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ル・ボナーのこと  (ソニーファミリークラブで展開)

2006年04月26日 | アパレル放談
ル・ボナーの松本佳樹さんの24日のブログにソニーファミリークラブの通販で5月にオリジナルのポシェットを販売すると書かれていました。(ル・ボナー松本佳樹氏のことは24日のインパナトーレBlog参照してください)

ファッション誌のミセスが掲載したル・ボナーの記事を見て、ソニーファミリークラブが取り上げたようです。
ソニーファミリークラブが新商品の開発によくやる手法です。
これもメディアミックスの一つの事例といえるでしょう。

ブランド名は「松本佳樹」を使用するらしいが、何故ルボナーのブランドを使用しないのかは、彼独特のブランドに対する考え方があるのかもしれない。
ブランドに対する彼の考え方を後日聞いてみようと思っています。

日曜日に彼が話していた事もこのブログに書いています。

彼のバックは素材の革に特別のこだわりを持っています。
イタリヤ、スペイン、フランスなどの革が多いようですが、今回のポシェットの革はフランス産とのことです。
オリジナルで造ってもらっている革だそうですが、入荷が遅れて困っているようです。

その原因は、話題になったフランスの雇用制度の法律に対する反対デモの影響で入荷遅れがしているとのことです。
海外の政治の問題がこんなところにも影響しているようで困っていました。

松本氏自身は日本の革を使いたいようですが、彼のメガネにかなうものは無いようです。
ナメシの方法に問題があるようです。

私の素人考えですが、ナメシの技術の問題ではなく、彼の希望するレベル(内容)のナメシの需要が日本にそれほど無く、コマーシャルベースにならないために生産されていないのではと想像します。

彼は「日本の革を使いたいんだけど・・・」と寂しそうに話していましたが、良い商品を適地で調達する仕組を持てば良いわけですから、別に日本製にこだわる事も無いと思います。

素材原料について何時も思っている事があります。

日本の機能素材や合繊の加工の技術、ナノテク、バイオ加工、少ロット生産、品質管理
特殊プリント等などグローバル化可能な素材製品がたくさんあります。

デニムのカイハラが福山市からグローバル化した例もあり、逆に日本の得意な素材や商品をもっとグローバル化させるべきだと思います。

グローバル化出来ないのはグローバル化しようとする意欲が少ないのかも知れません。
機会が少ないといえるかも知れんません。

官製の大きなコンベンションや大手商社などによる大規模な仕掛けは必要ないと思います。
小さな試みから始められるかもしれません。

想像ですが、カイハラのデニムも最初から大きな仕掛けがあったのではなく、小さな試みから始まったのではないでしょうか?

サクセスストーリーは最初からサクセスのシナリオが書かれていた訳ではなく、成功した後に書かれたものです。
私など大したサクセスをした訳では有りませんが、振り返って見れば、その時、その時に必死で取り組んできた事が結果として成功して、いっぱしのサクセスストーリーが出来上がり、周到な戦略のように見えるものがたまに有ります。

フランスの特殊ナメシの革メーカーは南仏の小さなメーカのようです。
そのような小さなメーカーでも世界のマーケットを相手にしているのです。
その革を輸入しているのは、神戸の六甲アイランドの小さな革バックの工房の職人さんです。





ブランドのこと ル・ボナーのこと

2006年04月24日 | アパレル放談
久し振りに散歩がてらル・ボナーというバック屋によってみました。
ル・ボナーは私の住んでいる六甲アイランドにあります。

先のブログに書いた表参道ヒルズの設計者と同じ安藤忠雄先生の設計のリバーモールにあります。
ご多分に洩れず?入退店の繰り返すモールですが、オープン以来から営業しています。

ル・ボナーは仕事場(アトリエ)とショップが一体となっており、50歳過ぎの松本佳樹ご夫妻の手造り革バック専門のお店です。

私が六甲アイランドに引っ越した時と同じ頃にオープンしました。
(以前は東京でお店を出されていたようです)

オープン当時から、気に入ったものがあれば、時々買っています。

旅行用バックやブリーフケース、財布、小物など重宝しています。
自分の名前を「KUBOZOE]と刻印してもらって「マイブランド」として愛用しています。
時にはカスタム的なオーダーも引き受けてくれます。

革バックは少し重いが使い込むと独特の味が出てきて、愛着がでてきます。
私の旅行用バックやブリーフケースは15年以上使っているものも有ります。

革の素材にこだわり、店主兼職人の松本氏の手造りで、奥様がお手伝いしています。

最近少しエレガントなものも時々出てきていますが、多分奥様の作品だと思います。
仲の良いご夫婦で、仕事もプライベートも楽しんでおられるようです。

昨日お聞きしたのですが、ご夫婦でブログル・ボナーの一日を書いているとのことです。
バックのこと、六甲アイランドのこと、趣味のこと、ライフスタイルのことをブログしています。
ル・ボナーのビジネスブログというより松本家の愉快なホームブログ?といった内容のブログです。
ル・ボナーのバック造りの想いが判るブログで面白い内容です。

ホームページで自分の商品や革のこと、メンテナンスのこと、作品のことを掲載しています。
革のバックに魅せられた職人の思いがつづられています。
(職人といいましたが、一般的な技術だけの職人さんではなく、おしゃれで、センスもあり、流行にも敏感な職人さんです)

いずれもコマーシャルベースでなく、手造りなところがバックと同様に面白いブログです。

「密かなマイブランド」として愛着を感じていましたが、少しずつ認知されていくのもまた楽しいものです。

松本ご夫妻はいたって仲がよさそうなので、ル・ボナーに限って、一澤帆布バックのようにはならないと思いますので、着実にブランドが認知されていくように願っています。

ブランドの一つの行き方・生き方だと思います。

お忙しそうですが、近いうちにジックリ話しをお聞きしたいと思っています。

ホームページのURLを下記紹介します。(ブログはHPから入ってください)
http://www.kabanya.net/


追記
松本氏のお話しでは「安藤忠雄氏設計のリバーモールのデザインを気にいっておられました。
表参道ヒルズの設計で先生のデザインを揶揄した事を書きましたが、
やはりデザインは「良い悪い」の判断はするものではなく、その人の満足感が重要だと
と再認識しました。

セレクトショップのオーナーの事

2006年04月22日 | アパレル放談
東京コレクションについてのブログで日本のファッション界の環境について悲観的な内容のことを書きましたが、昨日久しぶりに会った大阪のセレクトショップのオーナーと話をして、少し希望的な思いがしました。

氏とは30年来の知人です。

今は直接ビジネスの関係は有りませんが、30年以上前に、私がアパレルで新しいライセンスブランドを担当していた時に、お互いに助けたり、助けられたり、苦しく楽しい思い出があります。
彼は私より2歳ほど若いが、今年還暦を迎えています。

20年程前に脱サラし、大阪の下町の小さなファッションビルで品揃えの専門店を開店しました。

品揃えの専門店と言いましたが、インポートのシューズや雑貨を中心に服を上手くミックスしたセレクトショップの先駆け的な専門店でした。

奥様が仕入れや販売をかいがいしく手伝う、典型的な小売店のスタイルです。
1店舗で細々と続けていましたが、梅田や心斎橋、難波の大型のショッピングセンターから出店の声が掛かり、今では20店舗を超えたそうです。

ここまでは良くある成功のパターンですが、他店と違うのは1店、1店に夫婦の想いがこめられている事です。
システム化しチェーン化し画一化して拡大していくのが多い中、コンセプトは守りながら個店のような店つくりになっています。

還暦を迎えながら何時も若々しく(少しミーハーなところは有りますが)何時も夢を語ってくれます。
また昔話になり恐縮ですが、昔の専門店のオーナーには、こんなタイプの方が多くおられた記憶があります。
その専門店オーナがその地にコツコツと文化を育んできたのです。

最近ではこのような方に殆どお目にかかれません。

彼と話しをするとファッションのこと、ライフスタイルの事、ヨーロッパやアメリカの事食べ物の事など時間を忘れての話しになります。

先週行ってきたスイスのバーゼルの時計のコンベンションのことを興奮気味に話してくれました。
直接仕入れの目的ではなかったようで、世界の時計界の大イベントのバーゼルのコンベンションを観にいきたかったとのことです。
パリも今度出店する店のイメージを固めるための滞在だったようです。

彼とは偶然に住まいが近所で、隣組です。
商品仕入れ、店巡回等で海外や国内出張が多く、隣組ですが、日ごろは殆ど顔を合わすことは無いほど多忙のようです。(本人達は全然苦痛と思っておらず楽しそうですが・・・)

こんな店が増えてくれば、日本の環境も良くなるのと期待できます。
久しぶりに彼から夢と希望、勇気を一杯もらいました。

後記
*氏には了解もらっていないので固有名詞は省きました。
 もう少し突っ込んだ内容をお話したかったのですが、何時か氏の了解を得られれば、も う少し詳しく書いてみたいと思います。

*その店の商品は海外商品をベースにしていますが、国内調達を増やしています。
 ただ彼のメガネにかなった商品が少ないようで、OEMをしています。
 彼の情報(感度)を上手くこなしてくれるメーカーが未だ少ないようです。
 こなしてくれるメーカーを探しています。
 われと思わん方は挑戦してみたら如何かな?  
 
*最近「老・壮・青」の言葉をよく耳にします。
 政治の世界やIT産業だけでなく、この業界も「老・壮・青」が必要かも知れません。
 彼と話しをしていて「老」の在り方を考えさせられました。


「東京コレクションを考える」  繊研新聞の記事のこと

2006年04月20日 | アパレル放談
昨日4月19日付の繊研新聞の一面に開催中の東京コレクションのについての記事が出ていた。
記事をご覧になった方も多いと思います。
私は不勉強でショーを見ていないので、内容やその評価についてコメントできないが、この記事で感じたことを書いてみます。

東京コレクションのショーについて記者は下記のように分析しています。

「デザイナーが世界に発信するのなら、ショーでしか表現できない切迫感や世界観、時代認識や美意識を、凄みと高い志をもって真っ向勝負を挑んでいく気概が東京コレクションのショーでは感じられなかった」、
「上手でセンスがいいだけの゛テーストミックスのスタイリスト"発想のショーが増えた」と分析しています。

80年代の川久保玲や山本耀司などの例を挙げて、世界的に成功した、骨太のデザイナーを育てる環境を作ることを提唱しています。

記者のショーの評価やデザイナーの育成する環境つくりの提言に異論はありません。

ただ、デザイナー側の視点から東京コレクションのことを考えてみると違った見方もできます。

ショーを見る観客側の環境も考えてみる必要があります。

パリやミラノのコレクションの観客は、記者の言う「切迫感や世界観時代認識や美意識」を見つけ出す力を持っており、其れを求めてショーを観に来ています。
日本の場合、残念ながら、ショーに来場するバイヤーの多くは、今すぐ売れるスタイリスト発想のブランドを求め、プレスも同様の視点で見ているのが実情ではないでしょうか?(記者は別ですが)
デザイナーにもご指摘のことがある事は否定しませんが、日本のビジネスの環境も起因しているのではないでしょうか?

昔、川久保玲や山本耀司の先輩格の世界的デザイナー氏が言っていたことを思い出します。
「パリのショーは面白いがニューヨークでのショーは怖い。何故なら「ニューヨークではビジネスでの成功が評価の基準にな」、「パリのショーは挑戦が評価となり、それがビジネスにつながる」「その意味でパリでのショーは面白く、楽しい」

このようなマーケットの環境がそうさせているのではないでしょうか?
アメリカと同様に日本のビジネス環境は効率主義のコマーシャルベースの環境が影響しているのではないでしょうか?(挑戦を受け入れられるキャパと余裕・余力が既になくなっている)

骨太の志を持ったデザイナー達が川久保玲や山本耀司のように、パリやミラノに環境を求めざるを得ないのか?
それとも日本の環境が彼らを正しく受け入れる環境を創っていけるのか?

ブランドのこと  一澤信三郎帆布のこと

2006年04月17日 | アパレル放談
話題?の一澤信三郎帆布ブランドについてブログしたら、早速トラックバックが掛かった。
 私のブログはビジネスブログのせいか、内容のせいか余りトラックバックが掛かる事は少ないのですが、珍しく一澤帆布のブログからトラックが掛かりました。

今回の騒動に関連して多くのブログが書かれています。
 内容は好意的なものや批判的なものから法律解釈やブログのドメインの権利についてなど賑やかです。

一澤帆布のホームページ(ブログ)が開かれたのは今年の1月25日です。
 騒動の状況説明と、その後の経緯や信三郎ブランドの立ち上げのプロモーションなどの告知用ホームページ(ブログ)です。

新ブランドの信三郎のホームページは間に合わないらしく、トップページだけで未だ工事中です。
 準備が間に合っていないようでその慌しさが伺えます。
多分当事者の「想定外」の大きな反響であったのではと想像します。

新聞、テレビなどのメディアの影響の大きさ、凄さをあらためて認識し、メディアミックスの効果の重要性を再認識すると共にその影響の複雑さを感じました。

私の仕事はブランディングに関連する仕事が多く、メディアミックスの功罪を留意する事が重要と再認識しました。

 昨日日曜日に昨年嫁いだ次女が尋ねてきました。
嫁ぎ先のお母さんが一澤帆布のバックを昔から愛用しているそうです。
 お母さんお話では「最近このバックを持っていると、皆の話題になる」と言っているそうです。
 お母さんは話題になっている事を喜んでいるのか、困っているのかは聞き漏らしました。今度お母さんにお会いした時にその件について聞いてみたいと思います。





ブランドのことⅡ

2006年04月15日 | アパレル放談
ブランドのことで最近興味深い話題がありました。

昨年遅れからメディアで多く取り上げられた一澤帆布の話題です。
一澤帆布のことは皆さんご存知だと思います。

親族間の争いごとや法律的解釈のことは、身内でもないものが、外野席からとやかくいうべきものではないのでコメントはしませんが、ブランドの展開について考えさせられるものがありました。

本来ブランドとは、その商品のよさを認めた人が密かに愛用し長い時間を経て口コミ的に広がりブランド化するものと思います。

今回の騒動で、たった数ヶ月で、密かな限られたファンのブランドが話題ブランド、メジャーブランド?になってしまう凄さと怖さを感じます。

騒動発覚後のテレビを中心としたメディア対策やインターネットによる騒動の経過説明や新しいブランドの立ち上げのプロモーションをネット上で公開などの一連の対応は、弟の信三郎氏のマーケティング力の非凡さ(したたかさ)を感じました。

今回のことで「一澤信三郎帆布」ブランドが今までその商品の「頑丈さ」、
「実用性」や「メンテ・サービス」、「密かな満足」を求めて愛用していた固定顧客だけでなく、今回のメディアミックスによってオープン時に行列した客層に広がったことになります。
新しく話題ブランドに変化して誕生したといえます。

ヴィトンも昔一部の富裕層の旅用に使ったトランクからファッションバックに大きく変わったように、新しい展開になるのかもしれません。

創業者の信夫氏が草葉の陰で、このことを喜んで居られるのかそれとも?
おせっかいなことかも知れませんが少し気になるところです。

今回の一件でメディアミックスの重要性を再認識しました。
また、経営(政治や個人)にとって、メディア対応の重要性と危険性を痛感しました。

ブランドのこと

2006年04月13日 | アパレル放談
先のブログでヨーロッパのメガブランドの事を否定的に書きました。
私の若いときの体験のトラウマによってメガブランドを否定的に書いただけで、ブランドを否定しているわけでは有りません。

ブランドは其の商品やサービスのIdentityを表するもので重要です。

私のアパレル時代の仕事もブランドビジネスが中心でした。

今の私の仕事も、ある意味において「インパナトーレ窪添」というブランドビジネスといえるでしょう。
「インパナトーレ窪添」というブランドのIdentityが重要で、大事にしていきたいと思っています。

私のアパレル時代のブランドビジネスはブランドといってもヨーロッパと日本のデザイナーのライセンスブランドでした。

当時のライセンスブランドは契約先のブランドのロイヤルティー(ブランドの知名度)を利用するという目的のものと其のブランドのデザイン、パターン、素材、カラー、縫製仕様やプロモーションなどのノウハウをトータルにライセンスするものとが有りました。

私は幸いにも後者のライセンスを多く担当する事が出来ました。

当時の日本の既製服業界(アパレルという用語は未だ無かった)は単品洋品の時代からトータルブランドの時代になるときでした。
先行するヨーロッパの技術と文化を、競って模倣・習得する時代でした。

それから時代が経過して、情報・通信や交通・物流がボーダレス化し、経済的にも同等となった今、ヨーロッパの商品がライセンスではなく、ブランド商品がボーダレスに交流する事になるのは当然のことでしょう。

数年前から、韓国の百貨店に昔日本にあったヨーロッパのライセンスブランドを多く見かけます。
(「昔の名前で出ています」という昔あった歌謡今日のように懐かしく感じるブランドです)

アメリカでも数十年前にヨーロッパのライセンスのブームの時代があったような記憶があります。

日本人もアメリカ人も韓国人もパリのサントノーレのブランドショップでショッピングしていました。
(いずれの国もコピー商品の路上店?を多く見かけましたが・・・)

それでは次は中国は?と考えられます。
既に始まっているのかも知れません。
中国は全ての流れを同時進行のスピードで行なう国といえるかもしれません?







表参道ヒルズのこと・ブランドのこと

2006年04月11日 | アパレル放談
表参道ヒルズはヨーロッパの大商業資本の傘下のメガブランドへの空間提供ではなく、ブランドロイヤルティーが商品を通して醸成しそうな次世代的ブランドを小まめに集積した感じがします。

私はブランド物に対して「特別のこだわり」を持っています。
私の「こだわり」は私の幼児体験のトラウマに似たものです。

昔30年くらい前に私が初めてパリに出張したときです。
多分第一次のルイヴィトンブームの頃だと思います。
当時はヨーロッパ出張が珍しく、海外出張支度金なる手当てが出た時代です。

出張時に上司や先輩デザイナーからブランドを指定して購入を依頼されることが多くありました。

忙しいスケジュールの合間に買出しに駆けずり回って購入していました。
其の当時のパリの著名ブランドは、本音では日本人の購入を好ましく思っていず、店員の横柄な態度が癪にさわった思い出があります。

特にヴィトンのアジア担当の店員の顔は今も覚えています。
商品出しの時間に行列して待機してようやく売ってもらえるという状態でした。
其の屈辱感がトラウマになりヴィトン嫌い、ブランド嫌いになったのかもしれません。
パリ在住のコンサルタントの女性(元ヴォーグの副編だったという老パリジェンヌ?)に、私がヴィトンを買いに行くと告げると、彼女は私にこういいました。

「ヴィトン買うのなら、貴方が其れを持てるに値する収入と価値(素養・人格?)が出来た時に買いなさい」といいました。
私が買うと勘違いしたのですが、彼女は私は其の両方がないと判断したのでしょう。
当然のことですが・・・・。
今も其の忠告を守っているのかもしれません。

その後毎年パリ出張していて気がついたことですが、サントノーレ通の著名ブランドのウインドウに次のような看板が目につくようになりました。
「当店には英語が話せるスタッフがいます」
    ↓
「当店には日本語が話せるスタッフがいます」
    ↓
「当店にはアラブ語が話せるスタッフがいます」
    ↓
「当店には中国語が話せるスタッフがいます」
何故か時代の世界の経済力の変遷を現している感じがします。

昨今の高級ブランドの好況を思うときに、
日本経済は不況は無かったということか?
日本人はすでにブランド物を持つ人格がすでに出来ているということか?

それとも、老パリジェンヌの日本人に対するよくある偏見・蔑視だったのか?
未だに解らないでいます。

また解らないのは、胸元に大きく書いたブランドロゴのTシャツやセーターです。
欧米ではあまり見かけないスタイルです。

アメリカ人から彼らが着ない理由を聞いたことがありますが、その理由をブログに書くのは誤解を招くか
も知れないので控えます。

表参道ヒルズ/山歩き?

2006年04月10日 | アパレル放談
先週東京出張を一日延長して2月にオープンした表参道ヒルズに行きました。

私は前から新規にオープンした商業施設にはオープン後しばらくしてオープン景気が沈静化してから訪れるようにしています。

オープンは大概飲食店に長蛇の列、有名店のオープンプロモーションへ殺到するお客やオープン時だけの物見客等で、本当の商業施設の内容や評価が解らない事が多いためです。

表参道ヒルズはオープン後1ヶ月以上経過しており、訪れた日は土曜日ではあったが、適度の賑わいでした。

既に業界紙や出店業者からの状況は聞いてるので、予備知識もあり初めてと言う感じはせず、想像していたイメージでした。

超メージャーの出店が路面の個店にシフトしている影響かビックブランドが出店していないだけ、ロケーションにマッチした面白いブランド構成になっているように感じました。
ブランド構成に対する興味よりも、モールの建築設計について興味を持ちました。
安藤忠雄先生による設計は周知ですが、このモールの設計も相変わらず先生の持ち味(?)が充分発揮された設計になっていました。

私は神戸に在住しています。

私の住んでいる六甲アイランドのショッピングモールや淡路島の花博の会場、兵庫県立近代美術館、著名なデザイナーの住居など安藤忠雄先生の多くの施設が多い。
独特のコンセプトによる設計は日本の建築会で高く評価されているらしいが、私が何時も感じるのは、訪れた人にある種の緊張感、威圧感を与える設計のように感じます。

建築デザイン面については、好みであり、人それぞれの好き嫌いがあり、良い悪いで決められませんが、施設の導線のとり方や通路の段差など構造的な設計にいつも疑問をもっています。
殆どの施設で複雑な導線により迷子状態になったり、段差でつまづいたりしています。

兵庫県立近代美術館では案内や足元注意を呼びかけるガードマンが特別に配置されています。

表参道ヒルズも傾斜地や建蔽率の問題を吸収した設計とは思いますが、相変わらず目的の店に行くにも大変苦労しました。
ガードマンが声高に足元注意と誘導の案内をしていました。

表参道に出来た丘(HILL)では無く、山(MOUNTAIN)と言った方がいいように感じました。
幾度となく山道を迷いました。

大都市東京の一等地の商業地域でもある表参道ヒルズなら、顧客を逆選別していく事も必要で、この不便さをコンセプトとした方が良いのかなと疑問を感じながら、羽田から神戸空港に帰りました。

羽田空港に比べて、神戸空港の小ささに寂しを感じました。
安藤忠雄先生のコンセプトを理解し吸収しなければいけないのかな?





チャイナファッションフェアーに関連して 雑感

2006年04月05日 | アパレル放談
チャイナファッションフェアーに直接関係しませんが、もう一つ気になることが有ります。
今回の参加企業は新興の企業が多く、日本マーケットを開拓しようと、前向きに取り組んでいます。
まだまだ一部ですが、先発の優秀な中国メーカーや日系企業の中で、必ずしも日本を長期的にマーケットとしていないのではないかと懸念します。
有力企業は、ヨーロッパ市場へのシフトや国内内需向けの強化を行ない始めています。

最近、中国のメーカーに発注した商品の「納期遅れが多発している」、「価格再交渉された」、「本生産の仕掛を断られた」などの話をよく耳にします。
欧米、特にヨーロッパ企業との関係が深い有力な中国のメーカーにこの傾向が強いように思います。

2000年ごろに中国へシフトした欧米向けの香港メーカーにも、この傾向があります。

直接中国にシフトしている欧州の企業も多く、中国はトルコと並ぶ原料、製品の生産の比重が高くなっています。
また、アメリカのクオーター撤廃に伴うセーフガードに対する見通しに対する思惑もあり、妙味のある欧米に傾くのは彼らの論理としては理解できます。
特に優秀と思われる企業にこの傾向が強いのは日本の企業にとって、忌々しき問題と思います。

価格に比して複雑な縫製仕様、オーバーバリュープロダクト、少ロット、短納期等、本来海外生産に適していない内容の商品まで、国内生産の事情で海外にシフトせざるを得なかったことによるかも知れません。

日本企業側の貿易や海外との商談の基本的な原則を無視した対応も、要因になっているようにも思われます。

国内生産の見直しやベトナム、タイ等へのシフトなどへの対応が行われているようですが、日本を空洞化させてまで、時間を掛けてレベルアップさせた中国の生産力を生かせなければ、「賽の河原」のように積んでも積んでもの繰り返しで、今までの苦労が報われない事になります。

私のとり越し苦労であればと願っています。

第6回チャイナファッションフェアー(日本中国紡織成衣展)Ⅲ

2006年04月03日 | アパレル放談
先週大阪で開催されたチャイナファッションフェアに行った時に、少し気になることが有った。
具体的に調査したわけでないので、正確な情報に基づいたものでは有りませんが、気が付いたことを書いてみます。

今年は会場が狭くなりましたが、その分コンパクトになり、会場も適度に賑わっているように感じました。
昨年の冬物商戦が好調であった事や、景気の回復期待感などが反映しているかも知れません。
それ以上に海外生産が各企業の中に定着してきた事も起因しているかも知れません。

出展企業の真摯な商談姿勢や商談スタイルも少しずつ洗練されてきて、ブースによっては活況を呈していました。

目のつくブースに共通しているのは、日本の専門商社やメーカーと親密に商売を継続している会社です。

納期や品質管理、貿易業務、ミニマムなどの問題点の対応に取り組んでいたり、取り組もうとする姿勢が感じられる。

その殆どのメーカーは、日本の貿易商社や日本人のOEMメーカーとの協力関係を強化しています。
特に日本の企業側の努力(姿勢)によるところが多い。

その日本側の企業が名妓地区の専門商社やOEMメーカーが多いのではないかと想像します。
大阪開催にもかかわらず、ブースで着席して熱心に商談している人の日本語は「名古屋弁」が多いような気がしました。
大阪会場なので入場者の大半は関西の会社だと思いますが、商談の中心(主流は)名岐地区の企業だと思われます。
「大阪弁」はブースの外でブラブラ(視察)歩いている人から聞こえてくるようでした。

正確に調査したわけではないので、間違っているかも知れませんが、妙に気になりました。
私が気になったのは、名岐地区の企業の商売の姿勢と関西の企業の姿勢の差です。

最近韓国の企業の人から「大阪は不景気なのですか、名古屋は景気が良いのですか?」と聞かれます。
名岐地区の企業との商売が増えて、大阪の商売が前に比べて減る傾向があるとのことです。

経済指標からすれば間違いないところですが、海外との取り引きについては、むしろ商売に対する積極的な姿勢と保守的な姿勢との差によっての現象と思います。

関西の場合は昔から商社機能、製品・テキスタイル問屋機能、大手アパレル機能、産元機能などの伝統的な機能が整備されており、これらに頼っての仕事が主でした。

そのような環境下にあった関西企業の多くは、それらの機能の環境の変化があってに対して、自立や新機軸への対応等の積極的になれないのではないかと思います。
その姿勢の現われと想像します。

偏見、独断的とお感じとは思いますが、関西人の私にとっては気になる事です。