いせ九条の会

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沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」についての報道/山崎孝

2007-05-24 | ご投稿
【座間味・渡嘉敷 撤回要求へ/「集団自決」軍関与削除 検定に意見書】

教科書検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する日本軍の関与が削除された問題で、座間味村議会(金城英雄議長)と渡嘉敷村議会(島村武議長)は二十二日、それぞれ全員協議会を開き、検定意見の撤回を求める意見書案を本会議に提案することを決めた。

座間味村は二十九日に臨時会で、渡嘉敷村は定例会初日の六月十四日に提案。いずれも全会一致で可決する見通し。

沖縄戦で日本軍の海上特攻艇の秘密部隊が駐屯し、米軍の最初の上陸地となった慶良間諸島の座間味村では、一九四五年三月二十六日に座間味島、慶留間島などで「集団自決」が起こり、大勢の住民が死亡。渡嘉敷村では同月二十八日、「集団自決」によって三百人以上が犠牲になったとされる。

「集団自決」をめぐっては、生き残った住民らが日本軍の軍命と誘導を証言している。

文科省は、検定で「集団自決」に対する日本軍関与を否定した理由の一つに、日本軍元戦隊長の軍命を否定する訴訟証言を挙げている。

【与那原議会も意見書/「集団自決」修正検定】

教科書検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する日本軍の関与が削除された問題で、与那原町議会(又吉忍夫議長)は二十四日午前臨時会を開き、検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で可決した。あて先は内閣総理大臣、文部科学大臣、衆参両議院議長ら。

意見書では、文科省の検定姿勢変更について「沖縄戦体験者の数多くの証言による歴史的事実を否定しようとするもの」と批判。過去の教科書検定裁判の判決を引用しながら「軍による『自決』の強制は明確」と述べている。

さらに「検定結果は沖縄戦の実相をゆがめ、戦争の本質を覆い隠すもので、沖縄の未来を担う子どもはおろか、日本全国の子どもたちにこのような教科書が渡ることは到底容認できない」と抗議。その上で、検定意見の速やかな撤回と記述の復活を求めている。(以上)

以上の二つの記事は沖縄タイムス社の報道です。既にブログでお伝えしていますが、沖縄タイムス社が実施した緊急アンケートで回答した36市町村長のうち、32人(約9割)検定結果に「反対」と考えています。

次の文章は、「沖縄県史」の編集に関わった大城将保さんが1995年に出版された本に書いてある文章です。(沖縄戦 ある母の記録より)

(前略)三月二十六日、米軍上陸が始まった時、慶良間詰島は二八〇〇人以上の村民と二六〇〇人以上の兵士(朝鮮人軍夫、防衛隊を含む)が雑居した状態で敵を迎えたのでした。

 いわゆる「慶良間の集団自決」で知られる惨劇は、二十六日午前八時すぎ、米軍上陸の直後から慶留間、座間味、渡嘉敷で次つぎに発生しました。

 慶留間島では、米軍上陸の警報が伝わると、かねて打ち合わせてあった通り海上挺進隊一中隊の壕へ集合しましたが、壕は三日間の砲爆撃で破壊されて兵隊の姿も見あたりません。見渡すと島のまわりは黒蟻がたかるように水陸両用戦車や上陸用舟艇がひしめいています。もう逃げ場はありません。誰いうとなく、「敵につかまったら大変だ、もうこうなったら自決するしかない」という声があがりました。かねがね隊長からは「いざとなった時は玉砕するように」という指示がなされていたのです。しかし、慶留間では手榴弾の配給はありませんでした。命を絶つ道具としては鎌と毒薬と縄しかありません。鎌で頚動脈を切る者、木の枝に縄をかけて首をつる者、ネコイラズ(毒薬)を舐めて苦しみながら絶命する者、艦砲射撃で燃えあがった炎の中にとびこんで焼け死にする者、またたく間に島民100人のうち53人が絶命しました。それでも死ねない人たちは恐怖と絶望と無念の思いで米兵たちの捕虜になったのでした。

座間味島でも米軍上陸の直後に「集団自決」がはじまりました。あらかじめ村の職員から忠魂碑前に集合するように連絡がありましたが、激しい砲爆撃で集団行動は困難になり、各自の壕内で家族単位で決行することになりました。部隊から支給されていた手榴弾や各自のカミソリが多く使われましたが、なかには一本の縄で20人が次つぎ首を締めて自殺をとげた壕もあります。農業組合の壕では村長以下の村の職員約60人が全員「自決」して1人の生存者もありませんでした。

渡嘉敷島では上陸の翌日、山中に追いつめられて行き場をうしなった村民が、玉砕場とよばれる谷間に集結し、防衛隊が家族ごとに手榴弾を配り、村長の号令でいっせいに自爆を決行しました。しかし、手相弾は不発が多く、死に遅れた人びとは互いに刃物で刺し合ったり棍棒でなぐりあったりして、狂乱状態のうちに集団死へ突進していきました。(以下略)

集団自決の詳しい模様の《かねがね隊長からは「いざとなった時は玉砕するように」という指示がなされていたのです》、《部隊から支給されていた手榴弾》《防衛隊が家族ごとに手榴弾を配り》という1995年の記述は2007年になって、「隊長から」「部隊から」「防衛隊が」という日本軍にかかわる主語の部分が、安倍政権下の文部科学省の史実認識では事実ではないということになります。その理由は沖縄タイムスの報道のように「沖縄戦の実相をゆがめ、戦争の本質を覆い隠して」戦争が出来る国にするためです。