いせ九条の会

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安倍政権 完全無欠の「伴走役」の資格を準備中/山崎孝

2007-05-11 | ご投稿
【ブレア首相退陣表明:イラク政策で一層孤立感 米大統領】(5月10日付毎日新聞ニュース)

【ワシントン笠原敏彦】イラク戦争をともに主導したブレア英首相が5月10日、退陣を表明したことにより、ブッシュ米大統領はイラク政策を推進する上で一層孤立感を深めることになった。今後の焦点となる対イラン軍事行動に対する大統領の判断にも影響しそうだ。

「私が大統領である間はブレア氏に首相でいてほしい」。昨年5月にホワイトハウスで開かれた米英首脳会談後の記者会見で、ブッシュ大統領は語った。当時の支持率はブッシュ大統領が30%台前半、ブレア首相が20%台中盤。イラクの泥沼化は「伴走役」のブレア首相に早期退陣というより大きな政治的犠牲を強いる結果をもたらした。

ブレア首相の評価は、イラク戦争を支えた負の側面で語られがちだが、米国での評価はやや異なる。米アメリカン大学のシャリニ・ベンチュレリ准教授(国際関係)は「同時多発テロ(01年9月)後の危機で、党派を超えて米国の政治システムに深く刻み込まれた最も重要な教訓は、最後に頼れるのは英国だけだということだ」と説明する。米英の「特別な関係」に限れば、ブレア首相の残した遺産は決して小さくなさそうだ。

ブレア首相は、「首脳間の親密な関係」を政策推進の原動力にするブッシュ外交の象徴であり、かつては米国の単独行動主義批判をかわす防波堤だった。そのブレア首相の退陣は、核開発問題やイラクへの介入を巡って緊張が高まるイランへの対応で、米国が選択肢として維持する軍事行動の発動を困難にする可能性もある。(以上)

【ブレア首相退陣表明:日本政治に影響与えたブレア政治】(5月10日付毎日新聞ニュース)

ブレア政治は日本に少なからぬ影響を与えた。党首討論やマニフェストといった英国方式が日本に持ち込まれたのは、いずれもブレア政権時代。18年ぶりの政権交代実現と官邸主導の政治スタイルは、「2大政党化」や「官僚主導から政治主導へ」を目指した当時の日本政界には一種の「理想形」と受け止められた。

「日本の与野党の多くの議員が英国視察に訪れ、日英関係にも好影響をもたらした。日本の政治に刺激を与えた」。ブレア政権10年について外務省幹部はこう振り返る。

99年には森喜朗自民党幹事長や小沢一郎自由党党首ら超党派議員団が英国議会制度を視察。翌00年に導入された党首討論は、小泉純一郎首相の「イラクのどこが非戦闘地域か分かるわけがない」との発言(03年)や、前原誠司民主党代表の辞任につながった偽メール問題のやり取り(06年)など、政局の節目となる多くの論戦を生んだ(肩書はいずれも当時)。

与野党ともに「ブレアスタイル」を積極的に取り入れた。与党が重視したのは官邸主導。安倍晋三首相は昨年9月の就任と同時に、側近5人を首相補佐官に任命して官邸主導の政治の確立を目指した。中でも世耕弘成首相補佐官を広報担当で任用、官邸主導でメディア対策を実践していることは、メディア戦略を重視したブレア首相の影響と言えそうだ。

野党は政権奪取戦略に注目した。最大の「武器」と受け止められたのがマニフェスト。民主党はブレア労働党が政権奪取に成功した97年総選挙のマニフェストを徹底研究し、03年11月の衆院選で「マニフェスト選挙」を仕掛けた。【尾中香尚里】(以上)

★ コメント 毎日新聞の報道で「党首討論やマニフェストといった英国方式が日本に持ち込まれたのは、いずれもブレア政権時代」と伝えているように、自民党と民主党はブレア政権の政治手法を取り入れています。教育政策も英国を見習ったと言われますが、英国では競争が過熱して批判が出ています。

自民党は米国との協力関係は英国型を目指すとしています。そのために集団的自衛権が行使できる憲法を企図しています。イラク戦争が始まる前にブレア首相はブッシュ大統領に単独行動主義を改めるように働きかけましたが、受容れては貰えませんでした。これを見れば日米同盟で双務性になれば米国は日本の言うことに耳を貸すという意見は必ずしもそうとは言えません。

米国が起こす戦争にブレア首相が果たした米国の伴走役を、日本が替りに果たした場合、イラクにおいて英国戦死者が140人を超したような事態を招きかねないのです。

追伸 人名を文字化けのままでブログに書き込みました。お詫びして訂正します。正しくは「ひめゆり平和祈念資料館に並ぶ遺影に向かい、新崎昌子さん」でした。