「業際」を超え・「域際」を超え・「世代の際」を超えて!

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SPAの矛盾Ⅱ

2008年07月31日 | アパレル放談
日本のSPAは下記に大別される。
1)大手百貨店アパレルのSPA業態(ワールド、樫山、サンエイ、イトキン、ファイブフォックス等)
2)小売業出身のSPA業態(ユニクロ、シマムラ)
3)109系のSPA業態
4)専門店アパレルのSPA業態(マツオインター、ジオン商事、ハヴァナイストリップ等)
5)セレクト&SPA(ビームス、UA、パル、リステア、ザ・ファースト等)
6)形だけのSPA=売場を自社ブランドで固めたもの(社名は秘す)
7)海外からの進出組みのSPA(Gap、ZARA、
国内のSPAの夫々にマーケティング、MD、生産、ロジステッゥスや販売、VMD等の手法が異なっている。
これらを一律にSPAとすることには無理が有るのではないかという疑問がある。
アパレル系のSPAは、旧来の委託的な条件から進化させたものであると言えよう。
生産面や販売面での脆弱さは真のSPAと言えないと考える。
ロジスティックスや管理面においても従来の卸型のシステムや規範を改変しないままでの多店舗展開が規模の拡大とともにその矛盾が露呈しつつあるように見える。
SPA化により、POSシステムにだけ頼る傾向が強く、アパレルの本来の強みであった企画機能を○投げ、半投げと言われるアウトソーシング化が横行した。
その結果として、ブランドロイヤルティー(ショップロイヤルティー)を無くし、同質化の要因となった。
マーケティングの面からも、その出店が、百貨店からSC、路面店、ファッションビル、専門店とのFC契約等の無秩序なものであった。
その無秩序な出店は、後にMD面での混乱の要因となった。
アパレルのSPAは旧来の委託取引からの脱却の手段としては、販売利益率のアップと言う一定の効果はあったが、一方では経費の増加、販売ロスの増加、キャッシュフローの低下等の問題を抱えることになった。
大手アパレルの多ブランドによるSPAは、今後見直しが迫られてくる考えられる。




SPAの矛盾

2008年07月30日 | アパレル放談
百貨店、専門店、量販店、通販などがどのようにして、「業界矛盾」に陥り、成長から徐々に衰退の道をたどっているかを投稿してきました。
多少の独断、予断があるとは思いますが、現状の厳しい環境に至った要因と考えています。
アパレル業界の新しい業態として十数年でその地位を確立?したSPAについても同様の危惧を持っています。
日本のSPAの実態は、その語源(Speciality Store retailer of Private label Apparel)通の内容になっているかというと、疑わしいところがある。

日本のSPAの代表格のユニクロは別として、SPAというカテゴリーに入れるには問題のあるものが多い。
それについて、次回から私見を投稿します。

委託取引の歴史的考察?(通信販売業界編)

2008年07月24日 | アパレル放談
通信販売業界も他の流通業界と同様「業界矛盾」の中で成り立っていると断定しても過言でない。
アパレルの通信販売の源流は千趣会の頒布会組織からと考えられる。
当初は千趣会のバイヤーがアパレルの展示会で発注し、そのサンプルを掲載し、頒布会組織に販売したのが通信販売の始まりと記憶している。
当初は、バイヤーの経験と能力不足は如何ともし難く、その補強のために、アパレル企業のデザイナーやMDが、今で言うところのヘッドハンティングで入社し、バイイングを強化した。
その後、ムトウやセシール、ニッセン等の参入とアメリカ通販のシステム導入で通信販売業界は巨大化した。
急激な規模の拡大はMDシステムの精度の低下につながり、発注商品や原料の未引取り等の問題が多発した。
通信販売業界の推移は量販店のマスマーチャンダイジングの稚拙さによる「矛盾」と類似している。
量販店の取引先が経験したのと同様に多くの悲惨な結末を招いた。
その後、大手の商社がアパレルOEM事業の規模的拡大を求めて、通販業界のOEMに参入したが、量販店OEMと同様の結果となった。
一方、メジャー系の通信販売に比べ、百貨店通販やラグジュアリー系や特化型のマイナー系の通信販売が、その規模は別にして、着実に成果を上げている例が散見される。
納入業者(主にメーカー)の取引に関する満足度が高いことが注目される。

委託取引の歴史的考察?(量販店編)

2008年07月23日 | アパレル放談
アパレル業界や百貨店、専門店の厳しい現状は、委託取引、派遣制度、延勘定等の「業界矛盾」の商慣習が起因しているとの「仮説」を基にして投稿している。関連記事 関連記事Ⅱ 関連記事Ⅲ 関連記事Ⅳ 関連記事Ⅴ
百貨店だけでなく、GMS(スーパー)や通販業界でも形を変えた「矛盾」が常習化してきている。
昭和30年代に「主婦の店ダイエー」がオープンし、その後各地に「バッタ屋」と呼ばれていたディスカウントストアーが開店した。
その後、ニチイ、ジャスコ、イトーヨーカドー、西友などが合併、吸収を繰り返しディスカウントストアーからGMSに成長し巨大化した。
イトキンやレナウン、桜屋(クロスプラス)等の専門店、百貨店アパレルや、中小の繊維専門問屋(商社)等もGMSを有力な商圏として取引を開始した。
ジェネラル マーチャンダイズ ストアーとして、セントラルバイイングを強化し、合繊メーカーとのWチョップブランドや海外生産商品が盛んに行なわれた。
昭和48年のオイルショックを契機として、大手アパレル等の取引が縮小し、名岐地区や大阪の中小アパレルや繊維専門問屋との取引が主力となった。
その後GMSの再編(ニチイ、長崎屋等の倒産)で、多くの中小量販店アパレルの倒産で悲惨な状況を目の当たりにすることになった。

一方、巨大化したGMSはその商品調達を大手商社に求めた。
大手商社も資材・原料中心のビジネスから製品アパレルへの参入の魅力で、こぞって参入した。
これによって「新しいの矛盾」がGMSに加わった。(この「新しい矛盾」についてはBlog読者の想像にお任せする)

多くの矛盾は、GMSは平場売場不用論がささやかれる中で平場売場の委託売場(メーカーの売場)等の新しい矛盾に向かって邁進している。

一方では厳しい市況にもかかわらず、ユニクロのマス・マーチャンダイズ成功により、成功を収めていることは注目すべきことと考えられる。


繊研新聞創業60周年記念号

2008年07月22日 | 今様隠居道
今朝の繊研新聞は創業60周年記念ということで「Fashion Histry’60」のタイトルでファッション業界の歴史が掲載されていた。
このBlogで倒叙的に繊維アパレル業界の歴史を投稿している者にとっては、貴重な参考資料となる。
資料として大事に保存したいと思っている。
今日の繊研新聞の中に興味深い記事があったので、この記事についてコメントしたい。(今投稿しているアパレル業界の構造的な問題の委託取引についての投稿は次回)
「豪華客船の旅に商機」という3面(総合)の記事に興味を覚えた。
シニアに人気の飛鳥Ⅱクルーズのフォーマルディナー用に高額婦人服、フォーマルドレスが売れていると言う内容の記事であった。
実は、私も今年の5月に初めてクルーズを経験した。
繊研新聞社は創業60年とのことですが、私も今年でアパレル業界での仕事が40年になり、その40年を記念し、区切りをつける意味もあり、夫婦でアラスカクルーズを楽しんだ。
今日の記事は、日本の飛鳥Ⅱについて書かれたものですが、クルーズには「ラグジュアリークルーズ」「プレミアムクルーズ」「カジュアルクルーズ」の三つに大別されており、日本の飛鳥Ⅱは5万トンほどの大きさで、ラグジュアリークルーズに位置づけられている。
どちらかといえばヨーロッパのクルーズをイメージしている。
世界的にはアメリカの10万トンクラスのプレミアムやカジュアルクルーズが人気が高いようだ。
私のクルーズはプレミアクラスだったが、33平米のバルコニーバスタブつきのゆったりした部屋で充分満足した。
フォーマルディナーも10日間ほどのクルーズ中に2回あり、タキシードとカクテルドレスで楽しい夜を体験した。
その他のディナーはスマートカジュアルでくつろいだ夜だった。
日本人は20名ほどのツアー客が乗っていたようだが、総勢2、600人の乗船客から見れば1%にも満たず、ほとんど顔を会わせることなく、夫婦で気楽なクルーズが楽しめた。
乗船客のほとんどは、アメリカの中産階級のリタイアした夫婦が中心で、日本との差を感じるとともに、近い将来に日本でもこのような時代が来るような予感がした。
ラグジュアリーな飛鳥Ⅱのクルーズもさることながら、プレミアムクラスのクルーズの洋上のリゾートも注目しておく必要がある。

私がクルーズ旅行をしたと話すと、こぞって「豪勢でいいですね」「暇があっていいですね」「羨ましいですね」といった言葉が返っくる。
案外、時間は別として、プレミヤムクラスだと手の届く金額といえる。
家内も楽しんだ様子で、次はカリブ海かオーストラリアに行きたいと
早速、「つもり貯金」を始めたようだ。

リタイアされた方や時間の余裕のある方は、プレミアクラスのクルーズをお勧したい。
最寄りの港から乗船する2週間程度のクルーズをお勧めする。

リタイア後の夫婦のこれからの「スローな生活」の船出に、
「スローな船旅」に船出するのは最高と考える。

委託取引の歴史的考察?専門店編Ⅱ

2008年07月18日 | アパレル放談
専門店は昔は全てがセレクトショップだったと言えます。
初期の専門店の殆んどが個店で、今のようなチェーンは例外的でした。
昭和40年代の高度成長と女性の社会進出(職業につく)によりヤングファッション商品を品揃えするナショナル、リージョナル専門店が出来だした。
鈴屋・三愛・鈴丹・玉屋などがリージョナル専門店からナショナルチェーン専門店へ急拡大した。
今のSPA的ではなく、アパレル(当時は未だアパレルとは呼ばれていなかった)からの商品仕入れが中心でした。
それらの店は全国的な販売力を背景に買い取りから委託の取引が自然発生的に行なわれました。
その他地方の専門店も力をつけ有力専門店が全国各地に出来た。
それらの地方有力専門店は、地元のファッションビルや近郊に出店を強化し、リージョナル専門店として力をつけた。
力をつけた地方有力店も、その力を背景に徐々に委託的な取引も行なわれだした。
アパレルもその販売力を利用し、ワールドやイトキンなどがフランチャイズ的なオンリーショップ政策で、シェアー拡大を計った。
昭和50年代に入り、BIGI、ニコル、ファイブフォックス等のDCブランドがその流れを加速させた。
中堅アパレルもこれに加わり、専門店は買取制から、条件付き買取制(返品・値引・延勘定容認)に移行していった。
専門店がセレクト的なバイイングからブランドセレクト的なバイイングになり、その力を弱めていった。
その後、DCブランドの衰退や、ワールド、イトキン等の専門店取引撤退や中堅アパレルの弱体化等が専門店取引の混乱に拍車をかけた。
現在の専門店取引は、殆んどが返品容認付き買取か、営業マンとバイヤーとの絶妙(奇妙・巧妙)?な商売によって成り立っているといっても過言ではない。





委託取引の歴史的考察?専門店編(Ⅰ)

2008年07月11日 | アパレル放談
専門店はアパレルの歴史と同様に戦後の昭和25年ごろが起源と考えても良いだろう。
もっとも、ファッション商品というほどのものでなく、闇市に毛の生えたようなものであった。
戦前の呉服屋、切売り生地屋、毛糸屋、小間物屋、洋品屋、洋装店等が中心であった。
その他、地方都市には、よろず屋などが制服や事務服・作業服、肌着なども扱っていた。
それらの店が現在の専門店の発祥と言えよう。
今でも○○洋装店、○○洋品店、○○毛糸店、○○百貨店という商号が残っているのをよく目にする。
それらの専門店の商品仕入れは、主に現金問屋や地方問屋(地方の呉服問屋)からの仕入れが中心でアパレル(婦人既製服製造業)からの直接仕入れは極まれであった。
婦人服製造業者が直接専門店への直卸が始まったのは昭和30年前後であった。
それまで前売り座売り(現金卸)が中心で船場ではイトキン㈱(糸金商店)が最初に前売から地方も含めた直販を始めたと聞いている。
当然当時は買取で現金が原則であったことは言うまでも無い。
また、本来専門店とは今で言うセレクトショップであった。
アパレル(婦人既製服製造卸)もトータルブランド志向ではなく、セーター・ブラウス・スカートなどの単品アパレルでした。
セーターのワールド、ブラウスのイトキン・東京ブラウス、スーツのラピーヌ等自社の生産ラインを生かした単品卸であった。
それを専門店主がセレクトしブランドミックスの品揃え方のセレクトショップであった。
当然、仕入れは厳しく、下代商売が中心で、大玉のソロバンで商売上手な店主とのソロバン珠の上げ下げの値段の攻防に苦労したものであった。
当然買取が原則で委託という概念など入り込む余地すらなかった。
当時、返品が帰って来ようものなら、上司にこっぴどくしかられたものだ。

レナウン、郡是、ワコールなどのインナーメーカーがブランドを打ち出し専門店にコーナーを取りスペース確保の営業が始まった。
その細かい条件や取引の実態については、詳しく知らないが、アパレルの取引内容とは少し異なっていたのではないかと想像する。

アパレル(婦人服製造卸)が単品の買取から「委託・延勘」という矛盾がどのように専門店に、はびこり、定着していく過程を次回に投稿します。

委託取引の歴史的考察?

2008年07月09日 | アパレル放談
「委託取引の歴史的考察」という学究的なタイトルにしました。
それほど大仰な内容ではないので、気楽に読んでください。

百貨店の委託販売制度がどのように変遷し、現在の異常な取引形態が業界に定着しそんれが現在の「矛盾の一つ」となってきたかを振り返ることも重要と考えます。
Blogでその変遷を詳しく正確に記述することは限界がありますが、その概略を記憶を辿って投稿します。(前々からアパレル史の体系だった研究をしてみたいと思っていました。ライフワークとして、少しづつ取り組んで、別の場所(機会)で発表してみようと考えています。)

戦前の百貨店の婦人売り場は、「呉服と生地の切売り、お仕立て、雑貨」中心の時代でした。
戦後の洋風化に伴い、戦前のオートクチュールのデザイナー(先生)によるクチュールとそのプレタポルテブランドが誕生した。

その後、君島一郎、中村乃武男、西田武男、森英恵、芦田淳のデザイナープレタポルテの売場が壁面ショップが構成され、平場売場に、セーター、ブラウス、メリヤス、スカート、ドレス、スーツ、コートなどの単品商品が、生地売場と併設されていた。

その当時も取引形態は委託取引であったが、買取委託的な内容(シーズン末の残品を次シーズン商品に入れ替え)で現在の委託とは異なっていた。
FA制度は無く、一部に販売促進的な意味の派遣制度は部分的に有ったようです。

婦人服の平場を構成していたメーカー(当時はアパレルという業界用語は無かった)は、花咲(スーツ・倒)、ツバメコート(コート・倒・再)、東京プリーツ(スカート・倒)、東京ブラウス(ブラウス・民生)、サガミ(ブラウス・民生)
等の所謂百貨店ヒラバメーカーが誕生した。
その後、樫山、レナウン、三陽商会、東京スタイル、イトキン等が単品平場からトータルブランドのコーナーショップ売場を構成した。
初期の単品平場メイカーの多くは姿を消したが、樫山、三陽商会、東京スタイル等のアパレルは、百貨店のMD政策を巧みに利用し、積極的な委託(店頭管理しシーズン中の商品入れ替え)+ショップ什器負担+FA制度+販促費負担(キャリーバック、カタログ、DM)+顧客管理など百貨店に代わってアパレル側がMD、販売、顧客管理、ショップデザイン、販促・イベントなど全てを百貨店に代わって代行した。
百貨店の営業体質を利用し、次々に自社商品のブランディングに成功した。

消費の拡大の波に乗り百貨店アパレルが大きく業績を伸ばし、売上げ1000億円、営業利益10%越えのアパレルが続出した。

その業績を生み出す要因は、委託条件からインショップ条件への積極的な変更であった。
’80年代に全盛を風靡したDCブランドが、その好調の強みを生かし、委託条件より歩率の良い総委託=消化売上計上(インショップ)取引を百貨店に強行に導入させた。
DCブームが去った後に、ワールド、サンエーインターナショナルなどの専門店アパレルが百貨店への進出へとつながり、現在の百貨店売場が構築された。
百貨店側にとっては、総委託による店頭在庫高の抑制や人件費抑制、経費削減につながり、バイヤーの質的低下に悩む百貨店にとっては好都合な取引形態となった。
婦人服の高粗利は百貨店にとって魅力のあるもので、各百貨店が挙って、3フロアー、4フロアーの増床競争に入った。

アパレル側にとっても、歩率のアップや店頭管理、FA管理が自社で行なえ、積極的で自由?な企画、生産と販売が可能になった。
百貨店の増床競争は、アパレル側の他ブランド化にとって都合の良いものであった。
まさに両者の利害が一致したと言える。

その仕組みは、百貨店の坪効率が100万/坪以上、FA効率300万/人以上の目論見で成り立つものでした。(注)当時の概算で各社の環境により異なる
その後、百貨店の坪効率は下降し続け、当時の60%台まで下落し、その後の売上減少の歯止め策として行なった、営業時間延長、定休日無しの営業政策は、アパレル側にとって、FAのシフト制により、人件費増加の原因となった。

坪効率の低下とFA効率低下が百貨店アパレルの業績に影響しだした言える。
アパレル側の対策としての政策が、「上代の引き上げ、海外生産によるコストダウン、アウトソーシングによる経費削減等があげられる。
その結果、品質と価格、同質化等による、百貨店からの顧客離れを産む結果になった。
これから日本のアパレル(ファッション)業界は、この「矛盾」に取り組まなければならないことになる。

次回は専門店の取引の実態について投稿します。

(注)品質とは縫製や素材等の物性的な質ではなく、ファッション性=ファッション品質を意味します。顧客離れはこの低下が要因と思われる(セレクトショップが海外のファクトリーブランドやマイナーブランドに重点を置いたことでも理解できる。空洞化してしまった今では、このファッション品質のアップは大変だと危惧する。


後記1

この記事を書こうとしていたら、今朝の繊研新聞の一面トップに「夏のクリアランスセール、好スタート」、「一転、上昇基調」「客数。売上ともに伸び」の見出しが躍っていました。
投稿を取り止めようかと迷いましたが、一人の自説(偏見)として投稿しました。
2、3年後にこの記事のアーカイブをクリックしてみようと思い生ます。

後記2
百貨店との取引を経験されている方はごぞ存知と思いますが、「委託取引」の伝票は存在しません。
以前は存在したのですが、大資本の百貨店による独禁法に抵触する可能性があるために、百貨店の統一伝票は「買取伝票」に切り替えられました。
当時、ややこしい取引契約書の中に、「返品を容認する項目」があったと記憶しています。これこそ矛盾の一つでしょう。








アパレル(ファッション業界)の矛盾=委託取引制度

2008年07月08日 | アパレル放談
厳しい市況に直面しているアパレル(ファッション)業界について、「長年のアパレル業界の固有の矛盾」が起因していると、ご批判を恐れずに断定しました。関連Blog記事
繊維アパレル(ファッション)産業の川上~川下の流域に存在する各種の矛盾は、長年に亘り川底に溜まったヘドロが川の流れを悪くし、逆流や氾濫(流出)が見られるようになったのが昨今の状況です。
「業界矛盾の結果」がヘドロと例えられましょう。
特に川下の「委託取引の矛盾」がアパレル(ファッション)業界の「最悪の矛盾」と考えます。
この川下の矛盾が川中から川上までの逆流現象の原因になっているといっても過言ではありません。
私は、業界の委託制度を全面的に否定するものでは有りません。
ファッション産業は流行という不確実な要素が強く、リスクの多い産業です。
リスクに挑戦し、リスクをテイク(吸収)できるブランドや商品は、委託条件で顧客満足が実現できると考えられます。
ただ、現在の百貨店、専門店、TVショップやGMSの平場ショップ、通販等の実態は異なっています。
昨今のアパレルのSPA化も委託条件取引からの脱却のための手段としてしかないのが現実ではないでしょうか?
次回はその委託取引が何時ごろから始まり、どのように「業界矛盾として」定着(ヘドロ化)して来たかを考えてみたいと思います。





アパレル(ファッション産業)界の矛盾

2008年07月07日 | アパレル放談
最近アパレル業界、テキスタイルや小売業界の幹部の方とお会すると、
異口同音に厳しい市況の深刻な話を多く聞きます。
私も長年アパレル業界の現場におり、この手の話は日常茶飯事でした。
大阪の商売人の「どうでっか?」「さっぱりですは!」、「まあまあでんな!」
は、商売の挨拶の常習の言葉でした。
ほとんどが「今年の夏は雨が多くで、さっぱりダメですわ!」、「今年の秋は、残暑でワヤクチャですは!」、「今年は暖冬で・・・・!」など「天気」の話しだったり、「景気が悪るおますな!」といった「景気」のが市況の悪さを「天気・景気」で表現していました。
その他には、「今シーズンは、ファッショントレンドが無くて、新鮮なヒット商品が無く、お客さんの「買い気」がさっぱりですわ!と、お客さんの「買い気」も商売の挨拶言葉でした。
然りながら、商売の終わりには決まって「景気・天気や買い気の悪さを、やる気で頑張ってます!」の大阪商人魂の根性論で締めくくったものです。

「景気・天気・買い気」は時間と工夫で解決できるものです。
これらに比べて、昨今の状況は、少し様相が異なると感じます。

最近の資源問題や金融不安、環境問題、少子化、後期高齢者の問題などは、一朝一夕で解決するものでは有りません。

今ファッション業界で起きている厳しい市況は、この世界的で構造的な要因に加えて、日本のアパレル産業(ファッション産業)の「業界矛盾」に起因するものと考えます。
私は前々から、日本のアパレル・小売業界が、「日本固有の矛盾」の基に成長、発展をしてきたと考えています。
「日本固有の矛盾」とはアパレル業界の商慣習の矛盾を意味します。
川上・川中・川下の中で、長年ハビコッタ商慣習による矛盾に加え、川上・川中・川下間の混乱で発生した矛盾

*紡績・原糸メーカー・産元問屋・染加工・テキスタイルの川上業界の商慣習
*アパレル・ニッター・メリヤス・縫工場・付属問屋間の川中の取引慣行とOEM生産 とアウトソーシング
*百貨店・専門店・量販店・通販等の取引慣行とSPAやTVショップ、NETショップ等 の川下の取引実態

それらの矛盾は、下記のような商取引、商慣習が生まれ、「アパレル常識」になり、「一般的な産業界では非常識」と考えられる制度や取引条件、制度がアパレル業界に定着してしまった。
他者(社)依存と他者(社)犠牲のこれらの矛盾が、結果として、顧客へのヘッジにつながり、そのしっぺ返しをこれから受けざるを得なくなった。
この矛盾解消の取組み無くしては、この構造的な厳しい市況への対応はありえないと思われる。
次回からしばらくこの矛盾に対して、投稿してみたいと思う。

矛盾
①委託取引(買取委託?) ②値引制度 ③FA制度(派遣社員) ④インショップ ⑤売買契約書の無い取引 ⑥長期の手形取引 ⑦延勘定 

矛盾に関連する記事


年金問題

2008年07月05日 | 今様隠居道
しばらく休止していたBlogを先日から再開しています。
私事で休止していたのですが、半年ほどの空白の期間は、私のBlogの内容を冷静に評価、反省するのに却って良かったのではないかと思っています。

先日投稿した「我が家の年金問題」の記事で、私の家内の年金記載洩れが今年の3月の年金特別便で解決したと投稿しました。
この記事の中で、昭和40年代のアパレル業界では、最前線の営業強化に重点が置かれていて、厚生年金やその他の社会保険に対する企業側体制も不備で、社員側も、年金受給も先の事でもあり、案外軽視する傾向にありました。
そんな事から、私の家内のような事例は少なくないのではという懸念を提示しました。先日、私の入社当時の直属の上司の奥様にも同様の事例が発覚しました。
他にも同じような事例が有るのではという懸念が益々増していました。
昨日、20年ぶりに私の先輩に偶然お会いして、久方ぶりに楽しい食事をしました。
その先輩も、私と同様に社内結婚でした。「我が家の年金問題」の話をしたところ、その先輩も「我が家の年金問題」と同様の事例が有ったとのことでした。
先輩も、私の家内と同じように、奥様の在職の記録が洩れが、今年3月の「年金特別便」で判り解決したそうです。
「年金記載洩れ」の投稿記事の事例が、ヒョットしたら、私の現実の想像以上に存在するのではないか?という懸念が現実になってしまったようです。
早速会社に出向いて、その事例を示して、会社としても調査、対応すべきであると、差出がましい事かも知れませんが、申し出でをしてみようと思います。
アパレル業界の他の会社にも、同様の事例が有るのではと思って、敢えて再投稿しました。

年金問題に関連する記事
年金問題に関連する昨年6月の投稿記事

バーゲンセール

2008年07月03日 | アパレル放談
今年もバーゲンセールの時期がきました。
以前のBlogにバーゲンセールの事について2度ほど書きました。
バーゲンの記事
夏物バーゲンの記事
どちらも、アパレルと小売業界の混乱について、アパレル業界の現場から離れた
私からの危惧を述べたものです。
従来のバーゲンセールによる市場の混乱は、小売店が店頭の不振をバーゲン時期を早めたり、
ファミリーセールや特商などのバーゲン催事など、小売業界やアパレル業界の
売れ行き不振や在庫過剰などの供給側の事情が優先したものでした。
その供給側の事情に、お客側も加わって、買い控えや上手なシークレットセール?などの
利用など、供給側と顧客側が、互いに「狐と狸のバカし合い」の状況になっていると
揶揄しました。
今年は少し様相が異なっているように感じます。
テレビや新聞を開く度に、「燃料、食料の値上げ=資源問題」、「サブプライム問題=金融」
「温暖化=環境」、「年金、後期高齢者保険=社会保険」、「国と地方の財政」、「少子化」等、など、ナド
どれも長期化し構造的な問題ばかりです。
心理的に消費から遠退いてしまうのは、理解出来ます。
供給側の問題も「百貨店やSCの低迷」、「益々深刻化する地方の商店街」、「FA採用の採用コストアップ」
「中国生産のコストアップ」、「Webショッピングの台頭」等、など、ナド。
数え上げれば切りが無いほどです。
そのに加え、少子化の影響が、いよいよヤング市場に出てきたようです

バーゲンを「狐の狸のバカし合い」などと揶揄している場合ではない状況です。
効果的な対応策を見つけ出す事は至難の業です。

我々が長年に渡って浸ってきた矛盾を真摯に見つめなおす事しかないと思います。
この矛盾を時間をかけて、一つ一つ解決するしかないと思います。

矛盾=リスクヘッジによる生産と販売
(委託・値引・再販制度・延べ勘定・手形・安易な受発注制度・海外生産偏重・下請け苛め
専門店取引慣行・百貨店取引慣行)