いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

「法の支配」という基準を持って外交を進める資格を問う/山崎孝

2007-05-29 | ご投稿
【81年政府答弁を否定 解釈変更の狙い鮮明に集団的自衛権「懇談会」議事録】(5月28日付「しんぶん赤旗」より)

 政府はこのほど、集団的自衛権の行使の研究を目的とする安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二前駐米大使)の第一回会合(十八日)の議事録を公表しました(発言者の氏名は未公表)。首相主催の懇談会でありながら、集団的自衛権の政府解釈を擁護する発言は「なかった」(柳井座長)という異常ぶりです。(竹下岳)

 安倍首相は懇談会の目的について「実効的な安全保障体制を構築する」と述べるにとどまりましたが、出席者からは狙いを端的に示す発言がありました。

 「日本の安全保障の法的基盤が拠って立つものは、憲法と個別の法律の間の解釈だ。その解釈の中で一番重要なのは昭和五十六年(一九八一年)の集団的自衛権に関する政府解釈だ」「現在の政府解釈は問題があり、修正する必要がある」

 集団的自衛権の行使に関する政府解釈は、「自衛のための必要最小限の範囲を超え、憲法上認められない」とする八一年の政府答弁で確定しました。政府の軍事政策はこの解釈に制約され、自衛隊の海外派兵でも「武力行使はしない」ことなどが条件になっています。日米の軍事一体化を求める米国は、この政府答弁を「同盟関係の障害になっている」などと敵視しています。

明文改憲の前に 出席者の顔ぶれを見ると、改憲派ばかりであるにもかかわらず、改憲を求めた発言を封印したのも特徴です。

 「二十一世紀初頭という新しい状況下で平和と安定を得るため、憲法解釈が桎梏になるべきではない」「憲法解釈を抜本的に検討するのは歴史的に意義がある」

 明文改憲の前にまず、すぐにでも政府解釈を変更し、集団的自衛権の行使に道を開こうという安倍首相の意図をくんでの発言です。

 内閣法制局は、「日本は集団的自衛権を保有している」としつつ、「行使できない以上、保有していないのと同じ」(二〇〇四年一月二十六日、衆院予算委、秋山收内閣法制局長官=当時)という立場です。これを否定する発言もありました。

 「集団的自衛権の保有の是非は憲法解釈の問題だが、この権利の保有を前提として行使するか否かは単なる政策判断だ」

 憲法解釈は一政権の都合で左右されてはならないもの。このような考えが許されれば、時々の政権の意向で何でもできることになります。

矛盾の原因は? 歴代政府は、集団的自衛権の行使は「憲法上許されない」とする一方、米軍の戦争支援や相次ぐ海外派兵など、限りなく集団的自衛権に近い政策を積み重ねてきました。懇談会では、これについても発言がありました。

 「我が国では集団的自衛権の行使を認めない立場を取ってきたため、逆に個別的自衛権の概念を不当に拡大してきた」「集団的自衛権の行使を認め、個別的自衛権を本来の枠の中に戻すべきだ」

 懇談会出席者には「個別的自衛権の概念を不当に拡大してきた」当事者である外務省・防衛庁OBが複数含まれているにもかかわらず、そのことには一切触れず、みずからがつくり出してきた矛盾を利用して、解釈改憲を極限まで推し進めようとしています。(以上)

★《「日本は集団的自衛権を保有している」としつつ、「行使できない以上、保有していないのと同じ」》と述べた(元)秋山收内閣法制局長官のインタビューが5月18日付朝日新聞に掲載されています。以下はインタビューの記事です。

――有識者懇談会の人選をどう思いますか。

非常に偏っていると思う。従来の政府解釈に批判的な立場の人ばかり。

安倍首相と異なる主張の人は見あたらない。

――なぜ政府は集団的自衛権の行使を容認していないのですか。

 政府見解では日本が自衛権を行使するには三つの要件が必要だ。①わが国への急迫不正の侵害、②他の適当な手段がない、③必要最小限度の実力行使にとどめる――の3要件だ。特に「わが国への」という点が重要で、他国が攻撃されても自衛隊が応戦できるという解釈はできない。

――かつて安倍首相の質問を受けていますね。

 首相が自民党幹事長だった04年1月の衆院予算委員会で、「集団的自衛権の行使はわが国を防衛するための必要最小限の範囲を超え、憲法上許されない」という81年の政府答弁書について「『必要最小限』というのは数量的な概念であり、行使を研究し得る可能性はあるのではないか」と聞かれた。

 内閣法制局長官だった私は誤解を解くいい機会と思った。答弁書は自衛権行使の3要件を満たすことを前提としており、それは数量的ではなく質的な概念だということを丁寧に説明した。だが、首相は当時の疑問が今も解けていないのだろう。

――与党には内閣法制局の憲法解釈は硬直的だという批判もあります。

 政策論として集団的自衛権の行使を認めるべきだ、という主張は理解できる。だが、それは法律論ではない。憲法9条は、自衛隊の行動に国際法の基準以上の厳しい制約を課している。強引に解釈を広げれば、国際法と憲法の解釈が一致し、憲法の意味がなくなる。

――政府解釈の変更はやはり無理だと。

 内閣法制局は憲法の規範的な意味を守ってきた。首相はそうした積み重ねを無視しないで欲しい。時の政府の判断で解釈を変更できるのなら、公権力を縛る憲法の意味が失われてしまう。歴代首相が集団的自衛権の行使を「真っ黒」(違憲)と言っているのを「真っ白」(合憲)にするのは至難の業だ。解釈変更をしたいのなら、憲法改正で正面から対応するのが筋だ。(聞き手鯨岡仁)(以上)

★内閣法制局の仕事(内閣法制局のホームページより抜粋)

法律案の原案作成

内閣が提出する法律案の原案の作成は、それを所管する各省庁において行われます。

各省庁は所管行政の遂行上決定された施策目標を実現するため、新たな法律の制定又は既存の法律の改正若しくは廃止の方針が決定されると、法律案の第一次案を作成します。

内閣法制局における審査 内閣が提出する法律案については、閣議に付される前にすべて内閣法制局における審査が行われます。

内閣法制局における審査は、本来、その法律案に係る主管省庁から出された内閣総理大臣あての閣議請議案の送付を受けてから開始されるものでありますが、現在、事務的には主管省庁の議がまとまった法律案の原案について、いわば予備審査の形で進める方法が採られています。

したがって、閣議請議案は、内閣法制局の予備審査を経た法律案に基づいて行われます。

 内閣法制局における審査は、主管省庁で立案した原案に対して、憲法や他の現行の法制との関係、立法内容の法的妥当性、立案の意図が、法文の上に正確に表現されているか、条文の表現及び配列等の構成は適当であるか、用字・用語について誤りはないか、というような点について、法律的、立法技術的にあらゆる角度から検討します。(以上)

内閣法制局のホームページを読めば、日本の主管省庁で立案した原案は、憲法や他の現行の法制との関係などを内閣法制局の審査が必要とするルールとなっており、その内閣法制局は憲法の規範的な意味を守ってきたと述べています。このことを無視して、首相が設けたお手盛りの私的懇談会の諮問を受けて、首相が憲法解釈を変更する権限はありません。正当性を持っていません。時の政府の判断で解釈を変更できるのなら、公権力を縛る憲法の意味が失われてしまうのです。公権力を縛るのが近代憲法のあり方です。

首相の側近の下村博文官房副長官、山谷えり子首相補佐官が加わる「価値観外交を推進する議員の会」は、相手国と共有すべき価値観の一つに「法の支配」を掲げていますが、自らが「法の支配」を破ろうとしているのです。これでは日本が「法の支配」という基準を持って外交を進める資格がありません。