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きょう、神奈川県の小学校に出前授業のお手伝いに行きましたが、もう少しで授業が中止になるところだったそうです。

というのも、朝6時に、県内のどこかに暴風警報が発表になっていると休校になるからです。

大雨や洪水警報だけでも休校にはなりません。暴風警報が基準なんです。

 

しかも、朝6時の時点で、神奈川県内のどこかに暴風警報が出ていると、休校にするのだそうです。

いまは、市区町村ごとに警報は発表になっているのに、

神奈川県内のどこかに出ていれば、休校ということで、ちょっと腑に落ちませんでした。

大雨警報、とくに、土砂災害警戒情報は、暴風警報と同じくらい危険な気象状況だと

私は思いますが、決まりは以前から変わっていないようです。

(学校によっても違うと思います)

 

警報が出たら、毎回、休校としていたら、年間に行うべき授業を消化できないので、

頻繁に発表になる大雨警報で、休校とは出来ないのかもしれませんが、

防災のために本当に正しい行動は何なのか?

気象情報を有効に活用する方法はまだあると思いました。

 

 

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(大洗町提供)


3月11日の東日本大震災による津波は、茨城県大洗町にも大きな被害を及ぼしました。


上の写真は3月11日の大洗町役場の玄関前ですが、


町の10分の1が浸水し、多くの自動車が流されるなどしました。


(前回の記事はこちら)


 


幸い、津波による犠牲者はいなかったのですが、


この要因は何だったのかを役場の方に伺いました。


 


震源から離れており、時間的な猶予があったこと、


さらに、津波が東北沿岸ほどは高くはありませんでした。


しかしながら、高さが1m以上も浸水すれば、非常に危険な状況です。


 


役場の方は、いくつかあるかなで、避難の呼びかけと、旧堤防をあげていました。


防災無線は地震後に停電しましたが、バッテリーで2時間ほど避難を呼びかけたそうです。


さらに、9分団の消防団がその後も街中で避難を呼びかけたとのことです。


 


もうひとつが、旧堤防の存在です。



昔の堤防が海岸から数百mのところに残っていました。


予算がないから、取り壊さずに残していたそうです。



高さは1mほどしかありませんが、この場所の津波は1m程度のため、


津波の勢いを弱め、町への浸水を遅らせたのではないかと思われます。


 



 また、4月11日現在に撮影した写真ですが、すでに道沿いの植物は枯れていました。



塩分を含んだ海水による塩害です。



チューリップもほとんどが枯れていました。


 



視察で、町を歩いていたら、海岸にゴミの山を見つけました。


3月末に町をあげて片付けをしたこともあって、


町はとても綺麗でしたが、そのゴミは海岸に集められていました。


床上浸水したところもあり、冷蔵庫などの家電もかなり使えなくなった家庭も多いようです。


 



港の海上では、掘削作業も行われていました。


水深が8mほどの港ですが、津波で様々なものが海に沈み、水深が5mほどしかないのだそうです。


港の水深が浅いと、船の航行に支障をきたすため、


海底にたまったゴミなどをとりのぞく作業が行われているとのことでした。


 


大洗町の早い復興を願いたいと思います。


 


 

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先日、福島県相馬市に泥かきボランティアに行きました。

写真の場所は、海岸から1kmほど離れた岩子地区(渡辺さん宅)ですが、

骨董品が置いてるという昔ながらの蔵の外壁に、

1m20cmほどの高さに、津波が押し寄せた跡が残っていました。

(許可をいただいて撮影しました)

 

東日本大震災から2ヶ月近くが経ち、かれきの撤去はだいぶ進んでいましたが、

まだ、住宅の床下には泥がたまっており、

6人で午前9時半頃~午後3時頃までで作業を行いましたが、

3部屋の床下の泥を出すのがやっとでした。

海岸に植えられていたとみられる松の木が床下に入っていたりしましたし、

泥が入ってしまって、これを取り除くのが大変でした。

 

お住まいのお母さん(72才)は、

大地震の直後、関東にお住まいの息子さん、「10mの津波がくる」と電話があったそうですが、

まさか自分の家に津波が来るとは想像もしていなかったそうです。

 

地震で倒れたものを片づるため、庭で作業していたところ、

たんぼの向こうから、黒い塊が現れたのを見て、「津波だ」と確信し、必死に高い所へ避難したそうです。

海岸に向かって、広大なたんぼが広がり、遠くが見渡せる場所だったため、

こちらのお母さんは津波に気づいてから逃げて助かったのかもしれません。

 

何度も何度も「ありがとう」と声を掛けて下さり、

「いまは田んぼが海水につかり、数年はダメだけど、5年経ったら、元に戻った姿を見に来て下さい」と、

おっしゃっていたのが印象的でした。

 

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子どもの日、被災された方々の避難所となっている宮城県名取文化会館で

ボランティアの方々が紙芝居をするということで、私も同行させてもらいました。

 

マスクをつけた姿が、昔、流行ったキン肉マンにも見えますが、

紙芝居の内容に出てくる「ミラクルマスク」というんだとか。

おなら攻撃でやられてしまいますが、

紙芝居を見ている子供たちの声援で、ふたたび立ち向かうという内容で、

子供たちにも、ひとときの笑顔が戻っていました。 

このグループは渋谷画劇団(株式会社漫画家学会)という紙芝居のプロ集団です。

以前に、私たちの「海の生物多様性」というテーマで紙芝居を製作してもらうなど、

いろいろと、ご一緒させてもらっています。

 この日は、屋外で自衛隊の演奏のほか、

お菓子を無料配布する団体もいて、様々な支援が行われていました。

 

 

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東日本大震災で津波の被害を受けた茨城県大洗町を視察してきました。

港の桟橋らしきものがひっくり返っているのがわかるでしょうか。

この桟橋は海に浮くように作られていますが、津波でもちあげられたようです。

津波の威力を感じます。

 

大洗の港

港には陥没している箇所がいくつか見られ、

津波の流れの影響でしょうか。フェンスも曲がっていました。

(津波の跡)

海岸からの距離は500mくらいの距離ですが、高さ60cmほどに津波の跡がありました。

(津波の跡)

港から内陸に向かう道路沿いでは高さ80cmくらいのところにも

津波のあとが見られ、町中にも1m弱の浸水したあとがみられました。

大洗町の方にきいたところ、

地面から1.5mほどの高さに建てられている町役場ですが、

それでも1階部分は津波で浸水したそうです。

 

(大洗町役場玄関前 右は3月11日撮影 大洗町提供)

津波は何度か押し寄せましたが、第1波よりも第3波が最も高い津波で、

 気象庁の観測では最大4.2mが観測されています。

町の10分の1が浸水し、190棟が床上浸水、150台の車が流されたそうです。

そして、ピーク時には3392名の方が避難所に避難したということです。

 

ただ、幸い、大洗町では津波で犠牲になった方はいませんでした。

その理由は何だったのでしょうか? 次回、書きたいと思います。 

 

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