人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

成長することを目指すな

2009-04-13 11:28:44 | 随筆、Essay
資本主義というのは欲望のシステムらしい。

まあ、このシステムの中じゃ欲望を満たすために努力とか根性とか成長とかそんなキーワードが徘徊するんだな。

まあ、でも良く考えてみると、今のところ人は努力でなんとでもなるって言うのが世の中まかり通っているんだな。実際そう言う人もいるし、そうでない人もいる。能力でも欲望でも標準ってのがないから実はあんまり良く比較できない。あまりにも要素が多すぎて調査できないんだな。人間は難しいってことだ。

そんなことはどうでも良いんだけど、俺なんか単細胞だから、何か始めると初めに内はぐんぐん伸びていくんだな。何やっても10から30、50ぐらいまではすいすい伸びるんだな。だからこれってスゲー楽しいじゃんとかってすぐ思っちゃうんだよな。成長しているのが楽しいのが、その対象自体が楽しいと勘違いしちゃうんだな。

だけど、この成長が楽しくて始めちゃうとしばらくすると成長が低減或いは止まるから嫌になっちゃうんだな。そんでぽいっと簡単にほっぽっちゃうんだ。

学校の勉強でも、ころころころころ参考書変えるやつっているだろう。そう言うやつってのは、この最初の方はできるから、段々できなくなってくると辛いから、次へと変えちゃうんだな。どれやっても同じなんだけどね。参考書の場合は、その参考書が自分に合っているのかどうか吟味して、軌道修正が必要なんだけどね。

このころころころころ変わるのでなく1つに落ち着いて行くにはどうしたら良いか。今日のテーマはこれだな。1つを継続したいと思うのに、継続できない人が継続するにはどうしたら良いか。

成長を目指すなってことだ。

つまり、色々何となく手を出したくなるんだけど、出すこと自体は悪くないんだけど、手を出しているときに成長が楽しいのか、そのものが楽しいのか、きちんと把握することなんだな。そのものが楽しいときって言うのは、そのものをしている最中に楽しいなってこう内から面白いなって感じるんだな。

目標を目指しているからしているとか、我慢しているとかじゃないんだ、触れているだけで楽しいんだな。俺なんて語学がそうなんだけどね。別にできる訳じゃないし、学校の成績が良かったって訳でもないんだけど、それでも楽しいんだ。下手の横好きってやつだ。

囲碁初めて1年ぐらいたつんだけど、まだ10級そこそこぐらいかな。語学の時のような、ふつふつとした楽しさってのはないんだな。まあ、勝つか負けるか分かんないのに、楽しいなんて気持ちはわきゃしない。でもまあ、ぼけ防止になるらしいから、もうちっと続けてみるかなって感じだけどね。

純粋に楽しい、触れているだけで楽しい、そこんとこだな。