女を捨てず・女に甘えず・らしさを活かす

女性スタッフがビジネス社会で実際に体験したことを中心に「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」をありのままお伝えします。

雨男・雨女

2011-04-25 | インポート

今回はちょっとライトなこんな話題。

 「中村さんが来ると必ず雨が降る

と言われている(言われ続けている)クライアントがある。初めてそのクライアントにお伺いしたのが今から20年前。20年前からとは言わないが、結構前から(何代も前の担当者の時から)そう言われてきた。朝晴れていてもアポイントの時間が近づくにつれて雲行きがあやしくなり、駅を降りて歩いている間に雨が降り出す。訪問時には晴れていたのに、帰る際にはザ-ザ-(雨)状態。

 何度傘を借りて帰ったことか・・・。

 そのクライアントの現在の人事部長が社内でも有名な雨男 イベントの場面で数々の雨伝説を作ってきた(らしい)

 今日はそのクライアントに研修の報告にお伺いする日。朝、自宅を出る際には雨の心配はないと判断し、傘を持たずに外に出た。少々風が強く、肌寒くは感じたが、空を見上げてみると「雨が降りそうな」感じはしない。

 雨男と雨女が一緒になるとお互いのパワーで天気が良くなる・・・ナンチャッテ と思いながら今日一日の仕事をイメージするためにいつものコーヒーショップでコーヒーを飲んでいた。

  

  

その時

 ばりばりばりばりぃ~

とものすごい音が・・・。

 「ひょっとして、今の雷?

と思った瞬間、雨が降り出した!

  ま、ま、まさかぁ・・・

でも、そのまさかが起きたのです。またしても雨です

もう笑うしかない。

クライアント到着して、迎えに出てくれた担当者も顔を合わせるなり、にやり

部長が席につかれてからもまずはこの話をひとしきり・・・・。

久しぶりにお伺いしたが、雨が思いがけないアイスブレイク効果をもたらしてくれた。


心地よい疲れ

2011-04-21 | インポート

 今年の新入社員研修の締めくくりとしてある団体の新入社員研修を3日間担当する(今日はその2日目)

その初日。あってはならないハプニングが発生した。

もともと今回の研修は、143名の新入社員を3クラスに分け3人の講師がそれぞれクラスを担当することになっていた。 

 当然会場は3クラス分準備されているはず、いや当然準備されていなければならない。

 ところが、あるはずの会場がない。な、な、なんと1会場しかない。しかも、10時から開講なのに、9時10分の段階でまだ状況がどうなのか?わからない状態。

 上品なマナー講師を演じるつもりが、思わず朝から

こらぁ~っつ どないなってんねん

おっさん降りてきた状態で担当者につめよった。

 とは言え、いくらつめよっても、お願いしても (会場が)ないものはない

 しかたない

 急遽本来3クラスに分けてやるはずだったプログラムを1クラスで行うことにして5分遅れでスタートした。会場一杯に机を置き、本来2人がけで着席するところを3人がけで、まさに きっちきち 窮屈な状態。

 研修を受講する「環境」としては望ましいものではない。

 スペースが狭い(ほとんどないためワークをするためには机が邪魔になる。何かをするためには机を片付けなければならない。しかも、会場の四隅にのけるだけでなく折りたたんで収納しなければスペースを確保できない。また、会場の後ろの方に座っている受講者はホワイトボードとの距離が遠いため、板書した文字も前で実演している姿も見えにくい。当然講師の声も聞こえにくい。

 それでも緊張感を切らすことなく、ほとんどの受講者が極めて素直で熱心な受講態度

 講師の話を熱心に聞きメモをとり、全てのプログラムに熱心に取り組むのは当然のこと。

 「誰かわかる人」「リーダーやる人」の問いかけにも

 「はい

 と積極的に多数の受講者から手が挙がる。143名という大人数の中で手を挙げるってそんなに簡単なことじゃない。勇気のいること。にも関わらず・・・だ。

 そんな積極的な姿勢の受講者に応えようと講師も当然必死になる。そんな講師に受講者も頑張ってついてくる。この好循環が環境の悪さをカバーしてくれた。

 初日のプログラムの目玉は、グループで『本気で取り組む』チェックテスト1グループ7~8人で16グループ。この16グループが必死に声を出し、グループ全員で合格を目指す。会場は143名の必死の声だしでものすごい状態。全体に指示を出そうと思うと、椅子の上に上ってマイクを握りしめ、さらに最高レベルのボリュームの声が必要。

 その形相は、「講師」と言うよりまさに、

 機械音が鳴り響く工事現場の「現場監督」

 約1時間、大声で声を出し続けた。

最後は、本気で課題に取り組んだ受講者と受講者の本気を本気で受け止めた講師との間に、信頼関係らしきものが芽生えた。

 朝のハプニングへの対処から、後半の声だしまで、正直精神的にも肉体的にもくたくたになったが、気持ちは晴れやか。

  心地よい疲れだった・・・。

 

 


「男の子」「女の子」

2011-04-11 | インポート

 前回のブログを

 は社会とのつながりの中で生きる。それに対しては自分とのつながりの中で生きる

  

と締めくくった。そんな折ウチの社長からこんな話を聞いた。

社長の住む地域ではランドセルのリサイクル活動を行っていて、小学校を卒業する児童達に「自分の使っていたランドセルを後輩たちに!」と呼びかけをしているという。社長の息子は、

「ええでぇ~

と二つ返事でOK。

ところが、「女の子」はなかなか出したがらないらしい。

なぜなら『思い出がつまっているから』。女の子にとってランドセルは「ランドセル」というではなく思い出そのもの。よって、ランドセルを手放すということは思い出そのものを手放すのに等しい。

それに対して男の子は、「ランドセル」は「ランドセル」というそのもの。後輩が使うなら、「喜んで!」という感覚なのだろう。

 

 そもそも「ランドセルを手放したからと言って思い出そのものはなくならない」。

 とは言え、一般的に女は「思い出(の品)を大切に保管し、思い出と共に生きたい」と思考が強い。

 小学生の頃から「の子」「の子」なのかぁ・・・。恐るべし・・・。

 

 男は「自分」を社会という線上に見出してその線を生きる。つながりの中で自分を生かす。

 女は自分という「点」と相手という「点」を結び、その(閉ざされた)点と点の間を生きる。


男の生き様

2011-04-08 | インポート

 「谷四(谷町四丁目=ウチの事務所のある場所)から女性を元気にしよう」活動を始めようとしている。

この活動をスタートさせるにあたって、ここ最近つねに「女とは?」「女のいいとこ・あかんとこ」など、「おんな」について考えている。

 と、不思議なもので「女とは」を考えていると「男」が気になる。

 「男とは?」「男らしさとは?」などなど

 そんな時、今日の朝日新聞でこんな記事を見つけた。

 

 東日本大震災で亡くなった30代後半の警察官の話し。できる限り人を逃がし、自分はぎりぎりのところまでやれることをやろうとして津波に飲み込まれた・・・。

 彼は生前ことあるごとに妻にこう言っていた。

 「自分はいざと言うときは仕事でいなくなる。何かが起きた時、家族の顔がちらついて目の前にいる人を  助けられないような警察官にはなりなくない。」

 自分に何かあったら子供たちを頼む・・・。と・・・。

 男の生き様を見た。

警察官という仕事に対する誇り。人を助けるという役割に対する使命感。彼にとってそれらは家族や自らの「生命」よりも優先されることだったのだろう。これは、にはない感覚。女なら、何を置いても「自分の家族(特に子供)」「自分」を優先するのではないか・・・。

  これぞ。いやこれこそであってほしい。

   男は社会とのつながりの中で生きる。それに対して女は自分とのつながりの中で生きる

 

 


「教科書」ではなく「問題集」

2011-04-07 | インポート

 入社4年目の女性社員とこんな話をした。

 入社3年目までの彼女には「女性特有の(人に対する)甘え」「職業意識の低さ」が感じられ、話をしているとなんとなくイラ立つ。彼女自身もそんな私の心情を察していたのであろう、私と接する際には「びくびく・おどおどした」態度。

 しっくりこない関係だった。

 ところが、この一年間で彼女はいろんな意味で変化した。変化、と言うより「成長」いや「進化」と言うべきか・・・。自分自身の置かれた立場、与えられた役割をしっかりと理解し、「褒められるために仕事をする」のではなく、地に足をつけてしっかりした「仕事」ができるようになり後輩の指導を任されるまでになった。

 

 と同時に、私に対するおどおどした態度もなくなり、自然な表情・態度で接するようなった。最近は彼女と一緒に仕事をするのが心底楽しい。私自身のヌケを指摘してくれることもあり頼もしくもある

 話の流れでこのことに触れた。

中村「ねぇねぇ辛やん、最近は私のこと怖くないの?」

辛やん「そうですねぇ・・・、大分大丈夫です(怖くないということです!悪しからず)

中村「なんで、怖かったん?」

と聞く私に彼女はこう答えた。

辛やん「私、中村さんのことを『教科書』だと思っていました。教科書なので、中村さんの「言うこと」「すること」は全て正しい。だから、自分はそれ(教科書)に従わなければならない。従えばいいんだ・・・と。」

そんなことを思っていたのか?いや、そんなことを(私は)思わせていたのか

続けて辛やんは、

辛やん「でも、中村さんも初めっから(今の)中村さんではなく、失敗したり、悩んだり、落ち込んだりするんだなぁ(=普通の人なんだということです。悪しからず)ということがわかってホッとしたというか・・・」

私は言った。

中村「そんなこと思ってたんや・・・。私が教科書なわけないやん。今でもそうやでぇ~。強いて言うなら(教科書というより)問題集や私という問題集(例題)を解いて、最終的には自分なりの考え方・やり方を確立していくのが大事やねんで・・・」

辛やん「はい 」 ←笑顔が本当に素敵なんです。辛やんは!!

教科書ではなく問題集・・・。とっさに出た言葉とは言え「いい表現だ!」と自画自賛。

でも、その通りだとつくづく思う。

私という問題集を通じていろんなことを考える。自慢じゃないが、ビジネス社会において結構な失敗や頭打ちを経験してきた。問題集としては「ええ例題」を持っている

 中村年女。ビジネス社会における集大成の一回りを「自分という問題集を通じて、人生の後輩たちに『賢く』『自分らしい』活き方」 を問題提起するために費やしたい。