尼子伯母さん御夫婦には今回の訪問は連絡していなかった。
理由は
連絡すると尼子伯母さんが
私達の”もてなし”に忙しくされてしまうからだ。
義母もなにかと気を使う人だったけど
尼子伯母さんも似ている。
カネオ伯父さんが病院に行く以外は
家を留守にすることもないだろう と
思った事もあってゆっくりした気分でドアをノックした。
入口のドアに立つ私達を見て
驚かれた尼子伯母さんは暫く唖然とされてもいた。
カネオ伯父さんは居間においた病院のベッドに
横になられていた。
1時間ほどお二人とおしゃべりをしてから
私達にハウスツワーをすると尼子伯母さんが云い
彼女について
それぞれの部屋を回る時間も持った。
私がこの家を訪れたのはこれが2度目でね。
1度目は
私がまだ20代だった時で、
バッキーの海軍時代の友人夫婦と友人の弟さんも入れ
この家に泊まらせてもらった時だ。
バッキーの事だから ホテル代を節約するために
友達3人も連れ泊まらせてもらったんだろう。
その時のグループ写真はこれ ↓
その夜、使わせてもらった部屋には今
大型のプラスティックのビン(入れ物)が10程並んでいた。
それらの一つ一つにはラベルが貼られ
何が入っているかが記されている。
尼子伯母さんらしくオーガナイズされているけど
使うことがない物もこうして取っておく御夫婦を思いもした。
地下室のストレジルームにある缶詰の保存料にも驚いた。
シングルのベッドが2つ並ぶお二人の寝室を見せてくださった時
”ほんとはここで寝たいんだけど
夜中もカネオさんに呼ばれることがあって” と困った表情で言われ
自分は居間のチェアーで寝ている。 と話された。
この春、転倒したカネオ伯父さんは
その時処方された薬の副作用かどうかで
幻覚や幻聴の症状をだし、
その度に尼子伯母さんが彼を説得しなくてはいけなくて
大変だったと言う話を思い出し
そんな夜もベッドでなく
イスで寝なくてはいけない尼子伯母さんを思うと
良質の睡眠が取れていないようで私までドッと疲れた。
私が尼子伯母さんの立場だったら
居間に自分のベッドを置くだろう。
もし伯母さんも居間にベッドを運びたいなら
バッキーと義弟の二人でベッドを2階から1階の居間に運ぶことは出来るから
訊くだけ訊いてみても良いように思う。
お二人は尼子伯母さん側の親族一同を呼び
生き葬式を開かれた事がある。
随分以前だったと思うし
カネオ伯父さんがまだまだお元気にされている時だった。
そうやって死を迎える準備を早くからされているお二人だ。
🌿 🌿 🌿 🌿
写真はカメくんの試合の後
チームの皆さんと行った店”オメガング”Ommegang”
醸造所併設のレストラン
何でも16世紀頃、
ブリュッセルを訪れるローマ皇帝一行を歓迎し
一行が通り過ぎるのを住民たちが祝ったそのパレードを
オメガングと云うらしくて
今もオメガング祭は続いていると言う。
食べ物は大して美味しいとは思わなかったけど
私が選んだクラフトビールは最高に美味しかった。
いつか来ますよね
できる限り多くのヘルプを使ってでも家で看取れたらと思います。
でも夕べは深酒で酔っ払ったバッキーを目に
介護する気持ちも薄れましたが 😜
年老いて酔うとまるで認知症のような素振りが見え 若い頃との違いに驚いたことです
アルコールには気をつけないと脳がやられます。
幻想などがあった話を
”それはリアルだったんだ” と伯父さんが話していました。
それを説得するのに使うエネルギーも大きいですよね
自分の間違いを素直に認める人だと良いですが
幻覚や幻聴はこっちがいくら説明しても本人が納得出来ない事も多いので厄介でもあります。
うちは義母が寝ている部屋にソファベッドを置いており、いざと言う時はそこで寝れるようにしてます。
そう 説得がしにくい人っていますよね
人の意見を聞かない、自分が正しいと思いこんでいる。
そうなる前にいいリレーションシップを作ることでしょうかね
バッキーとのことでもそんな将来を考えることです
今の私達の年齢はそういう事も考えにいれ将来生活が上手く進んで行けるような関係を作らなくてはと
義母様の部屋にもう一つベッドがあるのは大事ですよね。
私は耳が遠い上に睡眠が深いので何か音がしても目が冷めないんですよ だから同じ部屋でないと不安です