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●AからBに変わっていた
私は「その業者さんがそれで良いというのなら立ち会います。」と応えました。
私はそのとき、二週間以上もほっておいたことに責任を感じたからです。
その日に私と、件の依頼主と、不動産屋さんと打ち合わせをしましたが、その不動産屋とはいわゆる“ブローカー”だったのです。
私は、相談されてから自分が誠意をもって対応しなかったことを深く反省するところとなったのです。
ブローカーとは言え、物件が確かであり、買主の希望条件が通るのであれば契約をしない方が良いというアドバイスをすることは出来ません。
しかし、私が幾分でも関わるのであれば、先方にやって欲しいことや契約に関しての条件を提示する必要がありました。
いくつかの条件を提示してその日は解散となりましたが、この日よりこの不動産取引の案件は、私の想像をはるかに超えて困難を極めるところとなっていったのです。
・・・・・・ここまでが前回のブログでした。
本当はかかわりたくない不動産取引案件でしたが、心に感じるものがあって相談者の所へと寄ってみると、ある物件の購入を具体的に進めようとするところでした。
その話しを進めているのがブローカーであり、物件もかなりな金額ですから私は自分の個人的な感情にとらわれて相談にきちんと応じなかったことを深く反省するところなりました。
この取引は二転三転し、結局この物件は買収できなかったのですがこの一連のことで、神が行けと言ったところへ素直に行かなかった、ヨナと同じようなことをしてしまった自分を恥じ入ることになったのです。
最初に相談を受けたときは、Aという物件でその価格が妥当な価格であるのかどうかを問われたのですが、これは決して高いという価格ではありませんでした。
しかし、建築後34年を経過した建物だったので私は賛成しませんでした。
そして、前回のようにそれだけ伝えて二週間ほどほっておいたのです。
二週間過ぎに尋ねた時には、別のBという物件を購入する話しに変化していました。
これが、冒頭に掲げたブローカーが持ち込んだ物件だったのです。
この時、素直に求めに応じなかった私は「申し訳ないことをしてしまった。」と、恥じ入ることになったのです。
この体験から、神があるいは兄弟姉妹(信徒という意味です)がかかわる事についての要請には、可能な限り引き受けていくべきだという思いが私の心のなかに生じて来たのです。
それで、教会から長老の引き受けを要請されたとき重荷だと感じつつ、固辞せず引き受けることとしたのです。
さて、このブローカーには購入にあたり、次の条件の提示を行ないました。
購入原資のうち銀行融資に頼る部分があるので、銀行からの融資不可の場合は白紙解約したいこと。
現在の持ち主の抵当権について、その融資残高を明らかにすること。
引渡は1ヵ月後で、現在の所有者の入居部分は明渡して引き渡すこと。
この三点が、B物件の購入に対しての取引条件でした。
私は、このブローカーの返事を1週間ほど待つことにしました。
その間、相談者と協議して借入する銀行を尋ね、融資の相談を行なうことにしました。
銀行は地銀を利用するということになり、私は融資課長にアポイントを取って融資の相談を始めました。
驚いたことにその地銀ではすでに物件の評価を終えており、申込者の経営内容で融資の可否を検討できる状態でした。
あとで分かったのですが、このB物件は結構有名物件で以前にこの地銀で融資案件として別の購入予定者で審査されていたのです。
地銀の課長の話では通常の金利であればほぼ融資可能であるが、融資金利を少しでも引き下げるとなれば本部の承認がいるので一週間ほど時間がかかるということでした。
これが承認されればとりあえずは資金手当てが可能となるので、その承認を待つことにしました。
資金手当ての可能性が高いと判断した私は、ブローカーからの連絡を待つところなったのですが、一週間を過ぎても何の連絡もありませんでした。
私は、このブローカーを疑い始めたと同時に、このB物件が本当に売り物なのか疑問を感じ始めたのです。
◆今日の祈り
ご慈愛深い父なる御神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く罪深いわたしですが、どうかお許しくださいますように。
主の御手は我が頭上にあって、しもべの上にはあふれるほどの恵みが注がれています。
しかし、この愚かなしもべはその恵みを見るよりも、眼前に立ちはだかる困難や試練にとらわれてしまうのです。
かつてこのような状況を幾度も経験し、主はしもべの必要を必ず備えてくださり、その困難を乗り越えてきたにもかかわらず、またまたしもべはその困難にとらわれてしまっています。
どうか主よこのように信仰も薄く知恵も無く、力も無いしもべですがお許し下さい。
そして、助けて下さい。
ただあなたに助けを祈り求めます。
あなたは力ある御業をなされる方です。
この愚かなしもべの前にある困難を乗り越えさせてください。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申しあげます。
アーメン
私は「その業者さんがそれで良いというのなら立ち会います。」と応えました。
私はそのとき、二週間以上もほっておいたことに責任を感じたからです。
その日に私と、件の依頼主と、不動産屋さんと打ち合わせをしましたが、その不動産屋とはいわゆる“ブローカー”だったのです。
私は、相談されてから自分が誠意をもって対応しなかったことを深く反省するところとなったのです。
ブローカーとは言え、物件が確かであり、買主の希望条件が通るのであれば契約をしない方が良いというアドバイスをすることは出来ません。
しかし、私が幾分でも関わるのであれば、先方にやって欲しいことや契約に関しての条件を提示する必要がありました。
いくつかの条件を提示してその日は解散となりましたが、この日よりこの不動産取引の案件は、私の想像をはるかに超えて困難を極めるところとなっていったのです。
・・・・・・ここまでが前回のブログでした。
本当はかかわりたくない不動産取引案件でしたが、心に感じるものがあって相談者の所へと寄ってみると、ある物件の購入を具体的に進めようとするところでした。
その話しを進めているのがブローカーであり、物件もかなりな金額ですから私は自分の個人的な感情にとらわれて相談にきちんと応じなかったことを深く反省するところなりました。
この取引は二転三転し、結局この物件は買収できなかったのですがこの一連のことで、神が行けと言ったところへ素直に行かなかった、ヨナと同じようなことをしてしまった自分を恥じ入ることになったのです。
最初に相談を受けたときは、Aという物件でその価格が妥当な価格であるのかどうかを問われたのですが、これは決して高いという価格ではありませんでした。
しかし、建築後34年を経過した建物だったので私は賛成しませんでした。
そして、前回のようにそれだけ伝えて二週間ほどほっておいたのです。
二週間過ぎに尋ねた時には、別のBという物件を購入する話しに変化していました。
これが、冒頭に掲げたブローカーが持ち込んだ物件だったのです。
この時、素直に求めに応じなかった私は「申し訳ないことをしてしまった。」と、恥じ入ることになったのです。
この体験から、神があるいは兄弟姉妹(信徒という意味です)がかかわる事についての要請には、可能な限り引き受けていくべきだという思いが私の心のなかに生じて来たのです。
それで、教会から長老の引き受けを要請されたとき重荷だと感じつつ、固辞せず引き受けることとしたのです。
さて、このブローカーには購入にあたり、次の条件の提示を行ないました。
購入原資のうち銀行融資に頼る部分があるので、銀行からの融資不可の場合は白紙解約したいこと。
現在の持ち主の抵当権について、その融資残高を明らかにすること。
引渡は1ヵ月後で、現在の所有者の入居部分は明渡して引き渡すこと。
この三点が、B物件の購入に対しての取引条件でした。
私は、このブローカーの返事を1週間ほど待つことにしました。
その間、相談者と協議して借入する銀行を尋ね、融資の相談を行なうことにしました。
銀行は地銀を利用するということになり、私は融資課長にアポイントを取って融資の相談を始めました。
驚いたことにその地銀ではすでに物件の評価を終えており、申込者の経営内容で融資の可否を検討できる状態でした。
あとで分かったのですが、このB物件は結構有名物件で以前にこの地銀で融資案件として別の購入予定者で審査されていたのです。
地銀の課長の話では通常の金利であればほぼ融資可能であるが、融資金利を少しでも引き下げるとなれば本部の承認がいるので一週間ほど時間がかかるということでした。
これが承認されればとりあえずは資金手当てが可能となるので、その承認を待つことにしました。
資金手当ての可能性が高いと判断した私は、ブローカーからの連絡を待つところなったのですが、一週間を過ぎても何の連絡もありませんでした。
私は、このブローカーを疑い始めたと同時に、このB物件が本当に売り物なのか疑問を感じ始めたのです。
◆今日の祈り
ご慈愛深い父なる御神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く罪深いわたしですが、どうかお許しくださいますように。
主の御手は我が頭上にあって、しもべの上にはあふれるほどの恵みが注がれています。
しかし、この愚かなしもべはその恵みを見るよりも、眼前に立ちはだかる困難や試練にとらわれてしまうのです。
かつてこのような状況を幾度も経験し、主はしもべの必要を必ず備えてくださり、その困難を乗り越えてきたにもかかわらず、またまたしもべはその困難にとらわれてしまっています。
どうか主よこのように信仰も薄く知恵も無く、力も無いしもべですがお許し下さい。
そして、助けて下さい。
ただあなたに助けを祈り求めます。
あなたは力ある御業をなされる方です。
この愚かなしもべの前にある困難を乗り越えさせてください。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申しあげます。
アーメン