「業際」を超え・「域際」を超え・「世代の際」を超えて!

理論を貫いて実践に生き! 実践を通して理論を究め! 前へ前へと進もう!

委託取引の歴史的考察?専門店編(Ⅰ)

2008年07月11日 | アパレル放談
専門店はアパレルの歴史と同様に戦後の昭和25年ごろが起源と考えても良いだろう。
もっとも、ファッション商品というほどのものでなく、闇市に毛の生えたようなものであった。
戦前の呉服屋、切売り生地屋、毛糸屋、小間物屋、洋品屋、洋装店等が中心であった。
その他、地方都市には、よろず屋などが制服や事務服・作業服、肌着なども扱っていた。
それらの店が現在の専門店の発祥と言えよう。
今でも○○洋装店、○○洋品店、○○毛糸店、○○百貨店という商号が残っているのをよく目にする。
それらの専門店の商品仕入れは、主に現金問屋や地方問屋(地方の呉服問屋)からの仕入れが中心でアパレル(婦人既製服製造業)からの直接仕入れは極まれであった。
婦人服製造業者が直接専門店への直卸が始まったのは昭和30年前後であった。
それまで前売り座売り(現金卸)が中心で船場ではイトキン㈱(糸金商店)が最初に前売から地方も含めた直販を始めたと聞いている。
当然当時は買取で現金が原則であったことは言うまでも無い。
また、本来専門店とは今で言うセレクトショップであった。
アパレル(婦人既製服製造卸)もトータルブランド志向ではなく、セーター・ブラウス・スカートなどの単品アパレルでした。
セーターのワールド、ブラウスのイトキン・東京ブラウス、スーツのラピーヌ等自社の生産ラインを生かした単品卸であった。
それを専門店主がセレクトしブランドミックスの品揃え方のセレクトショップであった。
当然、仕入れは厳しく、下代商売が中心で、大玉のソロバンで商売上手な店主とのソロバン珠の上げ下げの値段の攻防に苦労したものであった。
当然買取が原則で委託という概念など入り込む余地すらなかった。
当時、返品が帰って来ようものなら、上司にこっぴどくしかられたものだ。

レナウン、郡是、ワコールなどのインナーメーカーがブランドを打ち出し専門店にコーナーを取りスペース確保の営業が始まった。
その細かい条件や取引の実態については、詳しく知らないが、アパレルの取引内容とは少し異なっていたのではないかと想像する。

アパレル(婦人服製造卸)が単品の買取から「委託・延勘」という矛盾がどのように専門店に、はびこり、定着していく過程を次回に投稿します。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿