神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

都会のネズミ 田舎のネズミ

2019年10月21日 09時12分20秒 | 病気と健康

ネット、テレビの格段の技術革命によって今や都会と田舎の情報量の格差は

大きく是正された

しかし情報は情報であって、実践とは異なる、例えば六本木の高級レストランの写真や

メニューをネットで見て「**レストランの**料理は高いけど最高だよ」とは誰でも言える

でも遠く田舎に住む者にとっては写真を見た感想でしかない

東京に住んでいる人は、そこそこの収入があれば、会員制でも無い限り

いつでも、そのレストランに行って食べることができる

しかし田舎に住んでいたら、収入が都会の平均以上であっても、暇な時間と交通費

宿の心配をしないとなかなか出て行けず、ましてや何度も行くというわけには行かない

時間的余裕と東京に長期滞在出来る経済力や地位が無いと無理なのだ

しかも、そうしたオシャレでリッチなレストランは大都市に集中している

それは顧客来店頻度の差によるものだ、ここに田舎と都会の決定的な違いが出てくる

情報量は田舎でも都会でもかなり均等に近づいている、しかし現実に利用出来るのは

都会に住む人間が圧倒的に多いわけで、それは都会人のある意味ステータスでも

あるのだ

大都市圏に出て行った高校時代の同級生は、当時は私より遥かに田舎の山村人

だったのだが、同級会などで帰ってくると「田舎はのんびりできていいなあ~」などと

言う、こっちは(おまえに田舎者扱いされたくないわ)と思うけど口には出さない

だけどよく考えてみると、都会に価値観を置くのか、田舎の価値観を満喫するのかは

個々の考え方であって、それを実践して胸を張っている人はたくさんいる

こんな事をいちいち取り上げるのは自分の心の狭さをしらしめているだけなのだ

田舎と都会では文化教養のジャンルも異なってくる

都会ではすぐれたアーティストの芸術や美術、音楽、芸能(一流芸人の)に触れるチャンスが

とても多い

田舎では歴史文化、伝統芸能、民謡、祭り、自然造形、遺構、神事にまつわる文化に

触れることができる

田舎には田舎の楽しみ方があって、田舎同士のネットワークも最近は多くなってきた

例えば古代の歴史に関連する神様を通じてのネットワークとか、中世の商取引があった

地域同士のネットワーク

街道を結ぶネットワーク、同じ産物を通じたネットワーク、同じ災害を経験した地域の

ネットワークなど多種多様に及ぶ

都会は流行に敏感で次々と新しい情報が一ヶ月前の古い流行に覆い被さっていく

めまぐるしい世界

田舎はゆっくりとした時間が流れている世界、ときとしてそれは住民の性格と同化して

めまぐるしい都会人に席巻される

日本ではいかなる国民も住みたい場所に住むことができる、だから田舎からの人口

流失が止まらない、それはなぜか・・・やはり都会に憧れる若者が多い証拠だ

いかに田舎の自然の良さを言ったところで、田舎には若者を留め置く魅力がないのだ

4畳半一間の安アパートに住んでいても都会が良いのだ。

田舎生活を満喫する人は本当に田舎が好きな人ばかりだ、でもそれは現状を見れば

少数派だと言うことがわかる

最近の法要状況を見ていても、都会に住む中年世帯が、生まれ育った田舎の空き家に

数日滞在して、菩提寺で法要を営んでまた都会に帰って行くパターンが増えた

仏壇は田舎の空き家で寂しく、そしてたまに帰ってくる子供達を暗い部屋で待っている

いずれこの都会に住む息子夫婦も年老いて、子供達は離れていき、田舎の家も墓地も

始末に負えなくなる

「墓じまい」が流行語になるのでは、と思うほど急速に増えている

変わっていくのは都会の流行ばかりでは無い、日本人の暮らしや当たり前の生活、伝統

伝承まで変わっていく

葬式もゆっくり変わり始めている、お墓や仏壇は減っていくばかりだろう、海に灰を撒いてくれ

大好きな山に灰を撒いてくれ、葬儀も墓地も必要ないという団塊世代もあらわれてきたようだ

都会にいても、田舎を持つ在民は最後に故郷を思い出すのかも知れない

父も年老いてから生まれ故郷の話しをポツリと語ることが多くなった、田舎生まれの田舎暮らしの

私は都会への憧れを思うけど、故郷を思うことは無い、故郷に住んでいるのだから

田舎のネズミが都会で暮らす、都会のネズミと競争しながら暮らして都会のネズミ化に成功

したもの、失敗して傷心のうちに人生を失った者、都会になじめず田舎に戻った者

様々なネズミ人生がある

純情な田舎ネズミは、狡猾な都会の大ネズミに敵わない、支配されている

世の中は都会ネズミの意向で動いている、地方の都市ネズミには、それでも都会ネズミに対抗する

パワーがある、明治維新が江戸政府を破ったように、それは民主主義の今でも平和裏に

起こる可能性はある

そしてそれが新たな都市文化を産む、結局同じ事が繰り返すだけなのだ

小さな一匹の田舎ネズミの卑屈な心など吹けば飛ぶ、田舎ネズミは田舎でひっそりと

小さな幸せを探して生きているのがお似合いなのだ