女を捨てず・女に甘えず・らしさを活かす

女性スタッフがビジネス社会で実際に体験したことを中心に「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」をありのままお伝えします。

いつもと違う景色

2021-05-28 | 日記

中村です。

 

私事ですが、先週はじめにぎっくり腰やらかしました
そのせいで、いつものように直立してテンポよく歩くこと
が困難になり、通勤時間が通常の倍ほどかかるなど、様々
な不自由を体験しました。


そして2日前のこと。


この日はゴルフするメンバー達は全員ゴルフラウンド
いつもだったら私もゴルフ組。しか~し、この日はやらか
したぎっくり腰のためゴルフしないメンバー達とお留守番


事務所内はいつものほぼ半分。いつもは営業担当が電話す
る声や打合せをする声でにぎやかな社内が、電話をする声
も少なく静か。


ゴルフしないメンバーのほとんどが女性社員なので、お昼
は一緒にお弁当食べながら女子会状態


話しは、恋愛観や好きになったら自分から告白するかどう
かなど女子トーク。それぞれの価値観がわかって興味深い…

全員の名前が書かれた行動予定表のボードには

外出中 17:00戻り

の文字が並ぶ。外出中のメンバーが担当している業務やそれ
ぞれの客先対応については事前に申し送りがされているので
トラブルもなくスムーズに時が流れていく…


いつもは対応を任せて外出している立場。今回対応を任され
る側でいつもと違う景色を見た。営業担当が安心して外出で
きるのも社内を安心して任せることができるスタッフがいる
から。

追伸:
今回ぎっくり腰のためゴルフのラウンドを1回だけ休んだ
私。1回だけですよ!!それなのに、

「常務ぅ~、ゴルフ辞めはるんっすかぁ

と満面の笑みで話しかけてくる不届き者が…。

「なんでや
「あほか
「やめへんわ

3連発全力で返しておいたことを付け加えておきます。

ぎっくり腰はほぼほぼ完治。ゴルフ辞めるどころか今週末から
軽~く練習復活するもんね~


田村正和の引き際に思う…

2021-05-24 | 日記

中村です。


田村正和が亡くなった。享年77歳。そう言えば、最近テレビ
で見ないな…とは思っていたが、ケーブルテレビで繰り返し放
送される古畑任三郎シリーズ週末一気放送を録画して視聴し
ている私としては、なんとなくその当時の田村正和が現在もい
るとの錯覚に陥っていたのかもしれない。

突然の訃報であり、既に一カ月前に亡くなっていたということ
だが、正直さほどの驚きはない。何年か前、「声がかすれて聞
きとれない」「病気か?」と報道され、それ以降目にすること
がなかっただけに、このような(今回のような)こともあり得
るとどこかで思っていたのかもしれない。


ちなみに、私は田村正和の出演作品は面白いと思うけど、俳
優田村正和が好きか?と言われたら、(好きでも嫌いでも)どち
らでもない。


所謂2枚目で「きれいなお顔やねとは思うが、華奢な体型
やキザに感じる振る舞いはどちらかというと苦手な部類。ただ、
彼の生きざまには共感できる部分が多い。
※全て報道されていることが情報源なので本当のところは定か
はありませんが…



◇冷静な自己認識
⇒親の七光りで世に出たことを十分認識した上で「奢らず」「卑
 下せず」自分のスタンスを確立したところ、すごい!

◇役者としてのプロ意識
⇒プライベートを切り売りすることなく、役者として『役』を演
 じることに徹していたところ。モノを食べているところを極力
 人に見せず、プライベートでも常に田村正和を演じていたと聞
 くと、自分の身内なら「面倒くさい人」と思うけど、そこまで
 徹底するプロ意識がすごい。

◇そして、何より引き際の美学
⇒どの世界にも「その道」で活躍してきたベテランがいる。会社
 員以外の自営業やいわゆる専門職(スポーツ選手や役者含む)
 には基本定年はなく、やろうと思えばいつまででもできる。だ
 から、生涯現役を信条に、命が尽きる直前まで作品や舞台に立
 ち続ける役者や、一日でも長く現役を続けようと努力するアス
 リートも多い。サッカーなら三浦知良、野球なら(すでに現役
 引退したけど)山本昌体操の内村航平など…。


一つの道を究め、継続すること自体は尊いことだと思う。役者で
あれば、年齢を重ねてもその年齢なりの役を演じることができる
し、スポーツならベテランのストイックな姿勢や頑張りが若手選
手に刺激を与えることもある。実際これらを実現している人も多
い。


以降、反論があることを承知の上で私見を述べます。


定年がないからこそ、原則自分の引き際は自分で決める
何を持って引くか?=自分なりの明確な基準が必要で、これが曖
昧だと引くタイミングを見誤ってしまう。


この明確な基準を持つこと。またその基準を持っていたとしても、
「今がその時決断することは難しい



そろそろ引き際かも…は誰しもが感じること。「そろそろ」なの
で今かもしれないけど、今じゃなくてもいい。「もうちょっと…」
「あと少し…」となるのも事実。まだまだ先と思っているうちは、
「その時が来たら『自分はきっちり区切りをつける』」と思ってい
ても、いざその時が来ると踏ん切りがつかない。まだいけると思い
たい自分
もうやめたほうがいいと思う自分が戦ってなかなか決断
がつかない。じたばたするのが人間だし、現実的なことで言うと生
活あるし…。


にも関わらず、「もう十分やった」「もうやりたいことはない」最
後の作品を「酷い」と自己評価して実際の映像は見ることがなかっ
たという田村正和。なかなかできることではない。それを可能にす
るのは、


「十分やった」「これ以上やりたいことはない」と思える達成感と、
誰が何と言おうと自分の作品を客観的に見て「酷い」と評価できる
冷静な目があったから。


田村正和クラスになると、周りはほぼイエスマン。作品を見て、た
とえ、???と思ったとしても誰もそれを具申しない。いや、でき
ない。それどころかたとえ、陰で「あの人も衰えたな…」と陰口を
言っていたとしても本人の前では「さすが田村さんですね」「まだ
まだいけますよ」と口先だけの賛美を口にする人も多いだろう。


恐らく、自分自身の衰えは(本当は)自分が一番良く分かっている。
でもわかるからこそ、周りからの「さすがですね」「まだまだいけ
ます」にすがりたい。それぐらい、以前ほどのパフォーマンスが発
揮できない。以前ほどの輝きがない自分を認め、受け入れるのは容
易ではない。


だからこそ、周りに踊らされることのない冷静な自己認識がすごい


そこに「自分の引き際は自分が決める」というプロと
しての覚悟を感じる。これこそがプロのプライドだと私は思う。


ちょっと話がそれるが、


昔アイドルだったタレントがバラエティ番組に出ているのを見ると
複雑な気持ちになる。相応に年齢を重ね、それなりの演技力を身に
つけて女優として活躍している人もいるが、当時の面影が全くなく
なってしまった容姿でガハハ笑いをしている姿を見ると目を覆いた
くなる。


人はいやでも毎年歳をとる。年をとれば容姿に変化が生じるのは当
たり前。アイドルはつくられた虚像であって、いつまでもそのつく
られた虚像を演じられないのも当たり前。それでも、尚そこにプラ
イドはないのかと感じてしまうのは私だけだろうか。


最近CMでコミカルな姿を披露している大地真央以前の彼女に
対して、ただ単に宝塚出身の女優としてしか認識しておらず、どち
らかと言うとお高く留まっているようであまり好きではなかった私。
でも、最近の大地真央は面白い。大好きになった。凛とした佇まい
で演じるコミカルな演技に彼女の自信と余裕を感じる。


それは、年齢を重ねても衰えない容姿(おそらく、その容姿を維持
するために見えない努力をしているのだろう)と女優として活躍で
きる主戦場がしっかりあるという確固たる自信。その自信からくる
余裕がコミカルな役にも悲壮感を感じさせることなく、むしろ清々
しくかっこいいと思わせるのだろう。


そう、コミカルな設定の仕事(=これしかない)しかないのではな
く、あれもこれもできる中でコミカルな仕事も受ける。シリアスな
役もできるからこそコミカルな演技を真剣に、全力で行うことがで
き、その姿に共感できるのだろう。

 

あんたっ、そこに愛はあるんかぁ~ chu

↑最高です。


私の仕事も同じ。私にも定年はない。だからこそ自分の引き際をし
っかり見極めていく必要がある。現在ではなく今後の会社運営を見
極め、冷静な目で自分を認識し、何ができるのか?何をすべきか?
を考えていきたい。


ついに始動!プロゴルファー島野りおう勝手に応援ブログ

2021-05-17 | 日記

中村です。


このブログでも何度も取り上げている
プロゴルファー島野璃央(しまのりおう)

彼を応援する
「プロゴルファー島野りおう勝手に応援ブログ~雨にも負けず
風にも負けず」が、つ、つ、ついに始動しました


このブログは、島野プロ本人ではなくプロを応援するサポーター
達が、サポーターならではの視点でプロの魅力を発信するもの。
ゴルフの話題はもちろんのこと、勝負の世界の厳しさやどの世界
にも共通する人とのつながりやご縁など幅広いエピソードで構成
されているそう。
くすっ笑えるものから、じ~んとするエピソードまでゴルフが好
きな人はもちろんのこと、そうでない人にも楽しんでもらえる内
容だと自信を持ってお勧めします。

このブログ同様、御贔屓に~

《勝手に応援ブログは以下のURLでお楽しみください》
https://blog.goo.ne.jp/r_shimano-golf


ありがとうの反対語

2021-05-07 | 日記

中村です。



先日ある人からありがとうの反対語について聞いた。


それは当たり前



ありがとうを漢字表記すると有難う
有難しという意味で、あることが難しい。めったにないこと。
その反対語だから「あって当然=当たり前」。



ここまで書き始めて、ふと、以前にこのブログでこのことに
触れたのではないかと気になった。



で、過去のブログを検索して・・・。



見つけました



3年前確かに同内容の記事を書いていた。いや、正確には
(記事を)書こうとしていた。

~以下、当時の記事から引用
中村です。

先日朝の情報番組で、
ありがとうの反対語は「当たり前」という話しを聞いた。

ありがとう⇒有り難し⇒有ることが難しい⇒めったにない
に対して当たり前

・現在の生活
・現在の仕事

それを聞いてハッとさせられた。


ブログはここまで。完成しないまま下書保存し、外部に向け
て発信はしなかった。おそらくその当時、当たり前について
考え、当たり前になりつつある自分を戒めようとしたか、当
たり前にならないための『何か』を発信しようとしていたの
だろう。



そして最近、また当たり前について考えている。



コロナ禍で業界によっては「仕事がない」「給料が入らない」
「家賃が払えない」など生活を維持するのもままならない人達
がたくさんいる中で、


・ 会社がある。
・ お客さんがいる。
・ 仕事ができる。
・ お給料が振り込まれる。
・ 一緒に仕事をする仲間がいる。
・ 苦手分野をサポートしてくれる人がいる。


これらは間違いなく有難いこと。当たり前では決してないし、
当たり前とも思っていない。私だけでなく多くの人がそうだ
ろう。


でも、人の感覚って恐ろしい


なかったものが手に入った。思っていた以上のものが手に入っ
た。あるいは、「この人と思った人と一緒にいられるよう
になった。最初はうれしい 感激 やった~と感じ
はず。そして、それらに感謝し、大切にしようと思ったはず。

しか~し、

それらはやがて当たり前になり、その状態が続くと、後にそれ
がなくなったり元の状態に戻ると不満に感じるようになる。


意識してとるスタンスではなく知らず知らずそうなっていくの
が当たり前・・・。


だ・か・らやっかい。


あって当然だからそのことや人に対する感謝は薄い。また、次
があるのも当然だから、その時・その場面を大切にしない。当
たり前スタンスのベースにあるのは、「あって当然」という驕
りや傲慢さ。「有難う」のベースにある周りへの感謝はない。


で、ある日突然


今まであったはずのもの、いたはずの人がなくなって初めて気づく・・・。


それらが当たり前ではなく文字通り有難かったことに。


でも、それに気づいたときに後悔しても遅い。


仕事柄新卒者と関わることが多く、社内では毎年新卒者を受け
入れる立場の私。

新卒者は当然ながら社会人経験がない。ないから、入社した会
社で見聞きしたこと、してもらったことが社会人としてのベー
スとなる。先輩や上司から指導されたワークスタイル、働く環
境、労働条件等その会社がベース、すなはちその子にとっての
当たり前になる。他を知らないから比べようもない。給料や賞
与も同じ。その会社でもらった額がベースになる。それが高く
ても低くても。


これらを当たり前にしてはいけない。


現状が良くないなら良くしていくためにどうするかを考えて改
善するように動く。そうでないと「どうせ自分は」「どうせウ
チの会社は」と卑屈になる。現状が良いなら、良い環境でいら
れることに感謝し、その環境を継続するよう今度は自ら努力す
る。そうでないと、いずれはそれが当た前になり、最終的には
不満、不満までいかないまでも妥協になる。卑屈や妥協、不満
のスタンスで自己成長は望めない。

新卒者を受け入れる会社の上司や、新卒者に携わる私達はそう
させないようなアプローチをしたい。