前回に引き続き加藤諦三さんの投稿コラムをお送りします。
好かれたいと思うあまりいい人を演じてしまう。
自分が嫌いに
嫌われるのが怖くて、自分がしたくないことをする。そうすれば自分が自分を嫌いになってしまう。あなたが犠牲を払って他人に好意を示したとしても、周囲の人はそれを当たり前と受け取る。
嫌われたくない症候群の人は、誰にも好かれたいと思っていても、結局誰にも本当には好かれない。
ひとりぼっち
拒否されることを恐れ、嫌われることを恐れて、いい人を演じていると、最後にその人がもっとも恐れた事態に陥る。つまり、ひとりぼっちになってしまう。 周囲の人はその人が犠牲を払いながら、それをしているとは思わない。犠牲を払っている人は、相手は自分の犠牲を分かってくれると思っている。しかし分かってはくれない。
価値を感じたい
人は誰でも自分の価値を感じようとする。自分の人生は意味があると感じたい。しかし自分で自分に価値があると感じられない。人から感謝される、褒められる、好かれるなど、人から認めてもらえれば、自分の価値を感じられる。
そこで、人から嫌われることを恐れる。しかし残念ながら、人から嫌われないためにすることと、楽しいこととは違う。
何が楽しいのか
なによりも嫌われたくない症候群の問題は、「自分が楽しいと感じること」をしないことである。そしてそれが続くと自分は何が好きか、何をしていると楽しいのか、が分からなくなってしまう。
人から嫌われないために楽しくないことをする。そして残念ながらそれだけ頑張っても、人は期待したほど喜んでくれないし、期待したほど認めてもくれない。
交流できない
嫌われたくない症候群の人はコミュニケーションができない。愛されなかった子は、誰にでも愛されようとする。母親から愛されない子供は「早くから、誰にでも愛情をもとめる強迫的欲求を発動させる」(早坂泰次郎訳『人間関係の病理学』誠心書房)とフロム・ライヒマンは言う。
皆に愛されたい
彼らは誰にでも愛されたい。誰かに嫌われることが怖い。誰にでもよい人と思ってもらいたい。この「誰からも愛されたい、誰からも嫌われたくない」という欲求で人は人生の選択を間違えてしまうのだ。