![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c3/a8cc3619697aeee7727f61487a16506b.jpg)
足元を見られる
さて、およそいかなる商売も物なりサービスなり、情報なりを売って初めて利益を生み出すことができます。
わたしは、いま「貴金属の買取代行」とういうビジネスもやっていますが、これは買い取ってナンボの世界で、買い取れないと何の利益も生まれません。
これなどは、買い取るのが仕事ですけど、買い取ったものは引き取り先があるから買い取れるのです。
契約は、基準に従った買取品はすべて契約先が買い取るというものですから、「売らざるを得ない」立場だともいえるのです。
しかし、この場合は「売れる」という前提のある「仕入れ」をしているわけですから、同じ「売らざるを得ない」立場におかれていた父の農業とは違いがあります。
朝は日の出とともに起きだし、丹精込めて父のつくったスイカは市場に持っていって、父の期待した価格で競り落とされなくとも、父はこれをもって帰ってしまうことはできません。
理由は、まずスイカは生鮮品です。
当時のスイカの糖度は、現在のスイカよりもほんの少し低かったように思います。
それが理由かどうかはわかりませんが、収穫して最長で三週間ほどが美味しく賞味できる期間だったかと記憶しています。
現実には一週間ほどで店頭に並んだと思われますから、消費者が購入してから二週間ほどが美味しくいただける限度でしたでしょうか。
今のスイカはこれよりもずっと保存の利く期間は短くなっていると思います。
ですから、もって帰って別のところの買い先を探している時間的余裕はあまりなかったのです。
そして、運賃もそれを妨げる要因です。
スイカは一つひとつが非常に重いものですから、運送費も高いのです。
そしてさらに、農家というのは、農産品が工場で生産されて売れるのとは違っていて、当時父のスイカづくりは、正月があけるとともに準備を初めて、収穫して売上げを立てることができるのは7月に入ってからです。
そのあいだ、スイカづくりについて廻るお金は、ただ出るだけです。
もちろんその間、野菜類、その他の産品もつくっていますから、全く入金がゼロというのではないのですが、大概の農家は殆どが持ち出し状態です。
しかも、外れた馬鹿息子(私のこと)に、そんなことはお構い無しにお金がかかっていたのです。
つまり、「売らざるを得ない」立場というのは、その価格では売りたくない。という気持ちはあっても、売ってしまわなければならない。という情けないほど弱い立場にあることを意味しているのです。
俗な言葉でいえば「足元を見られて」いる商売、ということです。
これでは、利益を出してゆくには困難がつきまといます。
生産者が「売らざるを得ない」立場というのは、買取先に買い取り先業者間での競争原理が働いていないと、徹底的に買い叩かれます。
農家も馬鹿ではありませんから、その点は出荷組合をつくったり、市場でのセリを通して買取先に買い取り先業者間での競争原理が働く仕組みのなかで、売ってはきました。
しかし、生鮮品という致命的な弱点はその仕組みでは解消されません。
旬のものというのは、季節が同じなら、収穫時期も同じです。
ということは、売る側の競争原理も市場には働いてしまうということです。
これは、農家に限らずフルーツや鮮魚なども同じですね。
ところが同じ農家でも、この宿命的な立場を乗り越えているところもあったのです。
それは、ヨーロッパに学ぶことができます。
◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く罪深いわたしですが、どうかお許しくださいますように。
主の恵みによって、本日わたし達は千葉・茨城地区合同礼拝を「かずさアカデミアパーク」にて無事執り行うことができました。
参加人数は700名近くもあり主の大いなる恵みに感謝申し上げます。
願わくは主よ、しもべをかえりみてください。
しもべの経営する会社の資金手当てを助けてください。
銀行からの借入れではなく、資本に組み入れることのできる資金としてこれを賜ってください。
新たなる借入れを一切起こさず、資金手当てができますように助けてください。
この祈りと願いとを尊き主、御子イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン
さて、およそいかなる商売も物なりサービスなり、情報なりを売って初めて利益を生み出すことができます。
わたしは、いま「貴金属の買取代行」とういうビジネスもやっていますが、これは買い取ってナンボの世界で、買い取れないと何の利益も生まれません。
これなどは、買い取るのが仕事ですけど、買い取ったものは引き取り先があるから買い取れるのです。
契約は、基準に従った買取品はすべて契約先が買い取るというものですから、「売らざるを得ない」立場だともいえるのです。
しかし、この場合は「売れる」という前提のある「仕入れ」をしているわけですから、同じ「売らざるを得ない」立場におかれていた父の農業とは違いがあります。
朝は日の出とともに起きだし、丹精込めて父のつくったスイカは市場に持っていって、父の期待した価格で競り落とされなくとも、父はこれをもって帰ってしまうことはできません。
理由は、まずスイカは生鮮品です。
当時のスイカの糖度は、現在のスイカよりもほんの少し低かったように思います。
それが理由かどうかはわかりませんが、収穫して最長で三週間ほどが美味しく賞味できる期間だったかと記憶しています。
現実には一週間ほどで店頭に並んだと思われますから、消費者が購入してから二週間ほどが美味しくいただける限度でしたでしょうか。
今のスイカはこれよりもずっと保存の利く期間は短くなっていると思います。
ですから、もって帰って別のところの買い先を探している時間的余裕はあまりなかったのです。
そして、運賃もそれを妨げる要因です。
スイカは一つひとつが非常に重いものですから、運送費も高いのです。
そしてさらに、農家というのは、農産品が工場で生産されて売れるのとは違っていて、当時父のスイカづくりは、正月があけるとともに準備を初めて、収穫して売上げを立てることができるのは7月に入ってからです。
そのあいだ、スイカづくりについて廻るお金は、ただ出るだけです。
もちろんその間、野菜類、その他の産品もつくっていますから、全く入金がゼロというのではないのですが、大概の農家は殆どが持ち出し状態です。
しかも、外れた馬鹿息子(私のこと)に、そんなことはお構い無しにお金がかかっていたのです。
つまり、「売らざるを得ない」立場というのは、その価格では売りたくない。という気持ちはあっても、売ってしまわなければならない。という情けないほど弱い立場にあることを意味しているのです。
俗な言葉でいえば「足元を見られて」いる商売、ということです。
これでは、利益を出してゆくには困難がつきまといます。
生産者が「売らざるを得ない」立場というのは、買取先に買い取り先業者間での競争原理が働いていないと、徹底的に買い叩かれます。
農家も馬鹿ではありませんから、その点は出荷組合をつくったり、市場でのセリを通して買取先に買い取り先業者間での競争原理が働く仕組みのなかで、売ってはきました。
しかし、生鮮品という致命的な弱点はその仕組みでは解消されません。
旬のものというのは、季節が同じなら、収穫時期も同じです。
ということは、売る側の競争原理も市場には働いてしまうということです。
これは、農家に限らずフルーツや鮮魚なども同じですね。
ところが同じ農家でも、この宿命的な立場を乗り越えているところもあったのです。
それは、ヨーロッパに学ぶことができます。
◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く罪深いわたしですが、どうかお許しくださいますように。
主の恵みによって、本日わたし達は千葉・茨城地区合同礼拝を「かずさアカデミアパーク」にて無事執り行うことができました。
参加人数は700名近くもあり主の大いなる恵みに感謝申し上げます。
願わくは主よ、しもべをかえりみてください。
しもべの経営する会社の資金手当てを助けてください。
銀行からの借入れではなく、資本に組み入れることのできる資金としてこれを賜ってください。
新たなる借入れを一切起こさず、資金手当てができますように助けてください。
この祈りと願いとを尊き主、御子イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン