神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

無で伝える

2019年06月06日 08時34分40秒 | 宗教

心がざわついている 信念は機能しているけど雑念が襲ってくる

今朝は久しぶりに朝から仏壇の前に座ってみた

お線香を焚いて「なむあみだぶつ」と声を出してみた

10回ほど繰り返した

この言葉は「阿弥陀様にすべてを委ねます」という意味だという

それで気づいたのだけど、これは自分の為の祈りなのか、仏様の死後のための

祈りなのかがわからない・・・こんど住職に聞いてみようと思っている

昔は神仏に祈ると言うよりは、お願いばかりしていた

「助けてください」「お金持ちにしてください」「**が治りますように」・・・・

今はそんな実現性の無い都合良い考えは捨てた

「無心」仏壇の前で無心になることを心がけている、そしてその要領も次第に覚えてきた

なぜ無心が必要なのか

人は言葉で思いを伝える、だが言葉の90%は相手の耳を素通りする

そしてなにより一般人は表現力が下手なので、思いの半分も言葉で言い表せない

むしろ文字の方が思いを伝えるには適している

さておき・・・・そんな故に言葉では無く、心で伝えるのが一番良い

第三者に言葉で伝えても、相手は信じるか疑うかわからない、それは相手から私の心

「真実」を見ることが出来ないからだ

だが無心は、心の全て、自分の全てを隠すことなくさらけ出すことなのだ

嘘も何も無い・・・なにもかもお見通しになるよう心を無にして見せるのだ

自分の真実を見てもらうには相応の日常が必要だ、だが私は自分の醜さもずるさも全て伝えたい

誰かが「それって懺悔だね」と言った 確かに一部分を切り取ればこれも懺悔かも知れない

 

心で父母と対話し、思いを伝え、あるいは阿弥陀さんという象形にすがる

対話と言っても、会話では無い、自ら心の全てを言葉にもせず、考えもせず、映像にもせず

無をひたすら軽い気持ちで見続ける・・・・・・それがどれだけの時間なのか・・・・僅かな時間

やがて雑念が目を覚ます、そしたらおしまい

今日は良い心の対話ができた、少し気楽に一日過ごせそうだ