神様助けて

会社を良くしていこうと必死で経営している一人のクリスチャン、神を信じる者がどんな風に祝福され、恵まれて行くのか。

逃避からの脱出

2007-05-10 11:17:48 | 零細企業の社長奮戦記
●自分を受け入れる
 巧みな現実からの「逃避」状態から脱出してゆくには、受け入れがたい現実と、受け入れがたい己の無力・無能さを、受け入れることから始めなければなりませんでした。

ある日、私は深い神の愛というものを心に感じ取りました。

それは、何か特別なことがあったというのでもなく、ごく普通の状態で普通の生活のなかでのことです。
私は、どちらかというと、自分の感情のままに行動したり発言したりという側面は少ないと自己判断していたのですが、意外とそうでもない自分を認めています。

私には、考えたことや思ったことを比較的口にしたり、実行したりせずにはいられない性質があります。これは、よい方向に向かうと実に積極的で力強く周りの環境に効果的に働きかけます。
しかし、悪い方向に向かえば、独善的でひとりよがりで、人間関係を悪化させるばかりではなく、ビジネス的な失敗も多く経験するところとなります。

このようなことは、人生経験で誰しもが自然に学んでいるものと思います。

ことビジネスに関しては経営者のポジションと管理者のポジション、実行部隊のポジションは自ずと違いますから、トップの強いリーダシップは欠かすことはできません。

これが、経営がうまくいっている時は、問題がないのですが、うまく行かなくなるととたんに、あらゆるところにひずみが生じてきてトップは苦しむことになるわけです。
それから逃れたい為に、巧みな逃避術を身につけてしまうわけですね。

ある日、神の愛というものを強く感じた自分は、逆に「神を愛することのできる自分」を発見したのです。
男女の感情的な愛や、子に対する親の愛情とも違う性質の「愛」です。

神を愛することのできる自分 → 神が愛してやまない人間 → その中に存在する自分や他の人々 という構図がハッキリと自覚されたのです。

これは自己愛とは違う性質のものと思うのですが、ある意味「自己嫌悪」に落ちいっていた自分自身を、「この上なく愛すべきもの」と感じたのです。

まるまる、そのままの自分、無能で愚かで弱く決断力・先見力に欠けている自分を「かけがえの無い存在」として「愛することのできる」自分を発見したと同時に「他人をも同じように愛する」ことができる(より正確に言えば、出来るような気がする)自分を見出したのです。

この時、自分はなんと幸福なんだろう。と強く感じました。
これは、感情的な男女の愛や肉親に抱く愛とは違った性質の愛で、愛することのできる自分を発見した幸福感です。
そうすると、不思議と、現実に立ち向かう「勇気と覚悟」が自分の内部に生じてきたのです。
 
ちょうど、水が500mlのペットボトルに満タンに入っていたものが、1リットルのペットボトルになったような感じですね。
満タンの時は、文字通りいっぱいいっぱいで、もう張り詰めた状態で、チョットした衝撃でも、栓が抜け落ちるような感じでしたが、器が倍の容積になればチョットや少しの衝撃では何の心配も無いという感じですね。

そのような精神状態になると、不思議と将来のことに思いが到るようになってくるのです。
未来のことに想いをめぐらす精神的余裕が生まれてきたのです。

このような状態は、自分の力や努力で得たのものではありません。

自分は、巧みに逃避し、普通に生活し、普通に苦悩の中に埋没していたのです。

それはある日突然、前触れもなく、突然にやってきたのです。
やって来たのは、「えもいわれぬ深い喜び」なのです。

まだまだ、自分には未来がある。という、喜びですね。


◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって、愚かで弱く罪深く汚れ果てたしもべでありますが、どうかお許しくださいますように。

主は、このようなとるに足らない愚かなしもべを、かけがえの無いものとしてこよなく愛され、主の御霊をもって助け導いて下さっています。
しもべは、およそ人の知るところの「最高の幸福感」というものを味あわせていただきました。

それは、口に甘く腹に苦いものでした。

えもいわれぬ幸福感は一時のものであり、私の中に長くはとどまるものではありませんでした。
しかし、それは当然のことなのです。
私たちは、この地上に住むものであり、この世の君の支配下にあるからです。

しかし、これは一時であれ、神の国の住人としての味わいであったことを確信させるのに十分なものでした。

主よ、我が神よ、あなたの愛と慈しみは、この愚かなしもべの心を掴んで離しません。
しもべは、あなたが真実で約束を必ず守られる方であることをハッキリと自覚しております。

しかしながら、しもべは弱く愚かです。
どうか主よ、この愚かなしもべを助け導いてください。
しもべの、この地上での必要をお供えください。
この祈りと願いとを尊き御子、主なるイエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン

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