「業際」を超え・「域際」を超え・「世代の際」を超えて!

理論を貫いて実践に生き! 実践を通して理論を究め! 前へ前へと進もう!

ランズエンド(LANDS END)のこと

2006年01月31日 | アパレル放談
ユニクロ・ダイエーとの提携のことを消費者の目線でブログしていたら、
どうしてもランズエンドのことを消費者の目線で触れ、たくなった。

私はLANDSENDSが日本展開した時からのファンでした。
最初に送られてきたカタログは新鮮でした。
今でも鮮明に記憶している。

巻頭にウィスコンチン州のトウモロコシ畑の中の古びた本社の写真が載っていました。
説明文にはこう書かれていました。

「我々通販にはマンハッタンに立派なオフィスは必要としません。
その分の経費をお客さまに求めません」衝撃的なコピーでファンになりました。
ベーシックなカジュアルパーツとして重宝しています。
ドレスシャツ、カジュアルシャツ、ポロシャツ、コットンパンツ、デニム、ジャケットそれぞれがベーシックですが組み合わせが楽しめます。
他の通販に比べ、割高感は有りますが充分満足できます。
ビジネスにも耐える優れものです。

顧客としての興味が主ですが、原産国の推移を見ていると、アメリカのアパレルの生産・貿易の流れが見えてくるようで面白い。

香港・東南アジア中心の生産国から、NAFTA重視の流れが感じ取れます。
メキシコ、ブラジル、ホンジュラス、ドミニカなどの
中南米産が多くなっています。
FTAの影響が商品を通じて見えてきます。

最近日本ランズエンド社は林恵子社長を迎え業績好調と
業界紙に掲載されています。

顧客サービス、日本サイズ等の林社長の政策が業績向上の要因と
業界紙は書いていた。

ランズエンドの古くからの顧客の私は少し異なった思いがあります。
最近起こった、顧客サービスを金や宣伝材料にするだけのような対応を
経験しました。

消費者クレームの対応の不満です。

林恵子社長より早くからのLANNDSENDファンの私が、
最近感じたことの苦言(提言)を次回に述べたいと思います。

ファーストりテーリング(ユニクロ)とダイエーの業務提携について

2006年01月30日 | アパレル放談
ブログを始めて投稿10回を超えました。

主にビジネス上の知人や学友(悪友?)からメールを多く頂きました。
有り難うございます。

内容は「開設のお祝い」「激励」「続くかの心配・疑問」「内容の評価」
「ブログのテクニック」等、貴重な内容です。

当方も3日坊主を懸念していましたが、もう後に退けません。
意欲が出てきました。コメントもどしどしお願いします。

昨日のブログについては、主に完全リタイヤしている悪友達(老年パラササイト族)から、嫌味、妬みともとれるメールが有りました。
両君には、この場を借りてお詫びします。

「両国さくら」さんからユ二クロ・ダイエー」との
業務提携についてのブログに書き込みがありました。
当人は海外出張とお聞きしていますが、所感を書きます。

業務提携の目的と概要については
1月30日付の日本繊維新聞に記事が出ています。
やはり柳井社長のアメリカ時代の原体験がDNA化しており、
当然アメリカのGapのMDの軌跡をなぞっておられると思います。

今度の提携ブランドをカジュアルのベーシックブランドとするか?
ファッション・ブランドとして捉えるか?
FAD・ブランドにするのか?が、興味があります。
本来ユニクロが目指したのは、カジュアルのキーアイテムを最適品質、最適ビジュアル、最適環境、最適価格で安定(大量)供給する
オペレーションの構築だったと思います。

ある規模(店舗数)を超えると、このオペレ-ションが狂いだす例が
多くみられます。
其れを補うには、過度のプロモーションと大都心部MDと地方とのMDの
併用が余儀無くされて、MDのズレとなるのではないかと思います。
(内部的にはショック療法も良くある手段ですが・・・)
今回の提携はその辺の調整も含んでいると思います。

日本繊維新聞の記事によると、
カジュアルのベーシック商品になるようで、期待してます。

ユニクロより3割ダウンのご計画とのことですが、
消費者の私としては大歓迎です。
ファーストりテーリングの組織力で充分可能と思いますが、
生産工場や仕入先の犠牲の元に実現されたもので無いことを祈ります。
貴社は別だと思いますが、過去にその犠牲のもとに、
発展、衰退した例をたくさん見ています。
また経営においても、拡大の罠にはまった経営者も多く見ています。

今回の提携相手から、その辺も充分に研究されたら良いと思います。
大経営者に苦言めいてはなはだ失礼かとは思いますが、
消費者の意見としてお許しください。老婆心ながら・・・。


「両国さくらさ」はしまむらとの比較をされていますが
余り意味をなさないと思います。(よくわかりません)

消費者の私の意見では、
訳のわからないブランドロゴの入っている商品は別ですが、
カジュアル(ベーシックな)のパーツ的な商品だったら
ダイエーでも買うと思います。

私のカジュアルのパーツ的な商品はアメリカ通販のLANDSENDで、
殆ど買っています。
カジュアル商品はそういうものだと思います。
先日のブログは消費者の意見を述べました。

日本繊維新聞の見出しは「GMS衣料品の再定義」になっていました。

私は前々からGMSの定義は充分理解していません。
誰かお教え願いませんか?

私は昭和43年入社で最初の担当はイズミヤ、主婦の店ダイエーの
営業MDでした。
バッタ屋からスーパーに変わりつつある時期でした。
その後担当が変わった頃にGMSと呼び方が変わったと思います。

高度成長を経て「1億中産階級」といった時代は、所得も、購買動向も
Generalだったと思います。バブル崩壊後と
NEWエコノミーバブル(造語)時代を経て、
消費の新しいクラスター社会が出来つつあると思います。

GMSよりSMS(造語:S=Special)の考え方が必要と思います。




インパナトーレの癒し

2006年01月29日 | 今様隠居道
今年の正月は神戸三宮の生田神社に初詣だけで他に何も正月らしいことはしていなかった。

淡路島の灘黒岩水仙郷の水仙がきれいに咲いているらしい。
ブログを始めてパソコンい向かうことが多くなったので、少し肩がこっている。

温泉でもと思っていたところ、女房の「最近ふぐ食べていないわ・・・・」の嫌味とも、脅迫とも取れる独り言。水仙、温泉、ふぐ三昧を思い立った。

空いているのと価格の関係で日曜と月曜の日程にした。これから出発。

旅館を決める時に、やはりインターネットを使った。
料理、風呂、部屋、雰囲気、サービス、値段などのキーワードで検索。
最後の決め手は、やはり口コミ情報。
口コミ情報は自分終えたい情報(ユーザー側の)が得られる。
広告・宣伝は供給側の一方な情報だ。
情報の幅が広がっている。

最近テレビで「雑誌の販売部数をフリーペーパーの出版部数が越えた」とのこと。
確かに欲しい情報が集中しテ載っている。

これも顧客の情報の収集手段が変化している。
研究の価値がある。マーケットの生かせそう。いいアイデアが浮かんだ。
興味しんしん。
また肩がコリソウ。

今日と明日はユックリ癒してきたいと思う。

「両国さくらさん」コメント有り難う。
海外(スイス?)へのご旅行とのこと、お気をつけて。
私も丁度、海の外?(淡路島)へ行くので、
ユニクロ・ダイエイの提携のことについて
折角コメントいただきましたが、後日コメントします。




ユニクロ(FR)とダイエーの提携について(雑感)

2006年01月28日 | アパレル放談
ファーストリテーリングとダイエイの提携についての両社長の会見記事が今日の繊研新聞に掲載されていた。
詳しい合併目的、効果、影響などについては、業界のアナリストにお任せして、消費者の一人としての雑感を書きます。

私は一時期アメリカに在住の経験があリます。
その経験から、カジュアル商品について常々感じていた事を書きます。
アメリカにはベーシックな商品の品揃えが厚く、豊富に品揃えされている。
ベーシックといっても定番的なものから進化系のものまで揃っている。
アメリカのONやOFFの着こなしに上手に組み合わせている。
単品商品がコーディネートの着こなしの重要なアイテム(パーツ)になっている。
日本単品を見ると、百貨店・専門店は共に付加価値やブランドを強調するためか、やたらロゴやオーバーデザイン、オーバーバリューな単品が多い。着こなしの幅が狭く、どうしてもセットアップになってします。
ブランドの宣伝に一役買うのはゴメンだ。
反面GMSは低価格、名も知らないライセンスブランド?可笑しなデザイン、質の劣る海外商品など等ONにもOFFにも着られず、ルームウエアーにもならないものが多い。
本当のベーシック(進化系を含む)な単品は本来GMSが得意なはずだが、品揃えが出来てていない。
ユニクロがその間隙を狙って独自店舗を確立した。ユニクロの企画・生産力、オペレーション、プロモーションをとダイエーのスペース力?が連動すれば期待できると思う。
ユニクロとしても、デフレ脱却後の出店コスト高の懸念無く、約数数百店舗のスペースが確保できたことになる。

FRの柳内社長はアメリカ留学(遊学)時代の生活で実体験しておられるはずだ。
カジュアルの基本はベーシックなアイテムの組み合わせが有って楽しめるものです。

昨年のクールビスブームの時に、政治家のベストドレッサーで評判になったのは、思いもよらぬ、今話題の自民党の武部幹事長だった。
単純にベーシックなジャケットとボトムとシャツを上手くカラーをマッチさせていた。
それだけで知的?にも見え高感度が演出できた。
(孫にも衣装とはよく言ったものだ!今は高感度を無くしているようだが)

今回のブランド(商品)のプロモーションはユニクロのような手法をとらずに、「無印良品」とはいかなくても「有色良品」的な商品やプロモーションを消費者として期待しています。

大きなスペースではなくても、キッチリした品揃えをすれば、新しい顧客の導引ができると思う。
繊研記事に書いていたような既存とのバッティングは少ないと思います。


実は、私はユニクロの商品は買っていません。商品の良さは評価しますが、結果ユニクロスタイル(ルック)になってしまうように感じる(た)のです。(最近は少し変わってきましたが・・・)
当然GMSの平場でも買いません。新規客の導引が見込めるのではと思います。

今回この提携が他のGMSの平場に良い影響が出ればと期待します。
GMSの平場が現状のままだと、GMS平場のメーカーは「持ちこたえる体力が残っていないのでは?」と心配しています。(悩み、苦情、怒りを聞きます)

一部のGMSでは平場のインショップ化で対応をしようとしていますが、本当に顧客満足を目指したものであれば喜ばしいが、在庫、経費のメーカーヘッジが目的であるなら困ったものだ。
結果として、お客にツケを回すことになる。

今日はインパナトーレでは無く、消費者の雑感を書いた。




インパナトーレの思い出

2006年01月27日 | アパレル放談
海外の友人の話しを続けます。今日は友人というより、故人になられた香港の大先輩の思い出をお話します。
随分前(20年程前)の話しで恐縮ですが、氏から伺ったお話は、今でも鮮明に記憶している。その方は早くから香港に渡り、対米輸出を主に一部日本への製品輸出をしておられた方でした。
日本語で話すより英語、広東語のほうが得意な方で、香港ビジネスで著名な佐々木力氏=リッキー佐々木(香港をベースにして、対米・対日輸出⇒ワールド香港・上海⇒THEORY⇒ユニクロ・ファーストリテーリング・LINKのパートナー)より早く香港で大成功され、10年程前に他界されました。

私が20年程前に、大手アパレルで海外事業を担当している時、一年の1/3はアメリカ、1/3はアジア地区、残りの1/3は日本と飛び回っている時期がありました。
氏と香港で会食した時に、「出張続きで疲れますわ!」と私が弱音を吐いた時に、氏は「貴方は今幸せな時を過ごしていますね、なかなか出来ない経験をしています」「きっと今の経験が良かったと思う時が来ますよ」「今の経験を大切にしなさい」とご指摘いただいた。
氏が指摘されたのは「日本が現代とすれば、アメリカが日本の未来で、アジアが日本の過去です」「貴方はその歴史を同時に体感していて、誰でもそんな経験が出来ない。きっと貴方の今後に生かされるだろう」、「アメリカの10年前が日本現在で、日本の10年前がアジアの現在だと思えばよい」、「その流れを上手に戦略に生かせばよい」と禅問答的に話してくださった。

氏によれば日本の過去、現在、未来を同時に見ていることになり、なかなか出来ない体験です。アメリカ映画のBACK THE FUTUREのようなものです。
そのことを聞いてから、出張が楽しくなり出した。

こうした経験があって、お陰でアメリカのWholesaleの衰退や、郊外SC、SPA、OutLet、海外空洞化、QR、WebBrandingなどが理解(予測)出来て大いに役立った。今の仕事にも重要な要素となっている。

台湾、韓国の流れや急速に追い付いた中国も、氏の予測通りになりつつある。
ただし予測が違っていたのはアジアが10年後と指摘されたが、5年後くらいに迫っている感じがする。故人は天国で今をどのようにご覧になっているだろう。

天国に居られる故人に直接おお聞きしたい気もするが、直接お聞きするのは、もっと先にしたい。いま少しこの世で遣り残した仕事がある。故人のご冥福をお祈りする。

インパナトーレ商談会

2006年01月26日 | アパレル放談
昨日海外の友人の話をしました。
中・韓・台・港・その他に友人が多くいて、時々交流している。
特に韓国のH氏は面白い男だ。
大学卒業後すぐに、日本の大手アパレルの合弁会社に勤務し、15年以上日本との生産貿易の経験がある。

在籍年数と彼の年齢が3年近く誤差があることに疑問を感じていた。
ある日会食時に、「2浪か3浪したのか?」と余計なことを聞いた。
そのとき彼は「大学卒業後軍隊に入っていましたので・・・」との返事だった。

私は相手の国のこと、H氏のことを自分は良く理解していると、自負していたが、大事なことを理解していなかった。
歴史と、政治のことは詳しく解らないが、平和ボケの自分を恥じた。

昨日のブログで海外ビジネスの4つのポイントを挙げましたが、もう一つ加えます。
⑤お互いの歴史と政治の話題は避けたほうが良い。
(アジアの歴史観は自民党のYKKの政争の成り行きに任せておこう)
ただ、お酒を飲んでこの話が出来るようになれば最高の関係に成ったと言える。

H氏40歳を越えたところだが、1男1女の脱サラで起業。
当然歴史や政治の話しは激論できる関係だが、時々しかしない。

歴史政治の話題より仕事の話し、ビジネスの夢を語るほうが多い。

私は大手アパレルにいた時から、1国内での製品化より、原料と加工とソフトが国々の強みを生かして連動する」ことが良いと考えていた。

インパナトーレの起業もそのことが起(基)因の一つだった。

「韓国のテキスタイル(原料)、中国の労働力(加工)と日本の企画(ソフト)が日・韓・中を連携のコーヂィネートが出来ないか?」
本来商社の範疇だが、人材的、組織的、経済的に無理では無いか、それに代わってコーディネートが出来ると思われる。

その夢が発展して、彼とパートナーとして仕事をすることになった。
彼も同じような考えをもっていたのでIMPANNATORE KOREAを
韓国で設立した。
韓国内のテキスタイルや製品のコーディネーターをしている。

独立型志向の強い、韓国内のテキスタイルコンバーターやメーカー・工場を熱心に指導している。

来月14日から16日まで婦人子供服会館で商談会を共催します。
今年で3回目だが3社に絞り、比較的空白の百貨店・専門店向けのキャリア・ミセス向けの、商社のアパレル部や百貨店専門店アパレル、企画会社、SPAアパレルにコンビニエンスを出せればと思っている。
(コンビニエンスさ=韓国テキスタイルのハンドリング+中国生産+中小量の韓国国内生産+三国間のハンドリング)

今日はブログで広告の匂いがしますが、最近読んだ本のに「広告は必要を感じていない人には無用であるが、必要を感じている人にとっては、広告は情報に変わる。」と有りました。


インパナトーレブログ

2006年01月25日 | アパレル放談
1月22日の「インパナトーレ雑感」のブログで、
法政大学の岡本義行教授のお名前を間違えて記載しました。
先生にお詫び申し上げます。

私が始めてインパナトーレを知ったのは、KFAの経営者研修会の
法政大学の岡本義行教授の講義でした。
そのことを紹介するときに、教授の名前を宮本教授と誤植しました。
大変失礼しました。
岡本教授の近況を調べるために、インターネットで検索していたら、「シナジープランニング坂口昌章氏」が岡本教授について書いているコラムがあった。

今日、偶然に(タイミングよく)その坂口氏から私にメールが送信されてきた。
「中国繊維ファッションビジネス研究会」のセミナー案内だった。

氏とは数回お会いした程度ですが、氏と私とは、方法、方向は異なるが、ネットワークの仕組みを作ろうとする狙いは似ている。

私と違うのは、氏は、東京が活動の場でもあり、業界団体や行政、大手企業との繋がりがあり、華やかな活動が多い。
私には苦手(弱い・嫌いな?)なジャンルだ。
とは言え、ちょっとジェラシーは感じる。

昔(2003年11月ごろ)インターネットで「インパナトーレは、何故日本では定着しないか?」と言った内容のコラムを坂口氏が書いていた。
インパナトーレを設立して間無しのころで、ショックだったが、逆に、挑戦してみようと密かにファイトが沸いた記憶がある。
今度会う機会があったらこの辺の詳しい内容を聞いてみたいものだ。

セミナーの内容は中国ビジネスの研究のようだ。
時流のテーマだが、私の海外(アジア)のビジネスの基本的な考え方、スタンスは、
①良いパートナーを見つけ出す(出会う)ことが重要と考えます。
もし良いパートナーに出会えたら、
②ハーフ&ハーフの気持ちで、相手から与えてもらうのと同等のものを与えることだ。
ビジネスだから対価を与えるの当然だが、ここでいうハーフとは、金銭的以外の信頼、友情と言ったものです。
食事程度でもいいから、家族同士の付き合いをするような関係がよい。
③ビックプロジェクトの大型の案件は別だが、製品程度のビジネスなら殆どオーナーないしオーナー的経営だ。相手は決裁権を持っている。当然当方も有ると考えている。
決裁権を与えず、安易に海外での商談をさせるのは、相手に不信感を与えてしまう。
致し方の無いことだが商社の担当者は仲介が主であり、決定を曖昧にすることが多い。海外の企業から度々苦情を聞く。
自前でやる時も同じで、中国で成功してる工場などの会社は、オーナー自ら陣頭指揮をしている。
④日本の担当者は、人事異動でよく変わる。相手先はオーナーで変わらない。人事だから変わるのは致し方が無いが、商社に多くみられることだが、前任者との連続性が無い。それまでの良好な関係が担当者が変わり、取引中断といった事例も散見される。これに対する苦情も多い。

海外への展開を考えるなら、この4つが重要と私は考えています。
参考にしていただければ幸いです。

私(インパナトーレ)は、現在のところ中国とは余り深くかかわっていないが、お陰さまで、中・台・韓・港やその他の国に良い友人がいてくれる。

インパナトーレの業務の一つに、各国の彼らをインパナトーレにすることも行っている。
信頼おける現地の友人をパートナーとして、それぞれの国の交渉や実務の代行を
お願いしている。
日本のマーケットや商慣習も解っており、上手く調整してくれる。

彼らは、それぞれ言葉は異なるが、彼らの共通語は日本語です。
一部現地化?してしまった愉快な日本人もいますが、今のところ日本語は、私が一番上手です?

最近ボツボツであるが海外の旧友に会いに妻と出かけている。
妻は喜んでいるが、あくまで時間と金と相談しながら・・・。
(時間と金の都合がついても、体力がなくなるのが心配だ。急がねば)

坂口氏の中国セミナーが成功することを期待します。

*「中国繊維ファッションビジネス研究会」のホームページを紹介します。
  http://af-tbr.squares.net/




インパナトーレ雑感  (団塊世代の諸氏へ)

2006年01月24日 | 今様隠居道
今日でブログ4回目の投稿です。
これで3日坊主は一応脱したことになる。
今夜は(実質は今日)旧友(元の部下)のW氏と会食。
会食と言うより痛飲。終電車帰宅。
W氏はブログに付いて明るい方で色々参考になった。
早くインパナトーレのホームページを開くことを勧められる。
早急に準備をしなければと気が焦る。
3日坊主を懸念していたが、なんとか続きそう。
今のところ、確実に妻や娘夫婦は見てくれそうで心強く励みになる。
現役の間に苦労をかけた家族が私の仕事をブログを通じて
理解してくれれば、それだけでも満足。
(この数行は妻へのメッセージ=熟年離婚予防策?)

早くホームオページを立ち上げたい。
ブログを通して、現役、リタイアの交流が出来るターミナルになればと
思っている。
昨日のブログで学生時代の友人のリタイア(退職後)の状況を軽い乗りで投稿した後に、NHKの番組「人間ドキメント」という番組を観た。
小田和正ドキメントが特集されていた。

私の世代の小田和正は4歳ほど年齢差が有り、
私にとっては、単なるクリスマスの歌手のイメージだったが、
昨夜の番組を見て感銘した。

彼のコンサートのエネルギッシュに走り回るステージ姿と、
あの透きトール声は日頃の弛まぬトレーニングによって保たれている。

オフコース以後低迷を続けていた時に、敢えて若者に媚びるのではなく、
自分のため曲を作ろうと「個人主義」レーベルが出来た。
それによって同世代の共感を呼び、合わせて若者にも受け入れられた経緯が
放映されていた。

58歳団塊の世代の小田和正の生き様が描かれていた。

還暦世代の情けない生き方をブログに書いた後だっただけに、大いに恥じる思いがした。
テレビを観た後で、私もジョッキングして体を鍛えようと床についたが、
今朝は寒い朝だったので取りやめ、その上今夜は深酒午前様。
意志の弱さに大いに恥じた。
明日も寒かろう。多分・・・。
春になれば何とかしよう。

しかし気概だけは団塊の世代の諸氏と負けないようにしよう。
彼等が来るべき時(2007年)に、
このブログとインパナトーレのHPを通じて、
新たな社会参加が出来るインフラの一つになればと思っている。
(いいアイデアがあればコメントください=今企画中です)

団塊世代にエールを送ろう。
「団塊世代諸君、ご苦労さん、後少し頑張れ。
後2年で自在に遊び、自由に働く準備をしよう。
「ちょい不良親父」なんていわれて浮かれているな!
君達は大学時代は殆ど勉強していなかった筈だ。(出来なかった)。
残された後2年で仕事と勉強(定年後の準備)をしよう。
会社もそれを許してくれるはずだ。
何故なら充分会社に貢献してきたはずだ(多分)。

アルコールの勢で大風呂敷を広げてしまったようだ。

インパナトーレの雑感

2006年01月22日 | 今様隠居道
昨日のブログについて、コメントを頂いた。(多分大学時代の友人のM氏と思われる)
内容について、彼のコメントによると、真面目な内容であるとの一応の評価を頂きました。
ただ力が入りすぎて、永く続けるには、もう少し力を抜いてリラックスした内容も入れるべきとの指摘を受けました。

M氏は大手のコンピューター会社の営業(絶対にシステムをやれる適性ではないので営業と思う)をやっており、昨年リタイアして、新しく社会参加を模索しているようです。

一応IT関連の会社に勤めていたM氏のご指摘ですので参考にしたいと思います。
有り難うございました。

今日は日曜でもあり、氏の助言に従って、少しリラックスした話題にします。

 今年の大学時代の同級生からの年賀状の添書には、リタイア後の近況を書いたものが多かった。
大学の同期には、現役、一浪、二浪と年齢は違っており、今年で全員が定年になりました。
①完全リタイヤで「老年パラササイト」で女房の冷たく厳しい視線に耐えながら一応「悠悠自適な老後」と思っている友人。
②地方公務員で関連機関に再就職した友人(天下りできるような地位でもない筈だが?)
③新たな社会参加を模索して柄にも無くシルバー教室に通っている友人
④再雇用で頑張っている友人(後輩の足手まといになっていないか心配だが・・)
⑤今年定年の友人
⑥現役を捨てきれず、起業して、業界に貢献していると、勝手に自己満足している人間?=私
友人の定年後のスタイルはさまざまです。

そんななかで共通しているのは、
イ)時間が有り余ること
ロ)現役引退に伴う寂寥感と安堵感(達成感・満足感は余り無いが)
ハ)体力の衰え・健康の不安
二)若かりし頃の思い出
ホ)付け焼刃の趣味探し(カルチャーセンター探し)
ヘ)女房との新生活?(長年の家庭・夫婦不在に対する逆襲と冷たい視線に耐え)
ト)老後の生活の資金計画(余り運用の心配の無いと思うが?=失礼)
チ)厚生年金の需給資格と需給方法(62歳需給年齢で団塊世代と少し恵まれているが)
などなどです。
コメントをしてくれたM氏が、久し振りの有志によるクラス会を計画してくれています。
この準備で連絡や打合せで交流が活発になりそうで楽しみです。
異業種の連中が殆どなので、異業種の情報も集まりそうです。
最近は同業種の情報だけでなく異業種の関連が重要です。
インパナトーレとしても有益なことと思います。
実は、ブログを始めたきっかけは、こんな出会い、情報収集をブログで出来ないかと、
始めました。
・・・・またまた仕事の硬い話題になってしまいました。私の悪いところかな。
M氏にまた指摘されそうです。
尚、今日の投稿内容はM氏はじめ8人の友人近況を、私の予断推測で書いたもので
違っていればまたコメントください。

追):定年退職前後のサラリーマンへの推薦図書
 
日経MASTERS (自由に働く自在に遊ぶ、人生の達人へ)
2002年7月に創刊・月刊誌(市販していない・)
私の現在のインパナトーレ起業の動機付けになった
「自由に働く自在に遊ぶ、人生の達人へ」のサブタイトルに引かれて定期購読しています。
     

インパナトーレ?

2006年01月21日 | アパレル放談
3日間東京出張でした。(ブログお休みしました)
国際ファッションフェアー(IFF)の業務視察。
IFFについては後日ブログします。

今日は「インパナトーレ」に付いてです。
当社の社名になっています。
私が「インパナトーレ」という言葉に最初に触れたのは、今から8年前です。
神戸ファッションアソシエーション(KFA=神戸のアパレルの組合)の経営者研究会で、法政大学の岡本義行教授の講義で出てきた言葉です。
講義のタイトルは「イタリアに学べ日本の繊維産業」だったと記憶しています。

従来の生産指向の形態から、消費指向型の仕組みに変革させて、低迷を続けていた、イタリア・プラトーの復興に「インパナトーレ」が、大きく貢献した。

「日本もイタリアに習って、生産指向から消費者指向の仕組みに変える必要がある」という内容でした。

詳しい内容はインターネット上でも数多く紹介されています。
詳細について興味のある方はインターネットで検索をお勧めします。

ココでは私なりのインパナトーレの解釈を披露します。

インパナトーレは生産機能は持たずに、企画力、コーディネート力、ネットワーク、経験を基にしている。
既存の機能を修復・改善し、インテグレートして、新しい価値を作り上げることで、インパナトーレは成り立っている。

日本では永く続いた、縦型の生産流通が主流で、そのコンバートを商社や産元問屋、テキスタイル問屋が担っていました。
近年、本来の機能から、資金・与信等が中心になり、結果的に消費者から遠ざかる結果となった。
また、それらの多くは、その機能を放棄し、撤退縮小している。
日本では、それに変わる新しい機能が求められています。

日本でインパナトーレ的な役割が一部で期待されている所以ではないかと思います。

経済産業省の「中小繊維製造事業者自立事業」が川中の製造業者の消費者指向に立った構造に、構造変革を支援する高邁な事業として、多額の支援が行われています。
3年目を迎えていますが、成功事例も有ると聞いていますが、単なる垂直型生産・流通の「中抜き」的な結果で終わってる事例が散見されます。
「中抜き」的ではなく、物造りの強みを生かした自立のモデルもあるのではと思います。

インパナトーレ的な機能が育っていなく、消費者指向に立った、生産流通のビジネスモデルが出来ていないのが現状です。

社名に「インパナトーレ」を冠し、魁に成ろうとしています。
まだまだ、業界で認められた状態ではないですが、いろんな先からの相談を受け、一緒に「使い走り屋」的に汗をかいています。
中小というより零細な企業の方が多く、生き残りのための熱意が伝わってきて、一緒にやることに、ヤリガイを感じています。

業界紙のT氏が、私のインパナトーレ設立時(平成15年6月)に一面のコラム欄に、下記の記事を書いてくれました。

[元アパレルのK氏がインパナトーレという仕事を始めた。日本では初めての職種が現れた。
日本人は単語を短縮して業界用語にするのが得意だ。
コラボレーションをコラボすると言ったように、将来的に「インパナ」すると言う造語が通用するかもしれない]

未だT氏の予測通りにはなっていませんが、T氏のこのコラムの内容は、私の励みとなっています。

先日のIFFの入場登録で業種の記入欄に適当な項目が無く、その他の業種に記入しました。
その他のネームプレートで会場に入場しました。
未だ我々の業種は認められていなく(必要とされていなく)がっかりすると共に燃えてきました。

何年後になるか知れないが「インパナトーレ」の業種欄が出来るように、頑張ります。                               以上








初めまして

2006年01月17日 | アパレル放談
初めての投稿です。最初は慣れない所が有り、
読みづらいかと思いますが、なにぶん還暦を過ぎた初老(自分では思っていないが)の男のブログです。ご勘弁ください。
今日は最初の投稿なので自己紹介をします。
昭和43年に大学を出て大阪のアパレル(その当時は婦人服屋:大阪では「潰しや」と揶揄されていましたが)に入りました。
やっと婦人服製造業が陽の目を見だした頃でした。
鈴屋、三愛などのチェーン店が洋装店に代わり成長し、
ダイエーが「主婦の店ダイエー」、ジャスコが「二木・岡田屋・シロ」、マイカルが「ニチイ・赤のれん・その他」に分かれていた時代でした。
卸売は問屋から専門店直販に移行しだした時代でした。
そんな時代に大阪の船場に学卒で入社し、年下の先輩に五つ珠のそろばんで商売を叩き込まれました。
シャープの電卓が今のパソコンより高い時代で、そろばんが苦手で年下の先輩の算盤使いは神業と映りました。
その後原宿のマンションメーカーの時代、百貨店・専門店時代、DCブランドのFC時代、SPA、ユニクロ、大型セレクトショップ、109、欧米のメガブランドの時代等、変遷し発展した時代を経験しました。
おかげさまでアパレルの成長期に青春を過ごさせていただきました。
(仕事は厳しく辛いこと多かったが・・・)
自分の人生設計では60歳でリタイアして、その後は「悠々自適の完全リタイヤ」を夢見ていましたが、還暦を前にして、3年前に不本意ながら退職をすることとなりました。
今更「宮仕え」も抵抗があり、今後の生き方を模索しました。
35年の現役の経験を生かして、アパレル(繊維業界)が成長から成熟・混乱(衰退)期に入った業界に、完全リタイアまでの期間に、何がしかの貢献(おこがましいかも知れませんが)が出来るような仕事を目指して、新しく会社を設立しました。今年で3年目を向かえています。
35年の現役時代に一番悩んだ=会得した「人を使わない・在庫を持たない・借金をしない」の3つのキーワードで出来る会社を新しく起業することにしました。
昔受講したセミナーで法政大学の岡本義行教授から聞いた「インパナトーレ」を日本で最初にやろうと思い立ちました。
これこそ「人も在庫も資金」も要らず、少しは混乱した業界に貢献できるかもしれないと勝手に思っています。
おかげさまで川上から川中、川下までの多くの人とお会いでき、毎日のように、新しい刺激をいただいています。
いろんな方のお話を聞くことが出来ます。
仕事柄「守秘義務」があるものもありますが、可能な範囲で紹介したいと思います。
川上から川中、川下の方かの「悩みや抱負」をお聞きし相談に乗っていると、ある人の悩みは他のチャネルでは抱負になる事が多く、その逆も有ります。
それを「解いたり繋いだり」がインパナトーレかなと思っています。

取り留めのない内容となりましたが、初回と言うことでお許しください。
次は「インパナトーレ」について私見を書きたいと思います。

始まったばかりにもかかわらず、気が引けますがIFFのため東京に出張します。
2~3日休むかもしおれません。悪しからず。
(モバイルを勉強します。60の手習い⇒年寄りの冷や水)    以上