今期最高の寒さです、 こんな寒さの中で一輪だけ
小さなツバキの木に花が健気に 咲いてくれました。
今日12月8日 1941年 (昭和16年12月8日)
67年前に 山本五十六連合艦隊司令長官ハワイ真珠湾
奇襲攻撃 個人の意見と正反対の決意、(新潟日報の12月8日の
日報抄)から 開戦日の遺書とも言える肉筆 述志(じゆっし)
自分の志を友人に、
『未曾有の大戦にして いろいろ曲折もあるべく名を惜しみ 己
潔くせむの 私ありては 此の大任は成し遂げ得まじ』
『一途邁進の外なき現在の立場誠に変なもの 此れも天命と
いふベきか』
山本五十六の父は 山本帯刀(たてわき)の長岡藩の
戊辰戦争で 河井継之助が銃弾を受けて 戦線離脱したので
その後 受け指揮した大隊長が 24歳の山本帯刀であるが
今 悠久山で河井継之助と並んで眠っている。
24歳で大隊長に山本帯刀は 武田信玄の軍師 山本勘助の
血脈とか、下田から八十里越えでは 鞍掛峠で殿軍(しんがり)
を務めて20日間も務め同盟軍 長岡藩士を 無事に会津に。
会津で散る
山本五十六は 名門 山本家も大正5年 山本家復活、
山本五十六は義理の父 若くして散った会津の地から奥さんの迎えた。
越後毒消し売りの女たち 桑野淳一著(彩流社)より一部抜粋
確か 三根山藩主の菩提寺一山寺 隆崇寺に幕末の家老神戸徳武
山本教子、 山本五十六の叔母の墓碑も
開戦日 5歳でしたから 勿論判りませんでしたが。
小さなツバキの木に花が健気に 咲いてくれました。
今日12月8日 1941年 (昭和16年12月8日)
67年前に 山本五十六連合艦隊司令長官ハワイ真珠湾
奇襲攻撃 個人の意見と正反対の決意、(新潟日報の12月8日の
日報抄)から 開戦日の遺書とも言える肉筆 述志(じゆっし)
自分の志を友人に、
『未曾有の大戦にして いろいろ曲折もあるべく名を惜しみ 己
潔くせむの 私ありては 此の大任は成し遂げ得まじ』
『一途邁進の外なき現在の立場誠に変なもの 此れも天命と
いふベきか』
山本五十六の父は 山本帯刀(たてわき)の長岡藩の
戊辰戦争で 河井継之助が銃弾を受けて 戦線離脱したので
その後 受け指揮した大隊長が 24歳の山本帯刀であるが
今 悠久山で河井継之助と並んで眠っている。
24歳で大隊長に山本帯刀は 武田信玄の軍師 山本勘助の
血脈とか、下田から八十里越えでは 鞍掛峠で殿軍(しんがり)
を務めて20日間も務め同盟軍 長岡藩士を 無事に会津に。
会津で散る
山本五十六は 名門 山本家も大正5年 山本家復活、
山本五十六は義理の父 若くして散った会津の地から奥さんの迎えた。
越後毒消し売りの女たち 桑野淳一著(彩流社)より一部抜粋
確か 三根山藩主の菩提寺一山寺 隆崇寺に幕末の家老神戸徳武
山本教子、 山本五十六の叔母の墓碑も
開戦日 5歳でしたから 勿論判りませんでしたが。
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