだが、馬場辰猪の足跡が、土佐、長崎、東京、英国、米国と多岐にわたり、全集でまとめられた解説など以外の馬場辰猪に関する評伝も数すくなく、長い間手をつけていなかった。

馬場辰猪全集の解説にもあったのだが、馬場辰猪についての評伝や論考が極めて少ない中で、西田長壽の著書『日本ジャーナリズム史研究』 1989 に馬場辰猪についての論文が含まれていること、明治ジャーナリズム研究の参考文献にあげられていたこともあって購入リストにはメモしていたのだが、このほど廉価で購入できる古書店を発見。

全集刊行の1年後ほどで、この本は出版されたのだが、定価8500円となかなかの価格で、即購入にいたらず、なんと購入まで30年近い年月を要してしまった。

この本の各論考の執筆年月を見てみると、古いものは、1937年のものもあり、最新のものは1970年だから、かなり長期にわたる論が収載されている。調査に多くの時間を割く必要のある論文も多く、30年ほどの時間軸は、研究者には短すぎるほどかも知れない。

ジャーナリズムの歴史には興味があり、現役時代に、近代のジャーナリズムの勃興期の動きを追ってみたかったが、それはかなわず、数十年後の今となってしまったが。

さっそく西田長壽の「馬場辰猪」 を一読する。長い間、戦後入手できる馬場辰猪の研究では唯一の論といわれ、萩原延壽の『馬場辰猪』が刊行されるまでは、この研究のみだったようだ。

頁数にして47頁なのだが、土佐藩に仕えた生い立ちから、英国留学の勉学、自由党時代、板垣退助による自由党除名と、その後フィラデルフィアの死まで、東大法学部の明治新聞雑誌文庫に長年勤務した経歴をもつだけあって、資料の丹念な収集とその分析は、馬場辰猪全集刊行以後の世代にあっても、馬場辰猪研究の「基本文献」となることは間違いないと思われる。

 

明治政府と、厳しく対立した馬場辰猪のような直情的・情熱的自由民権家はどう生きたか。

英国での長い勉学と研鑽を重ね、英国留学する後輩たちの英語指導にもあたったが、帰国した留学生が藩閥政府の要職につくやいなや、理想をかなぐり捨て権力の階段を上り詰めるひとびと。

理想一本の直情的な馬場辰猪はその後の自由闊達な表現活動を徹底的に弾圧されていく。

明治前期、政府がつくった出版、表現活動に対して作られた弾圧法令

新聞紙条例 出版条例  讒謗律  集会条例・演説条例

馬場辰猪は、遺稿となった『日本の政治状態』 1888で、日本の言論弾圧を以下のように記している。

「演説が二千年前のギリシャ、ローマの政府の問題に関するものであっても、日本の政府は政治的演説であるとみなした。単純に学術的問題に関する講演さえも、政治的演説と見なされ、その講演は政治的演説として処理された。・・・・・わたくし自身「最早専制政府は存在し得ず。ルイ十六世治下のフランス政府は専制政府であった。それ故に不幸な最後を遂げた」といっただけで、この条による罪を科せられ六か月間演説を禁じられた。この発言は理性的な人ならば誰でも認めねばならない自明の真理に思われる。しかし、臨検の警官は、治安を妨害する弁とし、その演説会を解散させた。現在の日本政府は、ヨーロッパ諸強国の信用を得ようと外観上の変化を示すことに懸命である。しかし人民大衆の啓発のために最も重要な政策である言論集会の自由の権利を尊重しない政府に対しては、いかなる文明政府も多くの信頼を置くとはわたしくしは思わない。」   (『馬場辰猪全集』第3巻 8頁)

「弁士が、その演説に「専制」(Despotic)という語を用いることを許さなかった。」

(『馬場辰猪全集』第3巻 8頁)

「人民が警官にちょっとした戯談を言った場合でも、言った当人は、『官吏侮辱の罪』という罪で罰せられた。たとえば、かつて、東北地方のある村祭りに、大勢のひとが集まり、そこへ三人の巡査がきたとき、、村娘の一人が、『巡査が三匹』と言ったためにその娘は、一年間監獄に入れられた。またあるところで、一婦人が「死んで仕舞おか巡査になろか」と歌ったために『官吏侮辱の罪』で六か月間監獄に入れられた。」 

(『馬場辰猪全集』第3巻 8頁ー9頁)

明治初期の激しい対立の末、帝国憲法へ至る前にはやくも藩閥政府寡頭政治と化した後、それに同意しないものたちは、どこへ向かったか。?

 

西田長壽 『日本ジャーナリズム史研究』 1989 みすず書房

の目次は以下の通り

 

目次

第1部(明治初期新聞史概説
明治初期の新聞社の株式組織に就て
明治11年‐同14年の新聞界
『東洋自由新聞』
『内外政党事情』に就て―改進党の1機関として
筆禍に現われた大小新聞の性質―明治11年に於ける子安峻
『遐迩新聞』発行に関する若干の資料 ほか


第2部(明治前期政党関係新聞紙経営史料集)

第3部(明治初期の売笑政策
海外における日本売笑婦について―明治20年代の状態
『明治前期労働事情・都市下層社会』解題
横山源之助著『日本之下層社会』の成立―その書史的考証
横山源之助の資料補遺
『明治前期の都市下層社会』解説
馬場辰猪
横山源之助)

 

 

  

▲ 『馬場辰猪全集』 全4巻 1987ー1988年  岩波書店 

 

 

 

▲萩原延寿 『馬場辰猪』 1995年 中央公論社 中公文庫 本体 893円

元版は1967年 12月 中央公論社

 

▲ 萩原延寿 『馬場辰猪』 目次

馬場辰猪は、故郷土佐を後にした後、その短い生を、さまざまな地で修学・活動の足跡を残しているので、この著作、文献案内、解説もそれにふさわしく、国際的である。

馬場の活動の地が、日本・英国・アメリカとわたり、資料・情報収集も困難なためか、留学、あるいはジャーナリズム専門の研究者などに研究が限られるのか、その後の馬場辰猪研究の成果は全集刊行に参集した人々やその周辺になっているのはいたしかないのだろう、か。

それとも、私が知らないだけで、馬場辰猪の研究は活況を呈しているのだろうか。

馬場は英国での「精神の在り方において「近代」を呼吸しすぎたのか、海外経験を共有しない自由民権家と馬場との意思疎通が失われていく。のが、なんともやりきれない。

中江兆民、福沢諭吉も馬場の死に直面して、馬場辰猪の大志の大きさを回想をしているのだが、深刻な冗談の言える宮武外骨のような、転戦を促す友がいなかったのか悔やまれるなぁ。

中江兆民や、馬場辰猪が活動した時代、以下のような、言論・ジャーナリズム・出版。表現活動に対する条例があった。西欧の思潮の輸入勧奨導入から、統制強化まで、ほんの僅かの時間で、専制化していく。 下の法令参照 下記の本405頁~450頁に法令が収載されている。

▼ 『日本近代思想大系 言論とメディア』 V言論・出版・集会関係法令 法令目次 405頁

 

 

▲ 『日本近代思想大系 言論とメディア』 1990年 岩波書店 定価4757円+税

明治前半期の時代の画期をなす、言論とメディア関係の論考や資料、法令収載。

巻末に

松本三之介 「新聞の誕生と政論の構造」

山室 信一  「国民国家形成期の言論とメディア」

の二つの明治期の言論・メディアに関する解説が、資料を俯瞰する。

岩波のこの『日本近代思想大系』 全23巻+別巻(総目次・資料目録)は、この時期の資料集成として、明治文化全集、明治文学全集と並んで重要な出版文化の達成であったと思う。

 

ふとしたことから東洋のルソー・中江兆民の 『三酔人経綸問答』を読み、酔いはじめ、はしごすることになってしまったようだ。

中江兆民山脈は、果てしがない。

 

続く

 

 

 



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