12時前、急に激しい雷雨になった、朝から涼しげな感じだっただけに急変に驚いた
でも予報通りなんだな、これが・・・
さて二日目は快晴、朝5時半に目覚めた。
地理不案内な場所なので6時にホテルを出発しようかと思ったが、せっかく
朝食券ももらったことだし、飯抜き旅じゃシャレにもならないから食べることにした
そうなると食事の開始時間の6時半が待ち遠しい
やっと6時半になって食堂へいき海苔と納豆とサラダと味噌汁で朝食を済ます
コーヒーを一杯飲んで、さあ出発だ、相変わらずここも中国人客が多い
カーナビまかせで7時半に出発したが、通勤ラッシュの始まり、国道4号を抜けるまで
渋滞が続く、やっと県道に出て速度が上がった
やはり予想より遥かに遠くて、宇都宮から50km位はあったようだ
広い道で神社の看板を見つけた、細くて薄暗い林道に入った、神社まで3kmくらいか
急に気持ちが昂ぶってきて、右腕がしびれるような感覚になった、なぜ緊張してるんだろう?
いったん車から降りて、杉の木のオゾンを吸ってみた、ようやく落ち着いた
直に神社の入口に着いた、なんだか音楽や神楽の曲が混じって流れていて、賑やかだ
凛とした神聖な場所には思えない、どちらかと言えばメルヘンチックといった方が近い雰囲気
すぐに駐車場を見つけて外に出たら、もう蒸し暑さが始まっている
私が今日の参拝者で一番早いようだ
最初に7mの大フクロウの参道へ、急な石段を登るとすぐに四柱に乗った大フクロウの下に
着いた、おじさんが二人掃除をしていたので「おはようございます」と声をかけた
それから、中央にある芯柱を見たら、「バチで三回叩いて苦労をたたき出してください」と
書いてある、まず最初のおつとめ、すり減っている柱を叩いた
それから四柱の一本一本に両手を触れて、それぞれの柱の効能を願った
そこで願い事を書き、お金を入れてポストに入れた
次は本殿に参拝、この石段左右は茨城県と栃木県に別れている、二県にまたぐ珍しい参道なのだ
鳥居をくぐると仁王門がある、その手前で身を清めて急な長い石段を上がる、苦労にかけて96段
往復すると2×96でフクロウ(不苦労)になる
本殿横からは散歩道になっていて、様々な紫陽花が咲く
道を上り下りして歩く、見晴らし台やお稲荷さんなどもあって参拝しながら歩いた
帰りになったら、3グループが上がってきた、いずれも女性ばかりだった
おおよそ一時間神社で過ごし、神社の方と少しおしゃべりをして、みんなへおみやげにお守りを
買い、神社を後にした
父の義祖父の故郷、馬頭町を見て、更に北へと走っていくと那珂川の流れが見えてきた
古くから、河口の那珂湊から栃木県の黒羽まで水運が繋がっていて、それぞれの海産物や
農産物が上り下りしていたという
地図を見ると馬頭や黒羽は、川を挟んだ山の中というイメージがあるけれど、それは3000m
の山を背にする私の感覚であって、低い山はあれどもほとんど平らで、場所によっては、我が町より
遥かにひろい平野が広がっていた
栃木県にも2500m級の山が連なるが、それは北西部の日光市に集中していて、県央の東側は
茨城との県境付近が300~500mの小山が並び、黒羽から大田原にかけては200m程の
扇状台地の様に見える、豊かな農業の村だったような気がする
我が家も私の祖母が幼年時代までこの地で産まれ過ごし、小作人を雇って年250石の米が
あがる(現代の1500万円から2000万円に相当とか)豊かな家だったと言うことだ、
祖母はお蚕ぐるみ(絹の着物)を着せてもらったと、父に言ったそうだ
その家が急に衰退して、娘、母、祖母の女三人で故郷を追われるように宇都宮へ出たのが
明治40年の事だった、さらに南下して茨城の古河に落ち着いたのは大正の初めだった
そこで父は生まれて、貧しい暮らしの中で生きてきたのだった
古河は3度行ったけど、黒羽は初めてなのだ、那珂川を見た瞬間、感無量であった
次回はこの町に宿を取って、歩いて見てまわりたい、車ではゆっくり見ることもできず、狭い農道にも
入れず消化不良だった
昼食は3km程離れた道の駅「与一の里」で、大盛りとろろ蕎麦を食べた、なかなか美味しい
那須与一資料館にも入ったが、客は私一人で、館の受付の女性が最後までつきっきりで説明して
くれた
那須与一は弓の名手で源平の合戦で屋島の戦いの時、挑発する平氏の小舟に揺れる扇を
波打ち際から射て、見事に命中させた有名な逸話である
館の案内の女性から聞いた、与一伝説
*与一から扇までは75mくらいだった、これは道の駅の与一の銅像から、資料館の入口までの
長さなので確認して実感を味わってください
*与一は11人兄弟の末子で、10人、余り一人で「余一」=与一と名付けたとか
*与一、この時18歳とも20歳ともいう、いずれにしても若武者
*与一の兄弟は源氏に味方したのは与一と兄一人、残りは平氏に味方した、しかし平氏は負けて
滅んだ、与一は兄たちを探して、自分の功績とひきかえに許してもらい、那須地方の領地を
分けてやり、それぞれが那須地方の領主として繁栄した。
お客さんはいなかったが、館内の劇場で上映される人形劇シアターはなかなかの見物であるから
行ったら是非、見てほしいと思います、15分ほどの寸劇ですが面白い、あっと驚く!
コンビニに車を置いて先祖の地に向かって5分ほど歩いたが、35度の猛暑でとても無理だった、
片道5時間かかる遠い所だけれど、来年もう一度来て、今回行くことができなかったゆかりの
雲巌寺にも行ってみたい、那珂川縁を歩きたい、遠い祖先の地を歩いてみたい。