いせ九条の会

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ボルトン前米国連大使/山崎孝

2007-01-19 | ご投稿
【6カ国協議は「失敗」 ボルトン前米国連大使】(1月17日中日新聞ニュース)

17日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ米国のボルトン前国連大使は17日、都内の日本記者クラブで記者会見し、北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議について「失敗した。(同協議を通じた各国の)働き掛けの役割はもう終わった」と述べ、同問題は「現実的には、北朝鮮の現体制が崩壊することでしか解決できない」と主張した。

ボルトン氏は、体制を崩壊させるためには「経済的圧力を強めることと、拡散防止構想(PSI)を組み合わせれば効果が出る」と話し、北朝鮮に配慮する中国、韓国の協力への期待も示した。

1994年の米朝枠組み合意に反して北朝鮮が核開発をひそかに続けていた前例を挙げた上で、6カ国協議でも同様のことを北朝鮮が考えていたとの見方を表明。外交的手段での問題解決には「数千に上る地下施設も含めて、完全に(核開発断念を)検証できなければならない」とした。(共同通信)(以上)

北朝鮮の核問題をボルトン氏は「現実的には、北朝鮮の現体制が崩壊することでしか解決できない」と主張しましたが、この考えは2005年初めくらいの頃のブッシュ政権の考え方でした。北朝鮮が要求する米朝二国間会談もかたくなに拒否をしてきました。しかし、2005年の秋には、北朝鮮は6カ国協議で、北朝鮮の安全を保障すれば軍事用の核兵器を廃棄すると約束し、米国は北朝鮮の核兵器の廃棄を実現すれば安全を保障すると約束します。後はどのような行程で実現させるかで、意見の対立が残りました。

2006年に米国の金融制裁が始り、それに北朝鮮は反発して冒険主義に走り核実験まで行う。国連は北朝鮮に経済制裁は加えたが、軍事的制裁は排除して6カ国協議の復帰を北朝鮮に呼びかけた。その後6カ国協議は12月に再開し、2006年の秋の基本合意は確認されたが、それ以上の進展はなく休会となっていました。

2007年1月16日に、米朝二国間会談がベルリンで6時間に亘って行われ、17日にも行われています。18日も行われる可能性がある、米政府(ヒル国務次官補)は「有用な話し合い」と受け止めていると朝日新聞は報道しています。また、ヒル国務次官補はベルリンで講演し6者協議を「今月末までに再開したい」との考えを示した、と朝日新聞は伝えています。

「現実的には、北朝鮮の現体制が崩壊することでしか解決できない」と主張するようなボルトン氏を、イラクで失敗したブッシュ政権は、米国の国連大使に再任しませんでした。

ボルトン氏は18日の朝日新聞とのインタビューの中で次のように述べています。《イラク国民が一体であろうとしなければ、米国はイラクの領土的統合は保てない。米国はイラクが一つであろうと、(宗派・民族で)3分割されようと、それ自体に戦略的利害はない。われわれの利害は、どの国もテロリストの温床にならず、大量破壊兵器を手にしないということである。》

これはずいぶん無責任な話で、イラクが3分割されるようなことになれば、石油資源のない地域に住むスンニ派の人たちの生活はどうなるのでしょうか。宗派・民族同士の争いの根底のところに、石油資源をめぐる争いがあることは良く知られていることです。それにとても悪い独裁政権でありましたが、フセイン政権は国際テロ組織との関係はありませんでした。イラク戦争そのものが国際テロ組織をイラクに潜入させ、イラク戦争自体がイラク人の一部を過激なテロリストにさせてしまいました。また、貧困がテロリストを生み出すことにつながります。ボルトン氏はこれらのことを認識していないようです。

ボルトン氏の「現実的には、北朝鮮の現体制が崩壊することでしか解決できない」というような考え方は、日本の政治家にも根強くあります。このような考え方が、拉致問題解決には制裁一本槍で、軍事力で国際貢献や軍事力で国威を発揮するような考えの改憲とつながっていると思います。