いせ九条の会

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教科書の沖縄戦集団死の書き換えを許さない/山崎孝

2007-05-25 | ご投稿
【教科書検定撤回を/大阪で/集団自決シンポ】(沖縄タイムスニュース)

沖縄戦時に慶良間諸島で起きた住民の「集団自決」への軍命の有無などをめぐる訴訟の第九回口頭弁論が5月25日に大阪地裁で開かれるのを前に、シンポジウム「沖縄戦集団死の書き換えを許さない」(主催=大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会)が二十四日夜、大阪市内で開かれた。研究者や教師、出版関係者ら約百五十人が参加。文部科学省の検定撤回や、同訴訟で旧日本軍による命令があったと主張する被告側の支援に向け、全国規模の運動を実現する重要性を確認した。

沖縄国際大の津多則光講師は文科省の教科書検定を「沖縄戦からこれまで六十数年の学問の集積をすべて否定するものだ」として、撤回のために沖縄と本土が連携するべきだと述べた。

大阪歴史教育者協議会の小牧薫委員長は、一九八二年に高校の日本史教科書で「日本軍による住民殺害」が削除された際に、次回検定から記述が復活した経緯を説明。

「当時は運動の盛り上がりがはね返して(文部省が記述を)元に戻した。検定の誤りを(教科用図書検定調査)審議会に認めさせるための運動が大事で、大阪の県人会組織にも協力をお願いしたい」と述べた。

フロアとの質疑応答では作家の目取真俊さん、沖縄国際大の安仁屋政昭名誉教授らが意見を述べた。(ニュース以上)

沖縄戦で住民の「集団自決」が何故起きたのか、その背景となる因子を大城将保さんは次のように書いています。(沖縄戦 ある母の記録より)

(前略)なぜ、同じ日本人の間にこのような(註、スパイ)疑心暗鬼が発生したのか。戦場の異常心理だけでは説明できない根深い問題がひそんでいるようである。

 第一の理由は沖縄守備軍の作戦指導にあったといってよい。牛島軍司令官の着任時の訓示にも「防諜二厳二注意スヘシ」という一条があるが、軍民混在の島しょ戦では原住民が寝返って軍の機密を敵側に通報するおそれがあるという戦訓が南方から伝えられていたし、“軍民一体”となって陣地構築にあたってきた沖縄においては老幼婦女子にいたるまで軍の機密を知りすぎている。従って、防諜対策=スパイ取締まりを厳重にすべし、というのが軍の基本方針になった。また、初めて沖縄諸島に移駐してきた将兵たちにとって、沖純の風土は異郷ともいうべき違いがあるし、意味不通の方言を使用する沖縄人にたいして根づよい差別意識があったことも否定できない。沖縄県民は「民度が低い」という蔑視があり、従って「信用できない」という敵視につながっていく。

 そこに、いよいよ米軍が上陸してきた。守備軍には住民を保護するだけのゆとりはない。

多くの住民が敵前に放置されることになった。ここで、守備軍にとってはやっかいな問題が生じた。友軍の秘密を知りすぎている一般住民が敵の手に落ちた場合、彼らの口から軍機が漏れることは明らかである。軍の論理からすれば、これはスパイ行為と同じことになる。「敵の捕虜になる者はスパイと見なして処刑する」という警告が発せられた。また、軍民混住の洞窟壕の中で幼児を泣かしただけで、「友軍陣地を敵に暴露する危険がある」として、スパイ同然に警戒された。

 では、追い詰められた避難民がスパイの汚名をまぬがれるにはどうすればよいか。「日本国民らしくいさぎよく自決せよ」というのが軍の指導方針であった。つまり、集団自決の奨励であり強要であった。この方針は、以前から住民に徹底され、「敵の捕虜になると、男は股裂きにされ、女は強姦される」と宣伝して”鬼畜米英”に対する恐怖感をあおり立てていた。実際、この宣伝のおかげで捨てなくてもいい命を捨てた者は数知れない。

 しかし、友軍の宣伝に従わなかったり、自爆に失敗して右往左往する避難民も少なくなかった。これらの人びとが戦場をさまよったあげく友軍陣地に接近してくると、敵を誘導するスパイ活動だときめつけられ、ただちに処刑が執行された。小銃で射殺したり、日本刀で斬首したり、あるいは拷問のあげく殺されたり、泣きやまない子どもたちの首を締めて殺したり、さまざまな残虐行為がまかり通った。「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けず」といった人命軽視の軍隊思想が一般住民にもおしっけられた結末であった。(後略)

参考 大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会のホームページには、裁判に関する詳しいニュースを伝えています。