(大洗町提供)
3月11日の東日本大震災による津波は、茨城県大洗町にも大きな被害を及ぼしました。
上の写真は3月11日の大洗町役場の玄関前ですが、
町の10分の1が浸水し、多くの自動車が流されるなどしました。
(前回の記事はこちら)
幸い、津波による犠牲者はいなかったのですが、
この要因は何だったのかを役場の方に伺いました。
震源から離れており、時間的な猶予があったこと、
さらに、津波が東北沿岸ほどは高くはありませんでした。
しかしながら、高さが1m以上も浸水すれば、非常に危険な状況です。
役場の方は、いくつかあるかなで、避難の呼びかけと、旧堤防をあげていました。
防災無線は地震後に停電しましたが、バッテリーで2時間ほど避難を呼びかけたそうです。
さらに、9分団の消防団がその後も街中で避難を呼びかけたとのことです。
もうひとつが、旧堤防の存在です。
昔の堤防が海岸から数百mのところに残っていました。
予算がないから、取り壊さずに残していたそうです。
高さは1mほどしかありませんが、この場所の津波は1m程度のため、
津波の勢いを弱め、町への浸水を遅らせたのではないかと思われます。
また、4月11日現在に撮影した写真ですが、すでに道沿いの植物は枯れていました。
塩分を含んだ海水による塩害です。
チューリップもほとんどが枯れていました。
視察で、町を歩いていたら、海岸にゴミの山を見つけました。
3月末に町をあげて片付けをしたこともあって、
町はとても綺麗でしたが、そのゴミは海岸に集められていました。
床上浸水したところもあり、冷蔵庫などの家電もかなり使えなくなった家庭も多いようです。
港の海上では、掘削作業も行われていました。
水深が8mほどの港ですが、津波で様々なものが海に沈み、水深が5mほどしかないのだそうです。
港の水深が浅いと、船の航行に支障をきたすため、
海底にたまったゴミなどをとりのぞく作業が行われているとのことでした。
大洗町の早い復興を願いたいと思います。