先週土曜日(7月21日)の繊研新聞の1面に大阪のセレクトショップ(セレクト&SPA)・フィットの記事が大きく出ていました。
私は、Blogにも㈱フィット(ザ・ファースト)については時々投稿しています。
私の知る限りでは、最高のセレクト&SPAと前々から思っています。
社長の鍛治猛氏とは30数年来の付き合いです。
私がイトキン時代に、鍛治氏が大阪の専門店の課長時代からの関係です。
イトキン時代にクリスチャンオジャールというライセンスブランドを担当していた時の取引先として大変お世話になりました。
お世話になったと言うよりは、アパレルと専門店の立場を超えて、新しい市場作りに苦労と喜びをともにしました。
紙面の見出しに、次のようなタイトルが出ていました。
「必要な”ムダ”で振り向かせる」
「フィットの格好いい女性作り」
「原点は30年前のコンセプト」
「市場は作るもの、ブレない明解さ」
「常に進化は現場から」
この言葉は、私が鍛治社長と始めてあった頃から氏の口から常に出ていました。
当時アパレルの私には、最初は、行者の呪文のように感じられました。
鍛治氏について、繊研新聞に書かれていないインサイダー的な話を書いてみます。
私と鍛治氏との出会いは、私がクリスチャンオジャールの新規開発を担当し、大変苦労していた時でした。
今は大型のミセスブランドに成長(肥大?)しましたが、当時はハイファッションブランドの一つとして専門店の人気ブランドになりましたが、氏のアドバイスに拠るとこが多かったと感謝しています。
氏との最初の出会いは、阪急ファイブのB2の氏が店長(雇われ)をしていた店に、私が飛び込み開拓をした時からです。
当時のイトキンは量販店やナショナルチェーン店が主力で、氏のような専門店からは疎んぜられた存在でした。
その様な状態で、ハイファッションブランドを目指していたクリスチャンオジャールのブランディングに大変苦労をしました。
阪急ファイブのB2の店のウインドーディスプレィを見て飛び込みました。
リゾンボンフィスセーターと昔のラインのカステルバジャックのスカートをオシャレにデスプレィをしていました。
私の目には新しいハイファションを感じました。
少し敷居が高い感じをしましたが、駄目元で飛び込みました。
最初はイトキンの量販志向のブランド政策の苦情を聞き(どこの専門店でも同様でしたが)氏の自店のコンセプトや想いを切々と語ってくれました。
大御所プレタポルテのミセスや原宿マンションメーカーのヤングしか無かった時代に、
『日本には幼女と老女としかいなかった。つまり未成熟の子供か、出産後オシャレをあきらめたお母さんばっかりで、ええ女、おらんやん』と紙上で氏は言っていますが、当時のクリスチャンオジャールのブランディングと考え方が合い、意気投合しました。
氏の行者の呪文は、クリスチャンオジャールの成功に良い影響を与えてくれました。
その後、私のイトキン退職で直接的な商売のつながりは無くなりましたが、その後思いもよらない、また新しい出会いが始まりました。
以下次回。
私は、Blogにも㈱フィット(ザ・ファースト)については時々投稿しています。
私の知る限りでは、最高のセレクト&SPAと前々から思っています。
社長の鍛治猛氏とは30数年来の付き合いです。
私がイトキン時代に、鍛治氏が大阪の専門店の課長時代からの関係です。
イトキン時代にクリスチャンオジャールというライセンスブランドを担当していた時の取引先として大変お世話になりました。
お世話になったと言うよりは、アパレルと専門店の立場を超えて、新しい市場作りに苦労と喜びをともにしました。
紙面の見出しに、次のようなタイトルが出ていました。
「必要な”ムダ”で振り向かせる」
「フィットの格好いい女性作り」
「原点は30年前のコンセプト」
「市場は作るもの、ブレない明解さ」
「常に進化は現場から」
この言葉は、私が鍛治社長と始めてあった頃から氏の口から常に出ていました。
当時アパレルの私には、最初は、行者の呪文のように感じられました。
鍛治氏について、繊研新聞に書かれていないインサイダー的な話を書いてみます。
私と鍛治氏との出会いは、私がクリスチャンオジャールの新規開発を担当し、大変苦労していた時でした。
今は大型のミセスブランドに成長(肥大?)しましたが、当時はハイファッションブランドの一つとして専門店の人気ブランドになりましたが、氏のアドバイスに拠るとこが多かったと感謝しています。
氏との最初の出会いは、阪急ファイブのB2の氏が店長(雇われ)をしていた店に、私が飛び込み開拓をした時からです。
当時のイトキンは量販店やナショナルチェーン店が主力で、氏のような専門店からは疎んぜられた存在でした。
その様な状態で、ハイファッションブランドを目指していたクリスチャンオジャールのブランディングに大変苦労をしました。
阪急ファイブのB2の店のウインドーディスプレィを見て飛び込みました。
リゾンボンフィスセーターと昔のラインのカステルバジャックのスカートをオシャレにデスプレィをしていました。
私の目には新しいハイファションを感じました。
少し敷居が高い感じをしましたが、駄目元で飛び込みました。
最初はイトキンの量販志向のブランド政策の苦情を聞き(どこの専門店でも同様でしたが)氏の自店のコンセプトや想いを切々と語ってくれました。
大御所プレタポルテのミセスや原宿マンションメーカーのヤングしか無かった時代に、
『日本には幼女と老女としかいなかった。つまり未成熟の子供か、出産後オシャレをあきらめたお母さんばっかりで、ええ女、おらんやん』と紙上で氏は言っていますが、当時のクリスチャンオジャールのブランディングと考え方が合い、意気投合しました。
氏の行者の呪文は、クリスチャンオジャールの成功に良い影響を与えてくれました。
その後、私のイトキン退職で直接的な商売のつながりは無くなりましたが、その後思いもよらない、また新しい出会いが始まりました。
以下次回。