「業際」を超え・「域際」を超え・「世代の際」を超えて!

理論を貫いて実践に生き! 実践を通して理論を究め! 前へ前へと進もう!

国民の祝日 昭和の日

2007年04月30日 | アパレル放談
大型連休に入っています。
昨日の「昭和の日」に娘夫婦が孫を連れて帰省しました。
帰省といっても、大阪市内に在住しているので、度々孫の顔を見せにやって来ます。
昨日はゴールデンウイーク中ということもあり、普段と違って格別の感じがします。
ゆっくり孫の子守をしました。
疲れますが、楽しいものです。
娘夫婦と酒を酌み交わすのも又格別の楽しみです。
「昭和の日」についての話しになりました。
今年から「みどりの日」が「昭和の日」に変わったことや、変わった経緯などを果たしてどれだけの人が知っているのでしょう。
「昭和の日」「憲法記念日」「子供の日」と国民の祝日が続きますが、これを機会に、国民の祝日の意味や意義を考えることも良いことだと思います。
国民の祝日は「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築き上げるために,国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」と法律で定められています。
「正月、成人の日、子供の日、春分・秋分の日」などは、日本の風習や季節に由来するものですが、「建国記念日(紀元節)、昭和の日(天皇誕生日・みどりの日)、憲法記念日(日本国憲法)、海の日(明治天皇巡幸・海の記念日)、文化の日(明治節)、勤労感謝の日(新嘗祭)」など、その設定の経緯や変遷を知ることも、日本の世論や政治の動きや流れを知る意味で重要なことと思います。

私の若い頃は、5月1日はメーデーで、国民の祝日では有りませんが「労働者の祭典」の重要な日で盛大に開催されていました。
最近では、そのメーデーもあまり大々的な催しではなくなり、分散して行われているように感じます。
これも時代の流れでしょうか。

今日はお休みなので「インパナトーレのブログ」も少し趣向を変えてみました。

谷絹子著「ついに出た!本当に役に立つ中国ビジネス虎の巻」の読後感Ⅰ

2007年04月27日 | アパレル放談
一昨日本屋さんで立ち読みした、ユー・エフ・オー㈱社長の谷絹子女史著の本を購入しました。
早速、立ち読みではなく精読させていただきました。
一昨日は見落としていましたが、タイトルに「真の成功者が語るチャイナビジネス実践術」と書かれていました。
存じ上げている方の著書を読むのは、普通とは違った意味で面白いものです。
反面、著者に気を使ってしまいます。
女史独特の口調の恫喝的な肉声で聞こえてくるような感じがしてしまうからです。

この本を手にして最初に感じたのは、「出版元が幻冬舎」であること云うことです。
幻冬舎の創業者は、先の角川春樹事件の時に角川書店を辞した編集長だったと記憶しています。
石原慎太郎の「弟」、郷ひろみの「ダデイ」、唐沢寿明「ふたり」の話題作や、五木寛之、村上龍等の個性ある作家などの本を出版しているユニークな出版社です。
女房が今日偶然に、幻冬舎が出版している「五木寛之の林住期」を買って読み出しています。
五木寛之は幻冬舎の社名の名付け親と聞いています。
林住期は今年の2月の発刊で既に第4刷になっています。
前から興味があったのですが、女房も団塊世代の林住期で興味があるのだろうが、私はとりあえず谷絹子女史の「ビジネス虎の巻」を読むことにします。

谷絹子女史の著作が、その幻冬舎からの出版ということに驚きを感じました。
どのような経緯で、この本が幻冬舎から出版になったのか知りませんが、谷絹子女史の業界内外での幅広い交流、業界紙とのパブリックリレーション、昨年9月のテレビ東京のワールドビジネスサテライト(WBS)の番組取材など、ネットワークの広さを伺うことが出来ます。

普段とは少し柔和に写っている表紙の顔写真からは想像出来ないような「辛辣な言葉と自信に満ちた仕事の記述」は読む人にインパクトを与えるでしょう。

帯封に書かれている「世の中に出回っている中国ビジネスに関する出版物は山ほどあるが、核心にふれたものは見当たらない。既に中国に進出している日本企業や、そこで働く日本人を見ていて素直に感じるのは、あまりにも中国のことを知らなさ過ぎるということだ。本書は、中国ビジネスの袋小路に迷い込み、身動きがとれず、その解決方法を探していて苦悩されている日系企業や日本人の方々にもきっと役に立つものと思う」と序説に書かれています。
この本を読んで、このブログで書評(読後感想)を書こうとしましたが、30年以上の厳しい香港、中国でのビジネス最前線の激戦を生き抜いて成功された経営者の経験に裏打ちされた記述内容でもあり、それに比べて「友好商社」時代から中国繊維産業と関ってきたと云っても、所詮、アウトサイダー的な関わり合いしかなかった私ごときが、書評を書く事に躊躇します。
中国ビジネスに関心のおありの方は是非購読をお勧めします。アマゾン

  *昨日の日本繊維新聞の一面に、この本の広告がカラーで掲載されています。
   タイミング良すぎて、何だか私のブログが「ヤラセ」のように誤解される
   かもしれませんが偶然の一致です。

ハードカバーの230ページほどの本で、価格は本体1,500円でした。
ビジネス書として読むか、比較文化論的な本として読むかによって異なりますが、
「ソフトカバーで1,000円程度にして、手ごろな価格で、より多くの人に読んでもらえるようにしたほうが良かったのではないか?」と云うのが一読者としての感想です。






ついに出た!本当に役に立つ中国ビジネス虎の巻 谷絹子著  

2007年04月26日 | アパレル放談
昨日待ち合わせの暇つぶしにブラット立ち寄った紀伊国屋書店で売られていた本のタイトルです。
帯封には「中国ビジネスの衝撃的な真実がいま解き明かされる。もう進出している人たちも、これから進出する人も、すべての企業人におくる必読書!幻冬舎メディアコンサルティング版・谷絹子著」
刺激的で、眼を引くタイトルが多い中国関連の書籍の中で、中国ビジネスに興味や悩みを持っている企業人の目を引くタイトルでした。
それと著者の大きく印刷された表紙の顔写真が見覚えのあるお顔でした。

このブログでも紹介したユー・エフ・オー㈱(U.F.O.CO.LTD.)の谷絹子社長の著作のようで、少し立ち読みしました。

谷絹子女史の中国ビジネスの苦労話と成功秘話、成功の秘策?が
例によって「歯に衣(絹?)着せぬ」調子で書かれていました。

何故か元ヤオハンの和田一夫氏との対談も記載されていました。

立ち読みでサッと読みました。
内容は、何度かお会いさせていただいた時にお聞きしていることが中心で、私には読みやすく、短時間で拾い読みが出来ました。

人に会う前で、荷物になりそうで購入していませんが、週末にでも購入して残りを読んでみようと思っています。

気のせいか、最近私の知人の出版が多いような感じがします。
私がアフィリエイターのように誤解されるかも知れませんが、中国ビジネスに興味のある企業人に購読をお勧めします。
谷絹子著「ついに出た!本当に役立つ中国ビジネス虎の巻」

但し、既に中国ビジネスで苦労し、失敗された経営者の方や中国担当の商社マン、コンサルタントの方々にはお勧めしません・・・・。
中国でのビジネスで成功している方にとってもお勧めしません。
(腹立たしくなる恐れがあります?!)

私の読後感想は、次回に(恐る恐る?)後日ブログ投稿しようと思います。

インドネシアに在住(永住?)の友人から久々の便りがありました

2007年04月25日 | アパレル放談
昨年Blogにインドネシアに在住している吉武力氏のことを投稿しました。
ご記憶の方もおられると思います。
大手商社からイトキンに転じ、現在はインドネシアのバンドンに在住し、繊維を中心としたグローバルマーケティング?を行っています。
サイドビジネス?で鳥元という焼き鳥屋も経営しています。
還暦にもかかわらず、いつまでも青年(少年)のような夢を追いつづけている愉快な方です。
Blog
Blog
氏から久し振りにメールを頂戴しました。
鈴倉インダストリーに関する内容でした。
氏も大手商社に在籍中に鈴倉さんの対米輸出でたいへんお世話になったようで、その想い出を書いていました。
鈴倉さんが対米のメンズポリエステルの輸出で大成功された時の想い出話です。
鈴倉さんのインドネシアの事業の時も氏はインドネシア在住中の時でした。
当時の社長や専務、現場の技術担当者の想い出話と鈴倉さんの技術開発力と品質管理力を高く評価し、今後の再生の成り行きを心配していました。

吉武力氏は日本を離れて、海外から日本や世界のマーケットを見ています。

ある意味ではグローバルなマーケティングの視点を持っていると言えます。

その氏が、「百人に一人程度しか賛同してもらえないかも知れない話し」と前置きして、鈴倉さんのような技術と生産管理力を持った日本の企業が、再度インドネシア(バンドン)に来てくれないかと切望していました。

吉武氏は、「ポスト中国がベトナム・インド」という業界の一般論に対し疑問(異論)を持っているようです。

「ポスト中国はインドとかベトナム」と限定せず、もう少し広くアジア地域のマーケティングの視点で見ることも重要であると考えているようです。

日本国内の視点からは、その様な発想には至らないとは思いますが、海外から見れば至極当然のことと思います。

最近大手商社が原料部隊を上海にシフトを発表しました。
シフトチェンジした上海からマーケティングををすれば、案外インドネシアも視野に入ってくるかも知れません。

吉武氏は、日本の「焼き鳥屋」をバンドンで開業し、テイクアウトの「焼き鳥弁当」も販売している愉快な男です。
インドネシア料理にサテアヤンという焼き鳥があったように思いますが、そんな国に「日本風焼き鳥屋」を開店しています。
バンドンに行かれたら、是非お寄り頂いて氏の夢を聞いてあげてください。


世界へ飛躍?  繊維ビジョン

2007年04月24日 | アパレル放談
産業構造審議会繊維産業分科会の基本政策小委員会の「繊維ビジョン中間取りまとめ案」の内容が昨日(23日)日本繊維新聞の一面に掲載されていました。

今年度のビジョンは’03年度の繊維ビジョンが、「繊維産業の不況は、流通段階でのロスや生産、流通の非効率性が原因」であるとして、
先のビジョンは、その改革のための「川中製造事業の自立化(旧の流通市場の改革=破壊)と言う構造改革型(破壊型)」であったのに比べ、
今回のビジョンは
①技術と感性で世界に飛躍する製造産業)
②繊維産業構造変化
③繊維産業が全体として取組むべき課題と国の役割
で構成され、日本を取り巻く環境がFTAやETAの方向にある中で、国際競争力の激化に対する対策を視野に入れたものになっています。

少し前に、ビジョンのタイトルが「繊維ファッション産業ビジョン」から「繊維産業の展望と課題」と変更されたとの報道がありました。

変更に至った経緯は、業界紙報道の情報しか無く、想像の域を出ませんが、
「日本の紡績、合繊メーカーや加工の主流が衣料(ファッション)資材から非衣料(産業)資材に移行しつつある中で、川上と川下との整合性」が徐々に無くなりつつあるようになっていると想像されます。

繊維産業の構造がファッション(文化)的な部分と技術・機能などの非ファッション(化学)的な部分とに分かれつつ有る時期と感じます。

その様な時期に繊維産業の将来ビジョンを考察する時に、文化と、化学の双方の融合と分離した考察が必要ではないかと考えます。

諮問委員のメンバーを見ると、川上団体から川中、川下までの業界団体の代表や学会、企業、有識者など25名の多人数の委員で構成されています。

委員の中での同床異夢が懸念されますが、6月の提言には、文化と化学を担う人材育成や、文化と化学をグローバルなマーケティングを行う体制などの明解なビジョンを期待します。

もう一つの懸念は、今後の繊維産業にはグローバルなマーケティングが欠かせません。
諮問会議の委員を見ると、その専門的な委員が見当たらないように感じますが・・・・。





「両国さくら」さんのこと  「ケータイ通販ビジネス・翔泳社」のこと

2007年04月23日 | アパレル放談
先日知人から書籍をお贈りいただきました。
書籍名は「モバイル大変革時代のケータイ通販ビジネス」です。
帯封には、「なぜ携帯で買い物をするのか? モバイル、通販、ファッション、ITの専門家が独自の視点で分析する現状と未来」と書かれていました。
それぞれ携帯通販に精通された4名の方の共著です。
知人はその4人の中のお一人で「両国さくら」さんです。
「両国さくら」さんはペンネーム(Blogネーム)です。

彼女は、東京の繊維関連の第三セクターの企業にお勤めされながら熱心なブロガーです。
お忙しい仕事をこなしながら、熱心に連日凄いボリュームでBlog投稿されています。
ブログ名は新両国さくらのファッション・インファッションです。
業界紙の記者の経験がおありのようで、取材力はさすがと思わせられるBlogです。

仕事もBlogもエネルギッシュに取組んでおられます。
(夜の飲み会もエネルギッシュにこなされているようです・・・・。)

早くから「ファッションとWeb・Mobileの通販ビジネスの可能性」に着目され、関連情報を精力的に取材をされ、Blog投稿されています。
私がインパナトーレ起業した頃から随分お世話になっています。

私のBlogは繊維・アパレル情報をアナログ的に投稿していますが、「両国さくら」さんは東京でご活躍の関係もあり、最新情報をデジタル?的に投稿されています。
私の最新情報の情報源の一つです。

本の内容は
第一部  通販ビジネスの視点から
第二部  モバイルビジネスの視点から分析するケータイ通販
第三部  ケータイ通販ビジネスの現場:先行企業15社の事例
で構成されています。
4月10日発刊のソフトカバーの読み易い本です。
先行企業の15社の成功事例も取材もあり、この種の本では読み易い内容です。

最近業界紙では、ケータイ通販の成功事例が取り上げられていますが、一般的には認知度は低いと考えられています。
当の私もそのうちの一人ですが、そんな人がケータイ通販を理解する入門書としては解り易い内容と思います。
4月10日発刊の新刊です。
先週末に本町の紀伊国屋でも並んでいました。

ケータイ通販に関する内容ですが、PC通販のとの関連や比較が解り易く書かれていますので、興味のある方はお読みになられたら良いと思います。

書籍名は翔泳社刊の「モバイル大変革時代のケータイ通販ビジネス」です。

「本の感想を聞かせて欲しい」と添え書きが書かれていましたが、アナログ的な私にデジタルな内容の感想を欲しいとの事でした。
「書評を聞かせて欲しい」とは書かれていなかったので、アナログ的な感想を書こうと思います。



グローバル化について 「大門酒造の無垢根」がアメリカでの日本酒ブームの立役者

2007年04月20日 | アパレル放談
鈴倉インダストリーの破綻の原因がどのようなものであったのかは、私には知る術も無くまた詮索することも有りません。
只、今度のことは、日本の繊維の盛衰の象徴のような気がしてなりません。

繊維が日本の基幹産業として戦前、戦後の日本経済発展に寄与したことは言うまでも有りません。
日本の繊維産業の衰退は1971年の日米繊維協定から始まったと言えます。

農業と同じく日米繊維協定後の日本の繊維業界は政府の保護行政の庇護の元、日本の高度成長の波に乗り内需中心の産業に変質し、グローバル化の道を閉ざしてしまったのです。

繊維協定の副産物として、全国の主要産地(輸出)に繊維リソースセンターが設置されたました。
その繊維リソースセンターが、「日本の繊維業界のソフトのインフラ整備機関」と言う本来の目的を充分に果したかという疑問が残ります。

もう一つの疑問は商社の機能の問題です。

繊維貿易をメーカーに代わって一手に担ってきた商社の変質です。

特にきめ細かい、専門的なマーケティングが要求される繊維貿易のエキスパートが育た無かった(育てなかった・定着しなかった)事が、繊維のグローバル化の阻害要因だと考えます。
日本の繊維製品のコスト高が国際競争力を低下さしたことは否定しませんが、
それ以上に日本の繊維は、高付加価値商品を開発したのも事実です。

その高付加価値商品の国際的なマーケティングを彼等(商社)は怠って(出来ずに)、その後放棄しました。

日米繊維協定以前の日本の繊維製品は、モデレートラインが中心でありましたが、その後のアメリカの市場はベターラインやブリッジベターが台頭したにもかかわらず、それらのマーケットの開発や開拓が行われていません。

お叱りを覚悟で言わせて貰えば、「海外駐在が、日本からの視察員のアテンドやブランド輸入契約の窓口機関、海外情報収集機能」程度しか果たしていなかった事が要因かも知れません。
マーケティングを商社に全面的に依存しているメーカー側(中小の)にも、
その責は有ると思いますが・・。

日本の繊維産業がグローバル化にチャレンジするのならば、この機能(マーケティング機能とマインド)を自ら育成するか、商社との新たな取り組み(協働)をする事が、重要と考えます。

最近ラジオ番組で「アメリカの日本酒ブーム」を取り上げていました。
日本食ブームは欧米でも知られていますが、日本酒が「ジャパニーズ・ワイン」として人気が出だしているとのです。
ワインも日本酒も醸造酒であることから納得できます。

アメリカでも日本酒は昔から(20年以上前から)ロスで作られていました。
カリフォルニア米(イタ光?=コシヒカリに似たお米)を使った本格的なお酒でした。
日本人相手の日本料理店にありました。
銘柄は「大関」だったと記憶しています。
今ブームになっているのは、昔の「アメリカ大関」と違い、日本料理店だけではなく全米の殆んどの州の酒販店で販売されているようです。

日本からの輸出で、大阪の大門酒造と言う小さな酒造会社が、商社の手を借りずに、自らが全米のディラーに直接輸出のルートを開発し、密かな日本酒のブームを作り出したとのことです。
銘柄は無垢根(Mukune)だそうです。
殆どの州の酒屋の販売ルートを独自で大門酒造が開拓したとのことです。
「大門酒造の無垢根」の銘柄で輸出されているそうですが、日本(大阪)は殆んど知られていない酒造会社です。
その小さな会社がアメリカで日本酒ブームを作り出していることは痛快な感じがします。

肝心の日本では焼酎ブームで日本酒は年々低下しています。
ひょっとしたら近い将来アメリカから日本酒ブームが到来するかも知れないとラジオのキャスターは話していました。

インターネットで検索していたら、大門酒造のアメリカマーケット開拓秘話のメルマガがありましたので紹介します。
商社に頼らずに自立でアメリカマーケットを開拓(開発)した大門酒造は、グローバル化を目指そうとしている弱小の繊維企業に大いに参考になると思います。
大門酒造 無垢根

鈴倉インダストリーのこと

2007年04月19日 | アパレル放談
先の鈴倉インダストリーの民事再生の報を知った時に少なからずショックを感じました。
直接的には深い付き合いはありませんが、何度か栃尾の会社を訪問し、前社長から「撚糸」に関しての「想い」をよくお聞きしました。
創業は明治時代とお聞きしました。
帝人との合繊の草分けの時代のことや対米のメンズのポリエステルスーツ地の大ヒット、インドネシアへの技術供与の話などお聞きしました。
小松精練、セーレンなどの加工業社の直販は今では主流になっていますが、鈴倉さんは早くから着手し、先輩格と言えましょう。

日本の合繊の一つの歴史に翻弄された企業のひとつと言えなくもありません。
合成繊維の詳しい知識は有りませんが、「ナフサから取り出した単なるなま糸」を「撚糸や加工の技術で素晴らしいファッション商品」にするものと私は理解しています。

鈴倉さんを訪問する時の楽しみがありました。
鈴木前社長が案内していただく撚糸工場を見学することでした。
私の記憶では当時第6工場まで在りました。

そろそろ中国の陰が忍び寄る頃でしたが「合繊における撚糸に対する想い・信念」のようなものを感じました。

私が興味を持ったのは、近代的な高速撚糸機ではなく、木製で出来たような、古いイタリアの撚糸機でした。
合理化を目指す高速撚糸よりも、時間をかけた低速の撚糸機に魅力を感じました。
その古いイタリア撚糸機の持ち味を熱心に語っていただきました。
栃尾地区に点在していた古いが味のある糸を作れる撚糸機をコツコツと集めているのだと切々と話しておられました。

当時は新合繊のブームでしたが、その後、時代はそんな物つくりを要求していなかったのかも知れません。

小松精練やセーレンなどの合繊の加工業社は産業資材に転換を図り生き残りに成功しました。
鈴倉さんもインテリなどの産業資材関係に着手されていたようですが成果を見なかったようです。
度重なる天災の影響も大きかったようですが、案外「鈴倉さんの撚糸に対する想い」が、大胆な転換に影響したのかも知れません。

近日中に再生計画案が出るようですが、願わくば「日本の合繊の生き残りに切っても切り離せない撚糸(加工も含む)の貴重な設備」が失われないような再生計画を期待したい。
負債の詳しい内容はわかりませんが、私の想像では、金融関係と合繊メーカー・大手産元と思われます。

一破綻企業の再生計画と言うのではなく、「高付加価値のある日本の合繊業界の再生」につながるような民事再生案になることを期待します。

タウンウォッチング  繊維・アパレルの変遷

2007年04月18日 | アパレル放談
最近健康(運動不足解消)のために出来るだけ歩くことを心掛けています。
仕事柄相手先の事務所を訪問することが多く、時間的に余裕のある時は徒歩を心掛けています。
時間調整を兼ねて時々大阪駅から心斎橋まで歩く時があります。
ドトールやスタバで時間調整するより、健康的にも経済的にも良いと思っています。
御堂筋や裏道の街角の変遷を見るのも楽しみです。

街角・市井の変化と経済の変遷とを絡ませて考えてみることも面白いものです。

昔、若い頃に仕事で出入りしていた会社のビルが駐車場になっていたり、○○機構や外資系のファンドの大きなビルに建て替えられたりしています。
心斎橋の御堂筋界隈がフランス租界やアメリカ、イタリヤ租界?になって行きつつあります。
昨日、業界紙の記者の方と本町通の喫茶店で取材を受けました。
取材後の雑談の時に「もう直ぐ日本には原料(小量の高機能・高付加価値原料)と小売しか残らなくなってしまい、加工や中間の流通が消滅してしまう」と言う話題になりました。

本町筋は日本の繊維加工と流通(問屋)を支えて来た町と言えます。
立ち寄ったコーヒーショップ(当然外資系)も昔は繊維関係の会社のビルだった記憶があります。

ベテラン記者は、本町筋に繊維関係のビルが殆んど無くなってしまったと嘆いていました。

本町4丁目の繊維関係のビルとして当時はランドマーク的なビルであった伊藤万ビルが新しく住金物産のビルとして建設中です。
このビルが完成した時が繊維が大阪の基幹産業の表舞台から裏舞台に移る象徴になりそうです。

大阪の繊維・アパレルが、たとえ裏舞台であってもキラリと輝く存在感の有るバイブレーターとして存在価値を発揮出来るようになって欲しいとの期待(心配)している一人です。








押込め隠居 アパレル企業の事業継承

2007年04月17日 | アパレル放談
近江商人魂のBlogの記事で「押込め隠居」について読者から私のメールにコメントがありました。
「押込め隠居」と言う少し物騒な内容が気になられたようです。

武家社会の家臣が覇権争いのため藩主を座敷牢に武力を使って閉じこめてしまうような強圧的ものではなく、町人社会の「押込め隠居」はもっと穏やかなものだったようです。

代々苦労して築いてきた財産や信用を己の私利や欲望のために潰すような当主の場合に親族や後見人が協議して当主を勘当したもので、商人の「押込め隠居」は武家社会のそれとは異なり穏やかなものでした。
上方落語の主人公の世界のようです。

「押込め隠居」は事業継承の為の重要な商人の知恵だったのかも知れません。

現代は株式会社や上場企業が殆んどで、事業継承は当時の個人経営の時代とは大きく異なりつつあります。

役員会や株主総会の手続きに従った手続きが普通です。

主力の融資先の銀行や主力仕入れ先商社による今日の介入にる社長人事介入が現代的?な「押込め隠居」と言えるのかも知れません。

コンプライアンス違反に伴う不祥事を起こした社長に対するマスコミの世論も現代判「押込め隠居」といえましょう。

どちらも余り好ましいものでは有りません。

事業継承と言えば、昭和20年代後半から30年代前半に創業したアパレル業界も、ワールド、イトキン、ワコール、ミズノ、サンヨー、ラピーヌ、三喜、など世襲的な事業継承が中心に行われました。

今後は昭和30年代後半から40年代のアパレル企業の事業継承の時代に入ってきます。
昨日、パルの井上社長が決算発表の談話の中で、重点課題として次期社長の育成をあげられていました。

新しい事業継承の時代に入ってきたと感じます。



近江泥棒に伊勢乞食

2007年04月13日 | アパレル放談
「近江泥棒に伊勢乞食」、私がアパレル問屋に勤務していた時に、滋賀県出身と話すと、相手から度々この諺を持ち出されました。
若い時には何か後ろめたい感じがしたものです。 この諺には「がめつい商法」の代名詞のような印象がありますが、実は「勤勉、正直、質素、倹約、堅実を信条」として、天秤棒を担いで地道な商売で成功しましたのが近江商人の本当の姿です。江戸で活躍する松阪や近江商人に対する当時の江戸っ子の妬みに過ぎず、最近では逆に誇りを持って、この諺を受け止められるようになって来ました。

歴史的に近江商人と松阪商人とは、織豊時代の武将の蒲生氏郷(ガモウ・ウジサト)を介して、深いつながりが有ったようです。 蒲生氏郷は信長の楽市楽座の下で日野商人を育てました。日野市は近江八幡市や五個之荘と並ぶ近江商人の発祥の地として有名です
特に「富山の薬売り」と同様に「置き薬の行商」の地として知られています。
その後、蒲生氏郷は伊勢に国替えになり、ゆかりの日野商人を松阪に帯同し、松阪商人もととなりました
三重県、滋賀県との県境にある鈴鹿山脈を天秤棒を担って山越えして、伊勢湾の海産物と近江の畳表、イグサやカヤ細工などの商品を商い近江商人の始まりといわれています。
作家の童門冬二は蒲生氏郷と日野商人の関わりを「近江商人魂」に書いています。
当時の鈴鹿山脈は山賊が頻繁に出たようで、硬い樫の木の先を鋭く尖らした天秤棒は格好の武器になったことや、各地に行く行商は自ずと各地の情報が入って来たことや見知らぬ土地での住人との揉め事や、泥棒と怪しまれたことなど、領主の蒲生氏郷と町人の仁右衛門と利八に絡めて小説にしています。 その本の帯封には、『日本を経済大国たらしめた真のルーツがここに!』「信用」「情報」「忍耐」「才覚」「倹約」をモットーに全国を制覇した近江商人の「商いの原点」と天秤棒精神と書かれていました。(昭和62年の初版の少し古い本です)
日本の繊維ファッション産業のグローバル化から藤原正彦著の「国家の品格」⇒「私の品格」⇒「近江商品魂」と藤原氏がその著の中で書いておられる様な論理性のない話になってしまいました。
結局今回も充分に読み取ることは出来ませんでしたが、著者は「国家の品格」に「武士道精神」の慈愛、誠実、正義、勇気、惻隠の情を唱えておられます。 恥ずかしながら武士道の精神に縁遠い私には、近江商人の「三方よし」「利真於勤」「陰徳善事」の方が馴染みやすいようです。
他の科学や機械や金融のような文明的な産業とは異なり、情緒的な要素の強い繊維ファッション産業のグローバル化には、武士道精神より商人道魂」のほうが案外適しているに思えます



「琵琶湖のアユは、他国に飛び出して大きくなる」という諺があります。
琵琶湖の生息するアユの稚魚を全国の河川に放流してアユに成長します。琵琶湖のアユは子鮎の時に飴炊きにして食します。そんなこともあり琵琶湖の鮎は比較的小さいのです。琵琶湖があり農地の少ない土地柄で、次男、三男は食い扶持を減らす意味もあり、「他県に出て出世せよ!」という意味が込められています。
多くの成功者が輩出した所以かもしれません。
私も近江の端くれの三男坊ということもあり、大学を卒業し、40年程前に家族や親戚の大きな期待を背にして近江商人を目指して大阪の船場にやって来ました。
残念ながら両親の期待に応えず、琵琶湖を大アユになることを目指して飛び出したアユは、元気がとりえだけの小さな鮎程度にしかなれなかったようです。
先日の37回忌法要で仏前で両親に詫び、家族の健康と無事という、ささやかな幸せを報告してきました。

近江商人の「三方よし」「利真於謹」「陰徳善事」

2007年04月12日 | アパレル放談
品格に関連して少年・青年期の後天的な環境経験なども要素の一つではないかと考えれば、故郷の環境も大いに関係することになります。
私は滋賀県(近江)の湖北地方の出身で、俗に言う「近江商人」の発祥の地とは少し離れています。
とはいえ、少なからず影響しているように感じます。

近江商人魂は青年時代の私に影響を与えたといえましょう。
「近江泥棒」と「伊勢乞食」などと揶揄されている面もありますが、的を射ていない面があると思っています。
(強盗慶太、泥棒堤と世間で言われた西武鉄道の創始者の堤康二郎の西武と東急戦争のイメージが強いように思います)

近江商人の真髄は、その魂とも云える、「三方よし」「利真於勤」「陰徳善事」の三つの精神です。
その「近江商人魂」は現代の経営にも充分に通用すると思います。

「三方よし」は買い手よし・売り手よし・世間よし⇒現代の顧客満足・社員満足・社会貢献に通じています。
「利真於勤」は働くことで利益をもたらすものの例え、浮利を戒めています。
「陰徳善事」人知れず善行を行うことを諭しています⇒自己顕示や見返りを期待しない。

昨今の企業が忘れ去っていることで、この近江商人の三つの魂は、却って新鮮に感じられます。

其の他少し時代的なズレ、時代錯誤と思われるかもしれませんが
「在所登り」「押込め隠居」「三つ割り制度」などの制度もあり考え方によっては面白いものがあります。

「在所登り」=薮入り制度⇒修行後に故郷に錦を飾るという面もあります
「押込み隠居」=不肖の息子に経営を任せず引退させる⇒事業継承の方法
「三つ割り制度」=本家に上納・内部留保・店員に配分の利益の3分配⇒利益配分
「売って悔やむ」=短期の無茶な利益を追うな
「始末と吝」=始末する事とけち(吝)とは異なる

近代的なアメリカ的な経営が主流となりつつある中で、永く続いて来た「近江商人魂」も却って新鮮に感じられるものです。





国家の品格  私の品格? Ⅱ

2007年04月11日 | アパレル放談
品格とは天賦の気質とその後の後天的な気性と性格とが混ざり合って形成(醸成)されるものと感じます。
その意味で少年期、青年期の多感な時期での環境が大いに関係するものと思います。
私が過ごした頃の故郷は、戸数3百軒強の小さな山村でした。
地理的に北陸と濃尾が京の都に向けての接点ということもあってか、昔から戦略拠点になっていたと思われます。

古くは壬申の乱で蘇我馬子に敗れた物部守屋が隠れ住んだと言われる本宮の岩屋があり、私の少年時代の腕白小僧達(私も含む)の密かな遊び場になっていました。
今でも氏神の波久奴神社では物部守屋を祭る、お神輿の祭事が行われています。

織豊時代から江戸初期に波乱の人生を生き抜いた浅井長政の子供の茶々(淀君)、お初(京極高次の正室)、お江(徳川秀忠の正室・家光の生母)の生誕地の小谷城址も格好の遊び場でした。

海北友松(狩野派の大家、武人画家)、片桐且元(豊臣5大老)、小堀遠州(遠州流茶道・造園・作事奉行)、相応和尚(比叡山・千日回峰業)、小野湖山(江戸から明治初期の書家・尊皇攘夷)の5人を、3百軒そこそこの山村が生んだ賢人として、「五先賢」と称し郷土の誇りにしています。

最近ではNHKの大河ドラマで有名になった山内一豊の妻千代のゆかりの地も近くです。
歴史のことなどそれほど興味のない少年時代の私に、家族や近所の老人から聞く郷土の歴史の話から、その後の生き方に何がしかの影響を受けたと思われます。

私が滋賀県出身と話すと「あの近江商人の・・・・」という意味深長な応えが返って来ることがよくあります。
近江商人の発祥の地は、私の故郷から少し南の湖東地区のことを言います。
伊藤忠、丸紅やトーメンはじめ、高島屋、大丸、西武などの商業から東洋紡、日清紡、市田、ツカモト、ワコール、外与、小泉、小杉産業、西川産業などの繊維関係の企業などの多くは、この地区のご出身が多く、現在でも多くの方が活躍されておられます。

これに比べて、私の出身地の湖北地方は少し趣が違っています。

「崇仏・廃仏戦争の敗者の物部守屋」から始まり、「越前朝倉に組し信長に抗した浅井長政」、「秀頼助命嘆願を画策したが淀君と家康との板ばさみで自刃した片桐且元」、「戦乱の時代をそれぞれ波乱とともに強く生きた浅井の三姉妹」、「親交の深かかった逆臣光秀の重臣斉藤利三の処刑後の遺体を奪い返し、自寺に葬った武人画家の海北友松」、「比叡山の百日回峰行の苦行を確立した相応和尚」、「宗旦の侘び茶と画し新しく綺麗さび茶を確立した小堀遠州」など無骨・反骨で自らの信念を通して生きた先人達を誇りにしている土地柄です。

見方によっては、大勢に阿るのではなく、決して生き方上手(商売上手)でないように感じます。

故郷の先賢人のそんな生き方に、私は知らず知らずに憧れめいたものを持って、影響されているのか知れません。







国家の品格  私の品格?

2007年04月10日 | アパレル放談
繊維ファッション産業のグローバル化に関連して藤原正彦著の「国家の品格」を何故か再読してみる気になりました。
読み返していりるうちに、「国家の品格」もさることながら、「私の品格」について興味を持ちました。

「ハケンの品格」などというTVドラマにまでも放映されていましたが、この歳まで「私の品格」について深く考えてみることはなかたのですが、少し考えてみようと思います。

哲学的思考は皆無といいっていいほどの私ですから、品格の定義は辞書程度の知識しかありません。

「その人物が具えている気品、品位」と理解しています。
道徳的な基準から感じられる要素が強いように感じます。

その品格は、祖先や父母からの天賦ものと、その後の教育、信仰や取り巻く環境、経験などの後天的なものが融合して形成されるものではないかと私なりに解釈しています。

先月21日のお彼岸の時に、私の両親の37回忌と長兄の13回忌で帰省しました。
私の故郷は長浜市ですが、最近の市町村合併で長浜市になりましたが、旧の東浅井郡浅井町という福井と岐阜に隣接する山村です。

最近は都市化されてきましたが、昔は農業、林業と養蚕が産業の中心でした。

私の生家も戦前は養蚕の「繭だね問屋」を営んでいたようです。
小作に繭だねを売り、繭を買い上げる商売です。
当時の農家は稲作の副業として、お蚕さん(昔は蚕の事をこう呼んでいました)を仏間座敷で大事に育てたり、土間で「長浜ちりめん」を手機で織って現金収入にしていました。
家々から聞こえて来る機の音を聞きながら、畑一面の桑畑に生っている桑の実を口が紫色になりながら食べていた少年時代の想いでがあります。

福井県大野市の下駄・草履の鼻緒の素材となっていたビロードの職人さんが、刃物で起毛する匠の技を見て子供心に職人の凄さを感じました。

近くに旧のカネボウ長浜工場があり繊維産業には縁の深い土地といえましょう。
それらの産業はその後衰退し、今では殆ど見られなくなりましたが、少年時代のこんな環境が、その後、私を繊維の道に進ませたのかも知れません。

湖北地方は昔から親鸞聖人の浄土真宗の門徒信仰が熱心な地域です。
古い「しきたり」は、今でも受け継がれています。
特に冠婚葬祭の「しきたり」は今でも大切にする土地柄です。

最近では少し簡素化されてきましたが、法事も昔からのしきたり通りです。
長い読経や作法はスッカリ都会の生活に浸りきっている私にとっては、苦痛すら感じます。

正座での長い「御勤め・読経」に痺れを切らしている傍で、若い甥や姪の家族が正座して、声高に読経をしている姿を見て、慌てて冷や汗をかきながら、忘れかけている読経をたどたどしくしている自分に恥ています。

私の生家は築140年ほど経っているそうです。
昔は豪雪地帯だったので造りは頑丈にできているようで、手入れをすれば後100年は持つとのことです。
広いだけで現代の生活には決して便利とはいえませんが私の少年時代の思い出がよみがえります。

家の維持にはお金はかかりそうで大変だとは思いますが、それでも守っていてくれる若い甥には頭が下がる思いです。

品格に天賦のもの意外に後天的なものが影響するのであれば、私の若い時のこんな環境が「私の品格」に何らかの影響を及ぼしているかも知れ知れません。

以下次回。





繊維ファッション産業のグローバル化? 藤原正彦著『国家の品格』を再読してみようと思っています

2007年04月06日 | アパレル放談
最近PV展やCHIC展など海外での商談会の話題が多くなっています。
ユニクロ、イオン等もトヨタ自動車をモデルにグローバル化を視野に入れてるようです。
当然海外からの日本への動きも加速しています。

お隣の韓国とアメリカのFTA交渉も妥結し、先を越された感がありますが、タイとのFTAが妥結したようです。
次期の繊維ビジョンも国際化・グローバル化が提唱されているようです。
繊維・アパレル産業もいよいよグローバル化が避けられなくなって来たと言えましょう。

これまで、日本の繊維アパレル業界は、特殊な環境のもとで、商品の企画、生産や商慣習、取引条件などが国内市場に特化して、ジャパンスタンダードが永く続いて来ました。

これからはジャパンスタンダードを、どのようにしてグローバルスタンダードに移行し、変更させていくかが課題となります。

そもそも洋服という読んで字のごとく「西洋」のもので、欧米スタンダードのグローバル化に成らざるを終えないのでしょうか?

日本の繊維・ファッション産業の今後を何となく考えていたら、以前に読んだ藤原正彦氏の「国家の品格」を思い出しました。

初版は’05年で「小泉・竹中改革」の真っ只中で、私が退職時期と重なった頃と記憶しています。
そんな時期でもあり、充分に理解して読んでいなかったように感じます。

この機会に再読してみようと思います。
少し違った理解になるかもしれません。

グローバル化のあり方の指針になるかも知れません。