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NHKドラマ『坂の上の雲』に想う

2009年11月30日 | アパレル放談
昨日から NHKのドラマ、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が始まった。
ご覧になった方も多いと思う。
劇場用映画と間違えるほどのスケールのテレビドラマと感動した。
これから3年に亘って放送されるようだ。
NHKの作品は、時代を予感させてくれるものが多く、見ごたえがある。
特に、今回の『坂の上の雲』は、私にとって特別の想いがある。
若い時に読んだ時は、『日本のアパレル業界が繊維産業の一番底辺から、アパレル産業に這い上がろうとしていた時代』と想いを膨らませて、
「秋山好古・真之や正岡子規」に自分を見立てていたのかも知れない。
「アパレル界の黎明の時を駆け抜けているという錯覚にも似た想い」をしていた時代だ。
明治の時代のように、『欧米のファッションを一生懸命に猿真似』していた時代』だったのかも知れない。
パリ、イタリアのライセンス先のアトリエで、猿に似た私が、カメラを片手に必死になって商談をしていた。
ヨーロッパファッションを「真似ると言うより必死で学び取ろう」としていたのだ。
今思い起こすと、欧米人からすれば滑稽だったと見えただろう。
しかしながら、当の私には、『日本の繊維業界が列強に負けないファッション強国になるのだ』
という想い、気概があった。
今の私の歳では、もう秋山兄弟や正岡子規にはなれない。
時代が大きく変わろうとしている今、若い後輩たちが、物語の主人公たちのように
『坂の上の雲』を目指して欲しいものだ。
3年近く経過したが、2007年の正月のBlog(正月雑感」に、
このような想いを投稿した。
アパレル業界だけでなく、今の日本がその時代になってきているのではないだろうか?!
私は、昨今のこんな状況を密かに望んでいたのかも知れない。
三年ほどの前のBlogに、今日の日本と日本のアパレルを少なからず予感し、
期待していた。
お読み頂ければ幸いです。
坂の上の雲
2007年1月12日(正月雑感Ⅱ)より

ファストファッション?

2009年11月26日 | アパレル放談
「暴力的な価格がはんらんする今、圧倒的なプライスパフォーマンスをもっと追及しなければならない」
サンエーインターナショナルが年商150億円、第二の柱に育成中の“ファストファッション・フリーズマート」に対する執行役員のコメントが今日の繊研新聞に掲載されていた。
仕入先との太いパイプ作りやSCMの再構築はもちろん、「販売・管理費の見直しに着手した」、模索しているのは「原価率の上昇を前提にした高効率なビジネスモデル。きれいに売り切る仕組みつくりを急いでいる。同時に納品作業や店舗間移動を見直し、物流などオペレーションの効率化を進めている。「要するに、もっと小売りっぽくならならなきゃいけないということ。有力店のノウハウを研究し、経費を最大限に圧縮する考えだ。
全て、ごもっともなお話しだ。
読まれた繊研新聞の購読者は殆どが理解された内容と思う。

サンエーの執行役員が、この「フリーズマートブランド」を「ファストファッション」と誤認していることに、私は、「大きな矛盾」を感じた。

私は、「ファストファッション」はグローバル競争の段階に入っていると考えている。
「ファストファッション」は、規模の戦いに入っていると考えられる。
この規模に勝利するのは哲学・倫理が重要で、トップの哲学・倫理が最重要と考える。
成功しているファストファッションの共通点は、トップの哲学・倫理が全社に享有されていることだ。
それを無くした時に瓦解が始まる。

世界のSPA、ファストファッションと言われている企業で、日本ほど多ブランド展開を行っている例はない。
ちなみに、サンエーのトップに自社のブランドを聞いても、全部スラスラといえないのではないかと意地悪な想像をしてみた。(他の大手も同じと思うが)
SPA、ファストファッションは全社統合の事業だ。
執行役員は「ファストファッションは、現状の苦境を脱するための手段」との考え方かも知れない。
執行役員の真意は別のところにあって、取材した繊研新聞の記者が執行役員の「哲学」の部分を充分に伝えていないのではないかと穿った見方をしたくなるほどだ。

前々から、このブログにも「アパレル業界の矛盾」、「SPAの矛盾」として、何度も指摘してきた。
アパレル系のSPAも同様の矛盾を指摘してきた。
時間があれば是非読み返していただきたい。

どうしても看過することが出来ないことがある。
冒頭の執行役員のコメントだ。
「暴力的な価格がはんらん」との現状認識だ。
一部に暴力的価格と思えないものがあるので全面的に否定するわけではないが、
「成功しているファストファッションやSPA」には当てはまらないと考えている
私はSPAやファストファッションが順調か否かを判断する基準として、「仕入先の評判」を重要視することにしている。
ユニクロ、ポイント、しまむらなどの成功している企業の仕入先からの評判は、概して、すこぶる良い。
価格も安く、厳しい対応を仕入先に要求していると想像され、仕入先からの悪評は聞くことは少ない。
中国やアジアの取引先からの評価も高い。
もちろん厳しい要求に対して、大変な努力をしていると想像するが、
寧ろ誇りを持っているように感じられることが多い。

ユニクロの最近のプロモーションには、少し懸念を感じるが、
トップの哲学・倫理を基調に順調に運営されていれば、「顧客にも仕入先、株主などのステークホルダー」にCSRの問題は無いと考える。
そういう意味で「暴力的な価格はんらん」と限定することには反対意見を持っている。

あえて、非難を覚悟で断定するならば、「暴力的価格」との非難は、既存の業界側にあるのでは無いのではと考えている。
全ての企業とは言わないが、「繊維・アパレル・流通・小売の業界の矛盾」を「暴力的な取引で仕入先(これも顧客)に転嫁」し、「暴力的な高い価格を顧客に転嫁」してきたことにあると考えている。
私も「考えているというより反省」しているというべきなのだろう
その反省が、このBlogを続けられる原動力になっているのかも知れない。

ユニクロの創業記念イベント Ⅱ

2009年11月22日 | アパレル放談

ユニクロの創業イベントの「牛乳とアンパン」の先着○○名様プレゼントのことで少し違和感を感じている。

先日のBlogに、ユニクロがH&Mに対する強みは、日本企業が持っているお客様への奉仕の心と思う。
ユニクロが世界を目指すための強みは、日本人思っているお客様様への奉仕の精神だと確信している。

その考え方をもとにして、今回の創業イベントを考えてみたいと思う。
「牛乳とアンパン」は、ユニクロが広島に初出店した時に、感謝の意味でお客さんに振舞ったことに由来しているようだ。

このことを聞いて、私が20年間お世話になったイトキン㈱のことを思い出した。
私は、途中で退職してしまうことになったが、イトキン時代の経験が、その後の私に大きく役立ったとを今でも感謝している。
私の退職後のことだが、九州の専門店さんからイトキンの創業時のことに付いて貴重な話を聞いた。
その専門店の店主は、祖母から聞いたと私に語ってくれた。
戦後まもなく「糸金商店」と言う屋号で大阪の船場の隅で現金前売問屋を創業した頃の話だ。
その祖母の話では、戦後まもなくの頃、九州から夜行に乗って、早朝に大阪船場のイトキン商店の店の前に並び、開店と同時に商品をかき集めて仕入れをしたとのことだ。
当時は、「戦後統制経済」が解除されてまもなくで、物不足で売り手市場の頃だったと思われる。
クレープデシンとポンジーのブラウスがクレクレポンポンと飛ぶように売れたと、先輩からの駄洒落で当時のことを聞いた記憶がある。
その当時の船場は、同じような現金前売問屋が雨後の筍のように開店し、多くの店が商売を競っていた。
その店主の祖母のイトキン㈱に対する思い出話に強い感銘を受けたことがある。

「多くの店が商売を競っているなかで、糸金商店の奥様の手作りの握り飯と味噌汁を振舞ってもらった。その味は忘れられない」と当時の思い出を生前に孫の店主に語っていたそうだ。
当時を想像すると、戦後の食糧難の時代に自分の食べ物もままならぬなか、商売とは言え、なかなか出来ないことだと思う。
お客様への奉仕の精神で、その後のイトキン㈱の成功の隠れた要因だったのではと考える。
その話を聞いたのは、退社後随分後から聞いたことだ。
もう少し若い時に聞いていたら、自分の仕事にモット良い影響を与えたのではないかと悔やんでいる。

今回のイベントの発案は、多分ユニクロの柳井会長だと思うが、氏の意図はどこにあったのだろうかと勝手な詮索をしている。
「只単なる客集めの手段か?」、「お客への利益還元か?」、「ライバル店との競争の手段か?」、「PRの一種か?」等の効果を狙ったものであるとの見方が一般的であろう。

私は、違う見方をしたい。
今、ユニクロに最も重要なのは、ユニクロ全社員の創業精神の総有だと思う。
ユニクロの社員の多くは、入社暦も浅く、巨大化した企業のユニクロしか知らないのではないか思われる。
殆どの企業が、効率経営のもとにCSR無視の経営に陥りかけている(陥っている)いるなかで、創業時の苦労を偲ぶ事も意義あることだと思う。
創業記念のキャンペーンが、柳井会長のそのような意図で企画されたのであれば
素晴らしいことだ。
「やはり流石」と言うべきだ。
もしその意図だとすれば、過剰な報道をしたマスメディアの責任は大きいと思う。

「限定のキャンペーン商品と牛乳とアンパンを餌に大事なお客を寒い早朝から並ばせる」ことに何の抵抗も感じ無いのだろうかと言う疑問を抱くのは、私だけでしょうか?

グローバル競争のためにはやむ無しと言う考え方もあるが、今一度立ち止まって考えてみることも必要ではないだろうか?!

 

 

 

 


ユニクロの創業記念イベント

2009年11月22日 | アパレル放談
ユニクロの創業60周年記念キャンペーンの「牛乳とアンパン」先着者に進呈に順番待ちの行列が出来たと報道されている。
キャンペーンとしては大成功だと経営陣はご満悦のことだろう。

昨日の朝に、同居している長女が「ユニクロの入り口に人だかりがしている」と怪訝そうに私に訊ねた。
私が今住んでいる家から直線距離で200m程の所にユニクロがある。
ユニクロの関西1号店となった店舗とのことだ。
事情を説明してやると理解したようだ。

その日の夕方、私が住んでいる沿線の神社で、贔屓にしている「笑福亭松喬一門会」が開かれた。
笑福亭松喬師匠のことはこのBlogに書いたことがあるので詳しくは省くが、上方落語で一番の面白い落語家だと思っている。
一門の落語会を楽しみにしている。

その落語会で、中堅の「笑福亭生喬」がユニクロの創業記念セールのことを枕で面白おかしく話していた。
朝5時にお嫁さんに起こされて店の前に並んだこと、200名限定の「牛乳とアンパン」や200枚限定の「ヒートテックTシャツ値引き販売」に限定数をはるかに上回ったお客が集まったこと、その店前のお客の情景を枕にして笑いを取っていた。

「落語の枕」にまで出てくる程、ユニクロの今回のキャンペーンは大成功したという事かも知れない。
そのように考えるのが一般的かもしれないが、一方、冷静に考えてみることも重要ではないだろうか。
今や世界的な経営者となられた柳井会長に対して「甚だ失礼千万」と、皆さんの失笑を買うことになるかも知れない。
「大成功・一人勝ちのユニクロの光と影」が見えるような錯覚しているのかもしれない。
私が業界人ではなく、消費者・お客としてのステークホルダーの一人としてCSRの立場から疑問を持つことは許されるのではないか?

光の部分は、既に紹介され、絶賛されている通りのことだが、影の部分とはユニクロが「“成功の罠”にはまっていないだろうか?」と言うことだ。
日本だけでなく世界の急成長企業の祖業経営者がこの“成功の罠”に、はまった事例は数多く見て来た。
柳井会長は、「大胆ではあるが、慎重・周到な方」とお聞きしている。
その危惧は無いとの見方もある。
事実、ユニクロの歴史は、幾つかの「小さな罠」を経験してきた。
その都度、それを学習し、寧ろ、その罠をバネにして発展してきた。
私が懸念しているのは、「大きな罠は往々にして心地よく」また、「その罠に、はまっていることすら気づかない」と言う事だ。

特に、昨今が仕掛けた?加熱報道は異常である。
顧客側の冷静さをうものである。
寧ろ、柳井会長の「成功の罠」を危惧するより、「マスメディアの自重」を促した方が良いのかもしれない。










ユニクロ H&M ZARA

2009年11月20日 | アパレル放談
久し振りに東京出張をした。
日帰りでも良かったのだが一日延長して銀座のユニクロ(+J)とH&M、ZARAに行ってきた。

実は、改装後のユニクロもH&Mも初めてだった。
私は現役時代から「どんな話題の店やSC,ファッションビル」でもオープン時には行かない主義を貫いている。
何故なら、オープン時の喧騒で本当の中身が解らないことが多い。
逆に違った判断をしてしまうことが多いと思っている。
むしろ「宴の後、お祭りの後」が静かに実態が見えてくるものだ。

銀座に着くと折悪しく小雨が降り出してきた。
近くのコンビニで500円の傘を購入した。
400円の傘もあったが、銀座でのお買いものなので100円奮発した。
久しぶりの銀座で少し気合が入っていたのかも知れない。
ユニクロの入り口で雨に濡れた傘を若い店員さんがカバーをかけてくれた。
ハーフとおぼしき可愛い女の子だった。
年甲斐もなく嬉しくなった。
+Jは、いつもテレビや雑誌等で見ているので、ほぼ想像通りの内容だった。
デザイナーのジルサンダーとユニクロの絶妙な関係が読み取れそうだ。
クリエイティヴディレクターでも無く、ライセンスでも無いようだ。
「イメージングディレクター」という勝手な造語が浮かんできた。

ユニクロを出てH&Mに向かった。
雨脚は強くなり本降りのような感じだった。
H&Mに着くと入り口に傘のカバーの機械が置かれていた。
カバーのストックが切れているようで、いくらやってカバーが出来ない。
そばの使用済みの中から使えそうなのを取り出し自分でカバーをかけて入店した。
私を見て次の客も同じようにカバーをつけていた。
さすがに日本人と妙に納得,感心した。
店内はお祭りの後で案外閑散としていた。
雨の週日ということも有ったのかもしれない。
商品は思っていたより安くないと感じた。
H&Mの日本進出を機に日本のファッション産業が価格志向に走りデフレ化のせいもあるのかもしれない。
「黒船の到来は明治維新につながった」と言う前に書いたBlogを思い出した。
気になったのはディスプレィの商品の皺だ。
お祭り(オープン)時の時は賑わいでそれほど気にならなく、寧ろクイックな対応の結果と錯覚し多かもしれないが、祭りの後ではいただけない。
これを「年寄りひがみ、愚痴」と思うか否かは読者次第だが・・・。
もっと気になったのは、BGMのボリュームだ。
お祭りの後で少し静かになった店内にしては,如何なものか。
併せて夜店の呼び込みのような店員の大声はいただけない。
「2個買うと一個がダダ」のレジ前のアクセサリーセールのPOPもいただけない。、
30分程して店を出たが、傘カバーの機械は前の通り、使用済みのカバーが山積みのままだった。傍らにはスーパバイザーと思しき女性が商品のチェックをスタッフに指示をしていた。
入り口の傘カバーの管理については、彼女のJOBでは無いのかも知れないが・・・・。
祭りの後の気の緩みか、グローバル企業の欠陥、弱みなのか知れない。
どちらにしても興味深かった。

最後にZARAに入った。
オープン後の期間も長く、落ち着いた感じだ。
商品、店、店員とお客様の着こなしとがマッチして、成熟度を感じた。
世界のショッピング街の銀座という立地も影響しているのだろう。
ストアーロイヤリティーは、こんな風に時間をかけて熟成されていくものだと感じた。
そう見てみると大阪では、もう少し時間がかかりそうと少し寂しくなった。

我々は、ファストファッションブームや激安ジーンズブームなどを、景気や業界構造、生産構造などのから評価しがちだ。
これから今回の銀座のユニクロ、H&M、ZARAの宴の後・祭りの後の訪問で感じた方面からも考えて見ることが重要だ。

この投稿している時にラジオでユニクロの60周年キャンペーンのことを取り上げていた。
ユニクロの創業時に「牛乳とパン」をお客に配ったとのことで、それを創業60周年記念のキャンペーンとして行なうとのことだ。
「またしてもヤラレタ」という感じと「またしても流石」という思いが交錯した。
以下次回・・・。