神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

銀座で

2019年06月12日 18時48分37秒 | 旅行 関東.東海

銀座・・・東京だよね まさに

 

祖母は栃木県大田原(黒羽)で産まれて、宇都宮を経由して茨城県古河でしばらく

婿をとって世帯を持ったが離婚、鬼怒川温泉に出稼ぎに行っているとき祖父と出会って

東京で同棲を始めたのが昭和六年頃のこと

祖父は東京市日本橋三代町(現.兜町)で明治半ばに産まれ、その三代前、天保時代まで家督相続して

いるかられっきとした江戸っ子だ

大正13年の関東大震災で日本橋の家は被災して、東京のどこぞを点々としたようだ

それから22年後の3月10日に亀戸で米軍の東京大空襲で二人とも命を失うのだが、祖父は未曾有の

10万人規模の死者という大災害を二度も経験したのだった

その祖父と祖母は鬼怒川温泉で出会ってから東京に戻り上野御徒町で同居をはじめて2年後、昭和八年頃

に父を古河から東京へ呼び寄せた、だから父は江戸っ子では無い、そして運命の亀戸へ引っ越した

その後は仕事や戦争で神田三崎町、品川田町、そして戦争で調布飛行場の防空部隊に入隊

そして戦争があって紆余曲折、父は北陸路に流れて住み着き、私が生まれた

私はこの田舎で70年近くずっと暮らした典型的な田舎暮らしの日本人だ

銀座という名前しか知らない私が3年間、なにかがあって毎年1回銀座のホテルに泊まる

今年はまだだけど去年は銀座キャピタルで泊まった

で・・・ご一緒した物作り会社の会長さんが

「yottinさんは東京詳しそうだから、デパートへ一緒に行ってほしいんだが」

ゴルフのブランドシャツを買いたいのだそうだ、83歳ながらかくしゃくとした長身の紳士

頼まれたら断ることはできない(銀座なんか全く知らない、皇居周辺もわからない

東京は点でわかるけど、線で繋ぐことができない

上野ー浅草ー亀戸ー両国ー錦糸町ー御徒町、この線の内側なら歩けるけど

あとは台場島ならなんとか)

タブレットで周辺のデパート探し(会長には内緒)三越発見、四丁目から右折まっすぐ行って

そこにある

時間が来てホテル前でタクシーに乗った、私を信頼している会長の手前、知ったふりで

「三越まで」

「日本橋ですか? 銀座ですか?」 

うん? 東京はワンフレーズで終わらないのか

「近い方にしてください」

「じゃあ銀座ですね」

 

下りてすぐに入り口 入った「いらっしゃいませ」荘厳な雰囲気

中に進んだ

「yottinさん、ここ違うんじゃないか?」

確かに違う・・・どうやら和光に入ったようだ

そそくさと退散 向に渡って今度は三越

お目当てのブランドが無い 店員さんに聞いたら

「ここでは扱っておりませんので」

がっくりしたら

「近くのデパートに問い合わせてみます」

お-親切

「松屋さんにあるそうです」

「どこですか」

「ここを出て右に行くとあります」

ようやくお目当てのブランドを3枚も得て会長さんご満悦

私も一応合わせまして1枚だけ購入、普段着ている物とはレベルが違う

ちょっと見栄を張ってみたが・・・

でも後日、質の違いがよくわかった

 

さて帰り、またタクシーを拾って

「キャピタルホテルまで」

「どこですかねえ?」

東京のタクシーは行き先を知らないと聞いていたが・・・

「まっすぐ行って突き当たったら築地本願寺の前を通っていけば右手にあるよ」

「何丁目ですかねえ」

そんなの知るわけ無い! ちょっといらつく

のろのろ走りながら不安げな運転手 そんなに遠くは無いはずなのに

キョロキョロしながら

「この辺ですか?」

(だからわからないって、わからないからタクシーに乗ったのに

「私、きのう九州からでて来たばかりなもんで」とか言う?)

思い出した!

「新富町の駅の近くだよ」

「そうですか、あああれが駅です」

「じゃあここでいいよ、探すから」

「でもホテルもそこですよ」

あった、あった・・・東京は疲れるね