脳内出血と心筋梗塞との共生

脳内出血の発症から13年ちょっと経ち、リハビリ等でいろいろ工夫してなんとか右半身麻痺と、心筋梗塞とも共生を図っています。

4/17パワーリハビリ(*^_^*)

2015年04月17日 21時07分49秒 | Weblog








4/17パワーリハビリ(*^_^*)

おはようございます(*^_^*)
今日も、また、元気に楽しいパワーリハビリだ‼
今日も一日、この様に楽しくパワーリハビリが出来ることは、感謝であり、喜びである☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.☆

今日は、久しぶりに気候が不安定で、全般的に雲が多く、午前中からは少し雨がポツット降るが、日中は晴れ間が出る。日中の気温は平穏並みである~(笑)(*^_^*)
気温は、18-7度である(*^_^*)

今日も、リハビリ(パワーリハビり、理学療法士、物療)で、スタッフ/友人との大バカ笑い、と気もちの良いお風呂、にはいって、大いに、今日一日、一瞬一瞬を楽しもう^_^;
10時から、夕方四時半までだ(*^_^*)

今日のリハビリは、またお風呂から入り、パワーリハビリは今は、ソケイヘルニアの手術がほとんど治り、しっかり行い、理学療法士のマッサージ、物療、等の順番で行う。最近、かなりお腹に力が入るようになり、P-Walk以外のパワーリハビリがほとんど出来るようになった~(*^_^*)

①風呂での気持ち良い筋肉のほぐし
②仲間、スタッフとの大笑いによるコミュニケーション
③パワーリハビリは上肢、下肢を使ったフルの機種を用い、理学療法士による右半身麻痺及び左健康な脚への充分な筋肉への刺激、
等身体によい、三種類のトータルバランスがとれたリハビリを行う(*^_^*)

🔷今、東京で、サントリー美術館に於いて、下記の三百年前に描かれた日本画の展覧会が開催されている~(笑)(*^_^*)
『生誕三百年 同い年の天才絵師 』
(伊藤若冲と与謝蕪村)
会期:2015年3月18日(水)~5月10日(日)

僕はあまりうまくないが、水墨画が前から非常に大好きである(*^_^*)
脳内出血になり、左手しか使えなくなったので、以前趣味で、左手で水墨画をユーキャンで、一年間学んだことがあったが、今は頓挫している~(´・_・`)
でも、あの筆のタッチは、前からすごく気持ちがよく、”花燃ゆ“での吉田松陰等の筆づかいらは、流れる如く書かれており、ほんとに自然で、気持ちが良い感じがする~(笑)(*^_^*)

🔷伊藤若冲をご存知ですか? 彼は18世紀初頭、京都の青物問屋に生まれた異色の画家。近年、その誰にも真似のできない画風が注目され、人気を読んでいます~(笑)(*^_^*)
また、伊藤若冲のカラーの繊細な花鳥は、すごく細かなタッチで、描かれ天才を欲しいままにしている~(笑)(*^_^*)
与謝蕪村は、山水図や、俳句と絵が響き合う俳画など、水墨画がすばらしい~(笑)(*^_^*)

この違った個性の比較が 、出来るのは、やはり東京の場所なのかな~(笑)(*^_^*)
大阪や地方にも、来て欲しいな~(笑)(*^_^*)

🔷若冲と蕪村が生きていた、正徳6年(1716)は、尾形光琳(おがたこうりん)が亡くなり、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)と与謝蕪村(よさぶそん)というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました~(笑)(*^_^*)

🔷伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します~(笑)(*^_^*)
また、その人生も独特です。若冲は家業の青物問屋を継いでいたものの、小さい頃から絵が好きで好きでたまらず、40歳になってお店を弟に譲って絵の世界へ入りました。
あまりに絵が好きすぎて、家からほとんど出ずに、縁側に放し飼いにした鶏をスケッチし続けていたという逸話があるほど。つい最近まで「オタクの元祖は若冲では?」と言われていました(近年の研究で、地元商店街存亡の危機に立ち上がり、市民運動を率先して行っていたなど、実はけっこうアクティブな一面を持っていることも判明しています)
若冲が異色と呼ばれているその理由、それは、その画風と人生が独特であったから~(笑)(*^_^*)
羽の先まで緻密に描き込んだ鶏や、葉先の虫食いまで執拗に描きこんだ植物たちなど、見る人を圧倒させる画力を持つ若冲。その一方で、野菜を擬人化させた絵や、のんびりかわいらしい人形の絵など、ユーモラスな絵もたくさん描いています。
さらには、西洋画を彷彿とさせるようなモザイク風の絵や、版画、石像などさまざまな分野にもチャレンジ。加えて障壁画(しょうへきが、襖や壁など、日本建築の室内に描かれた絵のこと)や絵を熱心にお寺に寄進するなど、絵にまつわる「ひきだし」と「バイタリティ」の多さは驚くべきもの。

🔷一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました~(笑)(*^_^*)
20歳の頃、江戸に下り、早野巴人(はやの はじん〔夜半亭宋阿(やはんてい そうあ)〕)に師事し俳諧を学ぶ。日本橋石町「時の鐘」辺の師の寓居に住まいした。このときは宰鳥と号していた。俳諧の祖・松永貞徳から始まり、俳句を作ることへの強い憧れを見る。しかし江戸の俳壇は低俗化していた。

寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、敬い慕う松尾芭蕉の行脚生活に憧れてその足跡を辿り、僧の姿に身を変えて東北地方を周遊した。絵を宿代の代わりに置いて旅をする。それは、40歳を超えて花開く蕪村の修行時代だった。その際の手記で寛保4年(1744年)に雁宕の娘婿で下野国宇都宮(栃木県宇都宮市)の佐藤露鳩(さとう ろきゅう)宅に居寓した際に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で初めて蕪村を号した。

その後、丹後、讃岐などを歴遊し42歳の頃京都に居を構えた。この頃与謝を名乗るようになる。母親が丹後与謝の出身だから名乗ったという説もあるが定かではない。45歳頃に結婚し一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には夜半亭二世に推戴されている~(笑)(*^_^*)


🔷若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています~(笑)(*^_^*)

🔷本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい断面をご覧いただきます~(*^_^*)
コメント欄に、サイトのURLを示しているので、取り敢えずインタネットで、すばらしさを見て欲しいです~(笑)(*^_^*)


☆さて、テルマエロマエではないが、楽しくお風呂に入るのは、僕の一番好きな楽しみの一つである(^_^)
午前中に湯船のお風呂に入れる(*^_^*)
ここで、湯船の中で、身体を温めてリハビリに望むので、筋肉が温まる~(笑)(*^_^*)
この湯船の中で、テレサテンの“時の過ぎ行くままに”、村下孝蔵の”踊り子“、“聖者の行進“、三曲を唄う。これで、湯船の中での時間調整をする~(笑)(*^_^*)
これで午後のリハビリする身体を使う筋肉をほぐして、サッパリして最適である☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

お風呂を出て食堂で、皆んなといろいろな事で、悩み、雑談等で話しをし、しゃべったり、バカなことで大笑いしたり、楽しく会話したり、脳トレしたり、アイスコーヒーを飲んだり、すごく刺激しあって楽しい時間を持つ(笑)(*^_^*)
僕はいつも一日、朝夕の二食なので、アイスコーヒーを飲む(*^_^*)

その後、午後は、上肢とだんだん脚も追加したパワーリハビリと理学療法士の先生と物療、である☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

これで、だいたい6時間の従実したリハビリがほんとに、あっと言う間に終わるが、今日もリハビリ仲間といろいろ話しをして、楽しい時間を過ごす~(笑)(*^_^*)

これで話しをしていると、すぐ一日が終わる。充実しているから時間の過ぎるのが本当に早い。あっと言う間である☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

リハビリの一日は、時間の経つのがほんとに早いな(*^_^*)
光陰矢の如しである☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

その後、16:30からベッドに横になり、FBをし、19:00まで寝てしまった☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

今日の、夕食は、コロッケ、イカの刺身、クロワッサン、あとぬか漬けのダイコン、お味噌汁、である~(笑)(*^_^*)

そして、10:00ころベッドに横になり、1時ころに寝むりについた