昨日訪問した中山道沿いの旧家は、どこも大邸宅と言っていい広さがある。
旅籠をやっていたお宅は当然だとしても、農家もやはり広い。
都会の狭小住宅に住む人から見れば、うらやましい広さだが、
ここに住む人はやはり大変だと思う。土間にある「おくどさん」とは別に
システムキッチンを備えつけた台所が作られてはいるが、
昔ながらの田の字の間取りはきっと使いにくいだろう。
窓もサッシではなく、なつかしい木製だ。
木はアルミより断熱性があるが、それでもすきま風が入るにちがいない。
余談だが、ここの窓はガラスそのものにも年月の重みがある。
工場で作られた均一な製品ではなくて、波打った昭和初期の製品なのだ。
歴史的価値があるので、このまま維持してほしいと思うが、
その一方で、自分がそういうものを受け継ぐ立場になくて幸いだったとも感じる。
こういう家では、人間のほうが不便をがまんして家に合わせなくてはならない。
それに対して、最新の技術を駆使した家、たとえばFPの家などでは、
家が人間に合わせて、かしずいているという気がする。
かしずかれる方がらくちんなのは言うまでもない。