いせ九条の会

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頭の向き(政治)と胴体(経済)の向きが合わない/山崎孝

2007-05-28 | ご投稿
日本の経済活動の軸足が日本海を向いているのに、政権与党の政治家の頭が向いているのは太平洋の方向です。このことを指摘した文章を紹介します。

寺島実朗著(「経済人はなぜ平和に敏感にならなければならないか」より)

【「日本海物流」の重大な意味】 東アジアの台頭という歴史エネルギーを背景に、日本という国の基本的性格が急速に変わってきている。特に、この国がよって立つ経済産業の基盤が変化し、「アジアに依存して飯を食う日本」になっているという事実を確認する必要がある。

二〇〇五年の日本の貿易総額に占める米国の比重は十八%を割り込み、アジアは四七%と五割に迫ったものと見られる。こうしたことを背景に、日本国内の産業動向にも重大な変化が進行している。注目すべきは、太平洋側の港湾が地盤沈下し、日本海側の港湾物流が活況を呈していることである。

【転落した神戸、横浜】 神戸と横浜はかつて「通商国家」日本のシンボルとも言える港であった。ところが、二〇〇四年の世界港湾ランキングで、神戸はかつての四位から二九位に転落し、横浜も二八位まで順位を落とした。東海地域のモノ作り基盤を背景に健闘しているといわれる名古屋が二四位、そして東京の一七位が日本の港湾としては最上位である。

GDP(国内総生産)世界第二位の日本に、世界で妄位以内に入る港がなくなった。ちなみに、港湾ランキングの上位は、一位香港、二位シンガポール、三位中国・上海、四位中国・深川、五位韓国・釜山、六位台湾・高雄となっており、東アジアの産業構造と物流の変化が投影されている。

神戸、横浜がかくも無残に順位を落とした最大の理由は、釜山がハブ港化し、基幹航路につなぐ物流拠点としての地位を日本の港から奪っていることである。

例えば、四国の今治、松山、東北の仙台などの港湾の物流分析を見ても、従来は内航船で神戸、横浜につなぎ、基幹航路に乗せていたものが、内航船のコス高、港湾機能の非効率を理由に日本の港を避け、釜山を中継地として使う(釜山トランスシップ)傾向が顕著になっている。

急増する中国~北米大陸間の物流が、日本海を通って津軽海峡を抜けるルートを選択し始めている。そのほうが神戸、横浜を経由するより二日早いのである。それが釜山にとっての追い風となり、「日本海物流」が一段と太くなっている。

こうしただいダイナミズムに引っ張られて、日本の港湾の勢力図にも変化が生じ始めた。一九九五年から二〇〇四年までの「外貿貨物コンテナ取扱い」の物流量を見ると、日本の港湾全体で年平均四・六%の増加となる中で、日本海側の一一港(秋田、酒甲新潟、金沢、伏木、富山、敦賀、舞鶴、境港など)の増加ペースは、実に年平均一三・四%にも達している。

【「表と裏」を反転させよ】 戦後の日本人は、太平洋側を「表日本」、日本海側を「裏日本」と呼ぶような歪んだ認識を身につけてきた。それには、やむをえない事情もあった。

半世紀以上、日本にとって貿易相手の第一位は米国であり、外交とはすなわち米国との二国間同盟を意味した。太平洋の彼方の米国だけ見つめて生きるうちに、太平洋側を「表」とする感覚が見に染みついたとしても不思議ではない。しかも、冷戦時代の日本海はイデオロギー体制の違うソ連、中国、北朝鮮と日本を隔ててくれる「隔絶の海」であった。

だが、二一世紀の日本を考えるならば、この「表と裏」の感覚を反転さるぐらいの気迫で変化に立ち向かうことが必要となろう。

すでに、日本の経済産業の基般はアジアのダイナミズムによって突き上げられている。石油、天然ガスの増産をテコに、二一世紀のエネルギー大国となりつつあるロシアの動きからも目が離せない。

「日本海国土軸」という言葉があるが、太平洋側に主眼を置いた国土計画、産業立地を再考し、アジアとの相関から国土総体を戦略的に見直して、適正なインフラ投資と資源配分を行う視点が重要になるのは間違いない。(以上。2006年に書いた文章です)

今年5月に自民党の議員は「価値観外交を推進する議員の会」をつくり、「自由・民主・人権・法の支配」という価値観にそわない国として中国を名指ししています。また、「基本理念や政治哲学」から譲れない問題として靖国参拝を挙げています。これは、隣国と鋭く対立する問題に重点をおいた外交を行うことで、日本の経済産業の基盤変化「アジアに依存して飯を食う日本」になっているという事実を無視した外交です。

また、自民党の政治家たちは「新憲法制定促進委員会準備会」を結成しました。以下は「しんぶん「赤旗」より抜粋

今年五月三日には、日本会議議連のもとにつくる「新憲法制定促進委員会準備会」が「新憲法大綱案」を発表し、目指す国家像を明らかにしました。

 そこでは、日本国民が「天皇を中心として、幾多の試練を乗り越え、国を発展させてきた」と天皇中心の国家観を提示。天皇を「元首」と明記しています。

 「家族」条項を設け、「わが国古来の美風としての家族の価値」を「国家による保護・支援の対象」としています。

 「戦争放棄」と「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めた現行憲法の九条は全面改定。

 一方、国民に対しては「人権制約原理の明確化」を掲げ、「国防の責務」も課すとしています。

 天皇を頂点にいただき、個人の人権を制限し、家族を国の末端の基礎単位と位置づけて、戦争に国民を総動員していく――まさしく戦前・戦中の日本社会の復活を狙っているのです。(中略)

【アジアで孤立】 「戦後レジームからの脱却」というスローガンに対し、コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授は「民主主義国のリーダーが自分の国のレジーム・チェンジ(体制変革)を求める意味は理解しにくい」、「安倍首相の捨てたがっている戦後レジームの何がそんなにひどいのか、ぜひ説明してほしい」と発言。保守派の論客フランシス・フクヤマ氏も「日本が憲法九条の改正に踏み切れば、新しいナショナリズムが台頭している今の日本の状況から考えると、日本は実質的にアジア全体から孤立することになる」と警告を発しています。(以上)

「価値観外交を推進する議員の会」は、日本会議議連メンバーが中心となり発足させました。従って「価値観外交を推進する議員の会」は「自由・民主・人権」と言いながら、奇妙なことに国民に対して「人権制約原理の明確化」を考えているのです。

「アジアに依存して飯を食う日本」という経済の実態に合わない、イデオロギー外交を行えば、日本は不利益を蒙ることにならないでしょうか。