いせ九条の会

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戦死者たちの犠牲を生かす道は、私たちの掌中にある/山崎孝

2007-01-04 | ご投稿
澤地久枝さんが1月4日付け朝日新聞「私の視点」欄に文章を載せています。以下はその文章です。

【憲法60年 明るい年にしていくために】

 フィリピン戦線でたたかった大岡昇平氏は、30代なかば、妻子ある身を戦闘に投じられ、死は目前だった。「いま日本が手をあげたら、いちばん困るのはルーズベルト大統領だな」と思う。ソ満国境の戦闘で命をひろった五味川純平氏は「戦争は経済行為だ」と見ていた。

 二人のすぐれた文学者の指摘を、この年頭にしっかり思い返したい。戦争体験世代が命をかけてつかみとった「真理」の意味を。

06年の秋以降、生活が苦しくなったという人たちが増えた。保険料があがり、医繚費の自己魚担は増え、年金の手どりは減って、この国が「富国強兵」ラインを行く結果が、生活をむしばみはじめている。

 昭和前期の、戦争前夜の世相と似ていますか、という質問は多い。人々が口をつぐみ、世のなりゆきをうかがって腰を引く、その点では、まったくよく似た世の中がまたしても婆をあらわした。

 この国には今も「お上」に対する脅えが生きているのか。ことなかれでゆくことこそ、安全コースという守りの姿勢はなぜなのか。

 このままでは、歴史はくりかえされる。教育基本法をゆがめ、自衛隊法を変えて公然たる軍隊にし、戦争できる方向が選択された。

そこに主権者である国民の意志はどれだけ反映されているのか? 主権在民をマンガにする政治がまかり通ったのだ。

戦死者ゼロ、福祉国家を目ざした現憲法下の実績の否認がはじまろうとしている。さらにこの反動的選択は、同盟国アメリカの要望への答えであること。つまりは主人持ちの政治であること。命をさしだすだけでなく、アメリカの膨大な軍事費への助っ人の一面をもつことをかくさない。

 大国の誇りにこだわりながら、この国の政治家たちは、従属の現実を無視する。そのアメリカは、イラク侵略の泥沼にあえぎ、まさにもてあましている。小泉前首相はイラク出兵を速断しながら、責任をとらずに退陣、安倍内閣はその政治路線の具体化に忙しい。

 国内の民情悪化とその疲弊は避けがたくなった。選挙で議席を失えば、政治家はタダの人。確実に政治は変わる。政治のあまりの悪さ、蕗骨さに、危機感をもつ市民が全国に生まれた。

もうこれ以上の逆コースは認めない。悪法は押し返し、憲法本来の国にもどろうという市民の意志。悪政はおとなしい市民たちを揺さぶり、無視できない運動を拡大しつつある。希望のタネ、待望の灯は、市民運動によって守られる。

 市民は自衛する。武器なきたたかいだ。考えて思慮を深め、おのれ一人の思いからはじめて、おなじ思いの人とつながる発信。負けることのできない、あやうい政治の動きになお、希望をもちつづける熱源は、一人ひとりの心、決意にこそかかっている。「憲法を泣かせるな」を、施行60年目にあたる今年の合言葉にしよう。

 歴史の犠牲となった死者たちを生かす道は、私たちの掌中にある。いかに状況が錯綜し、本質をかくしても、二人の文学者の言葉は、本質を見抜く鍵、真理として私たちを支えている。(以上)

この「私の視点」欄の上段に、山田紳さんの漫画が掲載されています。処刑されたフセインの亡霊が、ブッシュ大統領を眺めながら、《「早く出よう」とするほど「出口」は見つからんぞ イヒヒという声が耳の奥から…》というコメントが付けられています。

澤地久枝さんは《大国の誇りにこだわりながら、この国の政治家たちは、従属の現実を無視する。そのアメリカは、イラク侵略の泥沼にあえぎ、まさにもてあましている》と指摘していますが、イラク戦争に加担した自民党のイラク政策は、漫画のブッシュ大統領と同じ姿・結果です。この結果の反省もせずに、対米追従の終着点である集団的自衛権行使をする国となれば、日本人の命がお金がこのような戦争、先制攻撃の戦争に費やされる可能性は大いにあります。日本は軍隊を海外に出して多くの戦死者を出しました。この教訓に学び犠牲を生かす道は国民一人一人の掌中にあります。