「業際」を超え・「域際」を超え・「世代の際」を超えて!

理論を貫いて実践に生き! 実践を通して理論を究め! 前へ前へと進もう!

ロジィスティックスの事

2006年06月29日 | アパレル放談

今日久し振りに航空貨物と海上貨物事業の会社の部長が尋ねて来てくれました。

私が海外担当になった時に、貿易の事は素人だった私にとって、大変お世話になった部長です。

クォータ制が厳しかった頃のアメリカに、カルネで持ち込んだ10数パッキンのサンプルが、ケネディー空港で通関拒否で空港で立ち往生した時のことや、夜遅くまでインボイスの作成など思い出の多い方です。

久し振りの昔話とお互いの近況を話し合いました。

氏の勤める会社は当時の繊維製品輸出入の運輸業務から大きく変わり、液晶パネルや精密部品などの海外運輸だけでなく、国内外の工場のロジィスティックスまでを行なう会社に変化(進化)しているようです。

他産業の生産がSCM化に進化し、運輸業の体質も変化を迫られた結果で、今更ながら、アパレル業界との違いを再認識しました。

昔のイメージの氏は夜遅くまで、真面目に働く印象から一変し、アジアとアメリカの生産現場のSCMを支えているような感じでした。

話しをしている間に、佐川急便の10年程前のことを思い出しました。
昨年退職されましたが、佐川急便の支店長と食事をした時、私が支店長に「貴社のドライバーは他社の送り状の荷物まで自社扱いにして持っていくほど現場の営業力は凄いですね。集配運送は貴社の寡占状態ですね。」と、お食事の接待のお礼?も兼ねて話しました。

其のとき支店長は「それが佐川急便の危機なのです。集配には強いが、将来的には日本の流通が路線運送と宅配運送が主流となることが予測される。その時は集配だけの当社の危機となる。今後宅配の強化が急務となる。」と話していました。

その後テレビのCMが野口五郎の「我ら熱血セールスドライバー」からEーコレクトのユーモラスなコマーシャルに変わったことを思い出します。

同時に佐川のドライバーが他社送り状の分捕り営業から、カタログや書類など宅配的な小さな封書をセッセと集荷し出しました。
佐川の宅配E-コレクトの強化の始まりでした。


その後、氏の予測どうりに、流通チャネルが、路線運送と宅配物流の方向へ変化しだしました。

アパレル製品の流通が集配を中心としたチャネルからアパレルや小売店のSPA化が新しい路線物流を生み、新規チャネルのTVショップやWeb・Mobileショップなどは、宅配物流を前提とした仕組といえます。

他産業はこのロジィスティックスは進んでますが、アパレルのロジィスティックスは、まだ取り組み出したところのようです。

他産業の事例が大いに参考になるような気がします。









夏物バーゲンセール時期について (繊研新聞記事の私感・私見)

2006年06月26日 | アパレル放談
今日26日付の繊研新聞に夏のバーゲンセールの開催時期についての記事が掲載されていました。

「早すぎる夏物バーゲンセール」「せめて7月10日以降に」「プロパー販売期を削る」「求められる有力企業の挑戦」という見出しが目に入ってきました。

記事の中で「商業施設や百貨店側の強固な姿勢に対して、アパレル側は効果的な対応策がない状況だが一部大手ブランドや企業の今後の対応」に注目しているようです。

昔の関西での夏物処理のスケジュールは「祇園祭で社内在庫0、天神祭りでセール開始、お盆明け秋物投入」が通常でした。

私の記憶が正しければ、それが崩れてきたのは西武百貨店とその系列のパルコが早期開催を強行し、そごう百貨店が其れに追随したことが拍車をかけました。(関東地方のお盆商戦が新暦盆のスケジュールと関連していたのかも知れません)

小売側も足並みは整っておらず、賛否両論があり、当初は激しい攻防がありました。
当時の阪急百貨店は早期開催に積極的ではなく、セール開催時期の調整がアパレルの営業責任者の苦労の種でした。

当時全盛だったDCブランドがその強みを生かして別スケジュールで抵抗していた程度で、その後、阪急百貨店や他店も追随せざるを得なく、現在の状況が通常になってしまいました。(今ではその阪急百貨店も早期開催派に鞍替えしたようですが・・・・?)

現在のセールの早期開始の発端は、日本の季節感やそれまでの購買スタイルを無視した一部の百貨店の担当者ベースの戦術的(姑息)な発案(思い付き)で始まったと思えてなりません。

私もアパレル在籍の時は、このスケジュールには疑問を持ちながらも、大きなうねりに抗する事が出来ず、むしろ必要悪的として対応していました。

その一部の姑息?な手法が、その後に大きな混乱になったことが残念です。

専門店もこのルツボに飲み込まれて、もがいています。

私も現業を離れて一消費者となった今、この馬鹿げたセールの開始時期を大いに利用させていただく側になりました。

阪急百貨店の「REDページ」や他店の「社員優待セール」のDMの品定めをしています。

一方アパレル側も、社員ファミリーセールが公然と行なわれ、百貨店との共催のファミリーセールと言う不思議なイベントが通常化しているようです。



全てのタイトルには「お客さま感謝・謝恩・優待」のキャッチコピーが使われています。

小売り側もアパレル側も冷静になって、双方を総括をしながら、利口になったお客様と向かい合わなければならないと思います。

実シーズン突入前に半額セールという「お客様の感謝のクリアランス」が、逆に、お客様から小売り側やアパレル側に不信感をつのらせる事になりがちです。

セール開催時期の問題を、記事のように、談合的な手法や挑戦的に解決するのではなく、お客さま、小売り・デベロッパー、アパレルの三者の共通の問題として解決する時期に来ていると思います。

マークダウンとクリアランスセールと晩夏・初秋を上手に組み合わせをし、7月~8月の新しい販売スタイルの確立を時間をかけて双方が取組むことだと思います。


追:セールの早期化もお客にとっては季節感からすれば不思議な感がしますが、中元セールカタログの早い発送も如何なものか?!
早期割引と言う、ご親切な顧客サービスかも知れませんが、少し違和感があります。
一見お客にとっては便利なサービスですが、折角の来店機会を拒否していることになっているのかも知れません。
担当(外商?)の実績確保には、欠かすことが出来ないシステム(サービス?)でしょうが、結果的に百貨店への来店の絶好のチャンスを逃している(拒んでいる)と思えてなりません。

最近我家の中元歳暮は百貨店で無く、たまたま見つけた美味しい食材や気に入ったお酒、お菓子等をお送りすることが多くなりました。

このままでいくと、百貨店の中元や歳暮は、個人は減少し、企業用が主になり、何年後かの流通の業界紙に、これに関する中元・歳暮の記事が掲載されているかも知れません。











光触媒繊維と澤村株式会社

2006年06月22日 | アパレル放談
私はファッションアパレル業界を中心に歩んできました。

ファッションアパレルの業界では、素材の開発から製品までのタームが短く、1年が基本で、長くても2年ぐらいのサイクルです。

其のサイクルで育った私にとって、産業資材や実用衣料のサイクルの長さには驚きました。

目まぐるしく変化するトレンドに対応するためのスピードを重視したアパレルのスケジュールと異なり、品質、耐久性、機能性、価格、備蓄体制など基礎的な部分を重要視する産業資材や実用衣料の業界とは大きく異なっています。

カテゴリー毎にそれぞれ異なる機能試験を繰り返しながら、地道な作業を行なっています。
澤村㈱の清水事業部長も富板氏も細かく対応をされ、試験のデーターはクリアーしていますが、なかなか新規参入の壁は厚そうです。

産業資材の分野は別として、ユニフォーム業界や其の他の実用衣料業界などは、少し閉鎖的で保守的な面が残存しているように思います。

売れるものなら何でも、何処からでも、というアパレルにいた私の目には、何がしかの参入障壁があるように見えます。

其の閉鎖で保守なことが、ややもすると他産業からの新規参入を容易にしてしまうことが懸念されます。

アパレル業界がユニクロ初め、メガセレクトショップやSPAなどの新規の参入を可能にし、業界の地図がすっかり塗り替えられたような現象が起こるような予感がします。

6月21日付けの繊研新聞に、ファッションユニフォーム業界の特集が掲載されていました。
特集記事の中に、「アパレルや商社の新規参入」、「新規軸で需要創造」「デザイン性と機能性を高める」「サービス分野強化」「クイック生産体制構築」などの見出しが見られました。
前には余りお目にかからなかったキーワードです。
ファッションユニフォームという業界用語自体も、ユニフォーム業界に対峙した用語と思います。
(昔私がいたアパレルで使っていた社内用語でした。大阪ファッションユニフォームの略でOFUというユニフォームの事業部がありました。オーナーが30年程前に命名されたと記憶しています・・・・蛇足ですが)

ユニフォームの分野も少しづつ変化の兆しが出始めたようです。

2年目に入った澤村㈱のPHOTOCA SS(フォトカSS)光触媒繊維も、新機軸として評価されることを祈っています。

澤村㈱の清水剛事業部長と開発者の富板弘忠氏のこれまでの苦労に報えるように、微力ながら私もインパナトーレしたいと思います。



光触媒繊維とインパナトーレ Ⅴ (㈱アイ・エム・ティーと澤村㈱)

2006年06月20日 | アパレル放談

光触媒繊維のマーケティングについて5回目のブログです。

今まで匿名の投稿でしたが、今日のブログから実名で投稿する事にします。

T氏は富板弘忠氏です。

草津市の㈱アイ・エム・ティーの代表取締役です。

富板氏は紡績機械メーカーの営業のご出身で、紡績関係の事については、営業のことだけでなく技術的な面についても、技術者と紛うほど精通されています。

㈱アイ・エム・ティーは光触媒のパウダーの関係の仕事と紡績に関する機械に関するお仕事のようです。

光触媒の練り込み法に興味をお持ちになった部長は清水剛氏です。

繊維専門商社の澤村株式会社の事業部長です。

現場主義で、即断即決のアグレッシブな事業部長です。

外見に似ず案外緻密で几帳面なところも、お有りのようにお見受けしました。

現在は執行役員に昇任されました。

早速富板氏と同行して清水事業部長に説明を行ないました。

澤村㈱はレースやインナー関係に強い、創業80年を超える繊維専門商社です。

今後の方針の一つに、海外戦略や産業資材の強化を計画されているようです。

その一環として光触媒の機能を評価し展開を研究されていたようです。

清水事業部長が光触媒についてお詳しいのは其のせいでした。

清水事業部長が候補に上げられていたのは、酸化チタンの溶液を塗布(後加工)する方式でした。

当然、洗濯耐久性の問題が出てくるので、この対応を研究されていた矢先でした。

練り込み方式であれば、この問題はなくなります。

 問題は練り込み方式が塗布に劣らない機能効果が出るかということが懸念されます。

富板氏のワタ・糸の試験結果はむしろ、塗布を上回るほどのデーターは出ていましたが、生地にして、染仕上げ後の試験結果はありません。

富板氏も清水氏も、繊維業界の川上と川中のベテランで、即実行の業界の鉄則通り、試織⇒試験に至る二人の作業は素早いものでした。

試験結果は満足の行くもので、消臭効果だけでなく、大腸菌や黄色ブドウ球菌などの抗菌性も好ましい効果がありました。

防汚性についても新しい発見ありました。

第一段階の機能効果は好結果で、製品化が可能となり、営業的にも期待が持てました。

澤村株式会社がポリエステル短繊維の光触媒練り込み繊維をブランド化して販売を行なうことになりました。

ブランド名はPHOTOCA SS (フォトカ SS)です

(上記のURLをクリックしていただければ、PHOTOCASSと各種試験データーをHP上で公開していますので、ぜひご覧ください)

試験結果は衣料用だけでなく、産業資材まで幅広い展開が可能な期待以上のデーターでした 。

ただGoogleの検索結果で予感したように、認知度の低い繊維業界で需要を創造する、マーケティングは容易でないという予感はありました。

そんな予感が的中の話しは次回に・・・・。

 

 


光触媒繊維とインパナトーレ Ⅳ

2006年06月19日 | アパレル放談

一本の電話からT氏と光触媒繊維のマーケティングをすることになりました。

 光触媒の繊維業界での評価は、他産業に比べて低いこともわかりました。

T氏が開発されたポリエステルの短繊維(スパン)の練り込み方式は、既に展開している長繊維(フィラメント)の練り込みや塗布(後加工)の方式に比べ大きな長所があることも理解できました。

既に展開している方式は、長繊維のため展開する製品が限られたり後加工による機能の低下が避けられません

練り込み方式は両方の劣性がカバーできます

介護衣料、制服、スポーツなどの実用衣料やシャツ等の衣料にも展開の幅が広がります。

インテリアやカー用品、寝具などや、其の他の産業資材への展開も可能と思われます。

市場の需要と供給の関係を知るために、インターネットで調べてみたところ、一つの仮説を立てることが出来ました。

Googleで光触媒のキーワードの検索数を調べると、250万の検索数がありました。

同じくオーバーチュアのキーワードアドバイスツールで検索結果数を調べると2万2千でした。

光触媒に関しては、情報供給も多いが情報の需要も多いことが分かりました。

光触媒繊維のキーワードを同様にに調べたところ検索数(需要)が35万で、キーワードアドバイスツールの需要は、たったの80しかありません。

 この事は繊維業界では光触媒の情報の需要が少ないという事が伺えます。

光触媒は日本が先進国で、特に外壁や壁紙、ガラス、便器等の建築関係や内装関係の業界の産業資材が大きなシェアーを占めています。

 繊維業界では光触媒に対する認識がないと考えられ、これからのマーケットを開発することが先決です

そのためには、T氏の開発した光触媒練り込み方式の機能効果実証することが重要です。

光触媒練り込み方式の機能効果の詳しい試験データーが必要となります。

T氏の持っておられた試験結果は期待する内容でしたが、ワタ・糸の試験結果しかありません。 生機と染め加工後の試験結果が必要となります。

機屋かコンバーターとの共同作業が必要です。

川上同様川中も厳しい環境でした。期待できるとはいえ、未知のマーケット開発を伴う事業など、当時は見向きもされない状況でした。

しばらく暗中模索の状況が続きました。

 昨年遅れに、インパナトーレの別件の商談で大阪の繊維専門商社にお伺いした時に、商談終了後の雑談で、光触媒の練り込みの話しをしたところ、商談相手の部長の顔が変わりました。

その部長は光触媒のことに詳しく、矢継ぎ早に専門的な内容の質問がありました。

その部長の光触媒に対する知識や情報はは、私のそれを上回っていました。

私は専門的な質問に答えられるわけがなく、詳しい説明にT氏と同行することで、その場を凌ぎました。

その部長との何の気なしの雑談が、光触媒繊維の新しい展開のきっかけになりました。

 以下次回・・・・。


光触媒繊維とインパナトーレⅢ

2006年06月18日 | アパレル放談

見知らぬ人からの一本の電話で、光触媒という未知の分野に興味を抱かせる事になりました。

光触媒については、時々耳にする程度で、何の知識もありませんでした。

T氏から光触媒に対するある程度の説明は受けましたが、インターネットで言葉の意味や機能や関連商品を検索して調べました。

光触媒に関する記事は想像以上に沢山ありました。

 Googleでの検索結果数は265万の多さです。

それだけ多くの記事が書き込まれているということになるわけで、私の想像以上でした。

それだけホームページやブログなどによ情報を提供する多くの情報供給者がいることになり、情報供給側が多いということが予想されます。

 同時にGooglでオーバーチュアーの情報を受ける側の需要数を調べました。

オーバーチュワーでは情報需要数は2500程度しか有りません。

需給バランス(インターネットの)を計算するKEI法を使って計算してみますと、191という指数が出ました。

 同じように、光触媒繊維というキーワードで見ると、0.017という信じられない数字でした。(供給36500、・需要80)

どちらも高い指数ではありませんが、繊維業界ではインターネットの情報を提供している供給者の方が、情報を得ようとしている需要者を大きく上回っており、マーケットの認知度が低いことがわかりました。

繊維関係での光触媒にたする認知度は、他産業に比べ低いという仮説が考えられます。

この仮説・IDEAでマーケティングをすることになりましたました。

光触媒は、外壁やガラス、壁紙などの建築や内装の業界が主で、産業資材の分野で先行して、需要を拡大していることもわかりました。

特に光触媒繊維の指数の低さに驚き、困惑しました。

 繊維業界には需要そのものが無いのか、光触媒の機能の必要が無いのかという疑問が湧いてきました。

T氏の開発した「光触媒練り込み繊維」の機能が期待通りの試験結果が出るのかが重要と考えました。

以下次回・・・・」

お礼

インパナトーレ窪添の3周年記念として「5色達磨をキャラクターにしてBlogに投稿したり、挨拶のメール」を出したところ、週間の閲覧数がお陰様で大きく増加しました。

 Blogの内容からして、この閲覧数に私自身は大いに満足しています。

1月に始めた時は、継続できる一抹の不安はありましたが、閲覧数の増加に伴って継続の意欲が湧いてまいりました。

今は私のライフワークになりつつあります。

このBlogを借りまして、お礼申し上げます。

 


光触媒繊維とインパナトーレ  Ⅱ

2006年06月17日 | アパレル放談

T氏とお会いしてお話を聞いているうちに、私の中にマタマタ好奇心と新しい事へトライする意欲が湧き上がってくるのを抑えられなくなりました。

赤ダルマ(情熱)ダルマが元気づき出しました。

 私には、二十歳後半の頃から、何時も新しいブランドや難解な新規事業が私に回ってきました。目先の課題をこなしている内に、いつの時からか、それが苦労と思わずに快感にすら感じていました。 気がつけば、自ら進んでその快感に酔うことを覚えてしまったのかも知れません。

それが大手アパレルの常務を辞して、周囲の反対を押しのけて、ゼロからスタートのアパレルに入ることになったのかもしれません。

現在のインパナトーレの起業も同様と思います。 T氏も、私に負けず劣らずの情熱を持った方でした。 光触媒に関する知識造詣は深く光触媒のポリエステルスパンの錬り込みの開発に熱心に取組んでおられました。

 5年ほど前に技術的には完成していたのですが、当時の国内の原糸メーカーや機屋、産元商社などはリストラと海外へ脱出(グローバル戦略)の真っ最中で、新規のプロジェクトの取り組みはには消極的で殆ど無いといってもよいような状況でした。

 まして光触媒繊維のように新しいマーケットの開発をする必要のある案件はその当時の川上では難しい環境でした。

私は川上→川中→川下の伝統的な生産・流通・消費の流れが制度疲労をしている状況をT氏に説明して、従来の川上志向から消費側から立ったマーケティングの必要性を提案しました。

私は今までアパレル業界で光触媒のことや糸・ワタの紡績のことは門外漢(素人)です。 私自身確信があったわけでは有りませんが、川上志向のマーケティングよりは少しは可能性が潜んでいるような予感がありました。

二人の強みと弱味を補完しあえば、新しい仕組みが生まれる可能性に賭けて見ました。 お互いの一人起業から、新しい形の二人インパナトーレ?の誕生です。

 コーヒーのお代わりだけで、喫茶店での話は永く続きました。

 再会を約束して、その日は終わりました。

 帰宅して、女房に光触媒の消臭効果の話をすると、介護の母親の臭い(加齢臭と尿)に悩まされていた女房は、異常なほどの興味を示しました。

早速女房から、ベットカバー、布団、カーテン、パジャマ、クッション、ついには介護用品や介護服など、次から次へと関連商品が出てきました。

夕食の時に「臭いの話」という変な話題の夕食でした。

暫くして宅配便で自宅にT氏から造花?が贈られて来ました。

T氏から酸化チタン溶液を塗布した造花?を贈って頂いたのです。

多分光触媒の消臭効果の説明の時に、介護の母親の加齢臭の話をしていた関係で、お贈りいただいたと思います。

余談ですが造花?(アートフラワー)には、特別な思い出があります。

私が大手アパレルを退職する少し前に、造花?(アートフラワーと呼んでいましたが・・)をタイや香港、台湾などから輸入していましてショップで展開していました。

そのアートフラワーは、その後インテリア雑貨のブランドとして確立する事になりましたが、私の思い出は造花の在庫の山の思い出でした。

T氏には、ずいぶん失礼な話ですが、そんな思い出なので、厄介な贈り物という感じで頂きました。

何の気なしに、母の部屋に置いたのですが、暫くして女房は臭いが消えたような気がすると、言い出しました。

そう言われるとそんな気がしてくるものです。(案外、人間の五感とは科学的な試験数値より、気分や意識に左右されるのかも知れません)

その造花は、時々光触媒の溶液を塗布して、今でも窓辺においています。(時々TVショッピングでも再々放映されています。売れているのでしょう)

T氏は酸化チタンのパウダーの販売にも関係されているとのことです。

T氏から光触媒の塗布のアートフラワーを頂いてから、女房の光触媒の練り込み

繊維の製品化の期待が益々高まりました。

ワタ・糸から製品までの時間が、これほど時間のかかるものとは、その時は思ってもいませんでした。

日本の川上・川中の置かれている厳しい現状に、二人は直面することになります。

以下次回・・・・・。


光触媒繊維とインパナトーレ

2006年06月16日 | アパレル放談

一昨年の3月頃、私の家に、一度も面識の無い男性から突然電話がありました。

その年の2月12日の朝日新聞朝刊の経済欄に「企業を結ぶ糸紡ぐ」というタイトルで、私のインパナトーレの起業の記事が、かなり大きく掲載された頃でした。

私は、頻繁にあった電話セールスのたぐいかもしれないと警戒して電話口に出ました。

電話の声は初老の感じの男性で、朝日新聞の私の記事をご覧になって、自宅オフィスの電話番号を調べて、電話をかけてこられたようです。

 その一本の電話が、初老T氏とインパナトーレを起業したての私との、新しいチャレンジの始まりでした。

朝日新聞の記事は「イタリアのプラトーにあったインパナトーレという職種が初めて日本にも誕生し、低迷する日本の繊維業界の復活、再生に寄与するだろう」、「小松精練の中山賢一会長もインパナトーレに着目して、カ・インパナという会社を設立した」という記事も同時に掲載されていました。

電話の主は、朝日新聞のインパナトーレの記事をご覧になって、相談の電話をかけてこられたのです。 とりあえず、自宅近くの神戸住吉駅の喫茶店でお会いすることにしました。

 氏は60歳半ばを過ぎておられ、紡績機械のメーカーをかなり前に、退職されて「一人起業」を既にされていました。

 紡績機械メーカー出身という事は、繊維業界の川上の源流に近い所を歩いて来られた方ということになります。

お会いした当時は、機械の販売やそれに関連するビジネスをされていました。

紡績機械はもとより紡績に関する知識と経験は豊富です。

氏の頭の中には日本やアジア諸国の紡績機の台数が殆どインプットされているのではと思えるほどの知識です。

氏に聞けばアジアの紡績の生産の分布が判ると思われるほどです。

私のアパレル業界は、繊維業界では下流の川下に位置していましたから、氏とは、川上と川下で、殆ど接点が無く、面識はありません。

 氏の話によりますと「酸化チタンをポリエステルのマスターチップの練り込みに成功したので、光触媒の練りこみのワタと糸のマーケティングをして欲しい」との依頼でした。

5年ほど前に「光り触媒の練りこみ」の技術は完成したのですが、紡績や原糸メーカー、機屋、産元問屋に紹介しても、取り上げられなくて行き詰まっておられる様子でした。

フィラメントの「光り触媒の練り込み」は、既に数社開発に成功して販売していますが、スパンは初めての技術開発とのことでした。

 当時、私は光触媒のことについて時々耳にしていましたが、殆ど知識は無い状態でした。

 お会いした時に、氏が光触媒の機能性や製法の話や、化学式、複雑な生産工程、機械の話を熱心にされましたが、私の知識では殆ど理解できませんでした。

氏の熱心なお話しを聞いているうちに「フィラメントに比べ、スパンの方が製品の汎用性が大きい?!」「光触媒繊維が産業資材や実用衣料に新たなマーケットの可能性がある?!」「川上・川中・川下のチャネルの変化にチャレンジできる?!」といった興味が、またまた沸いてきました。

同居している介護の母親の臭気に悩まされていたこともあり「光触媒の消臭効果が我が家の悩みを解決してくれる?!」といった思いもありました。

ブランキ・ヌーヌやユニバーサルファションの着手の時と同様に、「私の周囲の環境がマーケティングそのものだという私の考え」が、またまた光触媒練り込み繊維のマーケティングをすることになりました。

 川上を歩いて来られたT氏と川下を泳いできた私とが、それぞれの異なったジャンルの知識と経験を結べば、朝日新聞の記事通りに「企業を結ぶ、糸紡ぐ」ことが出来ると思い、これこそが目指しているインパナトーレだと直感しました。

T氏と共にインパナトーレを始めることになりました。 以下次回・・・・。

補:最近話題のダ・ヴィンチ・コードを読み始めました。

多分最後まで読まないかも知れないと思ったので、単行本はやめて文庫本を上巻だけ購入しました。

外国の小説は難しい名前や地名などが頻繁に出てきて、覚えるのに困ります。

未だ上巻の途中ですが、ニューヨークやパリ市内、イタリアの地名や建物、寺院などが頻繁出でてきて、私の昔の海外時代のことが懐かしく思い出せて、面白く読んでいます。

完読出来そうです 。

その影響か、このブログが作者の書き方を真似たようになってしまいました。

 


インパナトーレが3年になりました! 五色ダルマの緑色(グリーン)ダルマを紹介します

2006年06月15日 | 今様隠居道




5番目の色は緑色です。

守護色の中で緑は人間関係の色です。

緑の色を持っている人は、「人当りは抜群で、バランス感覚に優れた平和主義者」とのことです。
調整能力に優れた人といえます。

この緑色の本質は、私の本質で一番欠けているところと思っています。

私の黄色(金)は、独善的な面があり、この緑の本質の部分が一番欠けていると自覚しています。

苦手な部分を補うために、お酒の力を借りて、コミニケーションを取っています。
あまり酒量は多くありませんが、飲み会は嫌いなほうではありません。

「已む無くノミニケーション」が多くなって、緑ダルマのような場面が多くなってしまいます。

さすが、最近は少し控えていますが、お誘いがあれば、「仕事なので?」断われません。

もし、お誘いあれば喜んで参上します。(お誘いください!)

今日の緑ダルマの紹介でインパナトーレのキャラクターの5色ダルマの紹介は最終です。

守護色についてもう少し詳しく紹介したいのですが、特別に勉強したわけではありません。

昔に神戸のベェイシェラトンホテルが主催した「いい男セミナー」という食事会とセミナーとドッキングしたイベントで習ったことの受け売りです。

セミナー講師の中島典子先生((有)エレガンス典子」から習いました。

社名通りののエレガントな女性(年齢不詳)でした。

「いい男セミナー」のタイトル通り、今流行の「ちょい不良おやじ」とは正反対の「いいオヤジ」になる為のセミナーでした。

異性にも同姓にも気配りのできる、エレガントな男性になるべきだと教えていました。

60歳を前にして、生き方に対して少し迷っていた時でしたので、強く印象に残ったセミナーでした。
中島典子先生とはその後お会いしていませんが魅力的な女性でした。

その後、世間では「ちょい不良おやじ」なるものが、騒がれていますが、私には「ちょい不良おやじ」になることが出来ないし、なろうとも思いません。

「ちょい不良おやじ」は、「いいおやじ」になった者がなれると思っているので、まず「いいおやじ」なれるようにと思っています。

「ちょい不良おやじファッション」についても、「5式ダルマ」のモデルが私です。
五色ダルマでお分かりのように、体系的にも到底ちょい不良ファションは無理と思っていますが・・・・。

5色ダルマに少しだけ、エレガントさを加えて「いいダルマ」になって、インパナトーレして行きたいと思います。

何かお役に立つことがあれば、ご連絡ください。
(知り合いの方との飲み会=ノミニケーションは特に歓迎)









インパナトーレが3年になりました! 5色ダルマの紺色(ネィビーブルー)ダルマを紹介します

2006年06月14日 | アパレル放談




紺色は知識、計算力の守護色です。 知識を積み上げ学究のタイプです。
インパナトーレは「使い走り屋・便利屋」と訳していますが、インパナトーレする時には、データーベースや調査研究の裏づけが重要です。
過去の経験も重要ですが、新しい情報のインプットが重要です。

経験や勘、ネットワークに頼るのではなく、インパナトーレも学習します。

「紺色ダルマ」はインパナトーレが学習し、沈思黙考しているときの姿を紺色ダルマに表しています。

ご相談いただいた案件に対して、最適なビジネスモデルとプランを提案し、そのサポートを行ないます。
その提案のサポートに対しては、周到な準備と実現可能な計画が重要です。

インパナトーレが一番注意しているのは、「自分の過去の成功体験」の押し売りです。

紺色の守護色もインパナトーレの重要なサイドカラーとして、大切にしたいと思います。



インパナトーレが3年になりました! 五色ダルマの黄(イエロー)ダルマを紹介します

2006年06月14日 | アパレル放談







黄色はアイデアに優れ、トップより参謀的な立場で企画や戦略的な仕事が適しているそうです。

私の守護色(ラッキーカラー)黄色です。
普通の人は2から3色のカラーを持っているのですが私は黄色の1色だけです。
黄色というより金色だそうです。

すこし頑固なところがあり、「これと思い込んだら、周囲を気にせずに、暴走するが、それが裏目に出ても、最終的に前向きで楽観的で落ち込み知らず」の本質があるそうです。(自分自身、自覚しています)

他の緑や赤、紺、橙色をサイドカラーにしてインパナトーレしていきます。

インパナトーレが3年になりました! 五色ダルマの橙(オレンジ)ダルマを紹介します

2006年06月13日 | アパレル放談




人には持って生まれた守護色(人の本質の色=ラッキーカラー)というのが有るようです。
先にも触れましたが私のラッキーカラーは黄色です。
癒し系の色で、企画力やアイデアに優れている本質を持っているようです。
本質は性質と異なります。性質はその人の経験や環境によって変化するものですが、本質は変わることがありません。

多くの場合本人は認識していません。
潜在的に存在しているものです。

インパナトーレとしては黄色のアイデアとか企画力といった本質に、其の他の色の持っている本質をプラスしてバランスを持って取り組んで行きたいと思います。

今日は橙達磨を紹介します。
橙色は行動的な色です。
インパナトーレの中で業務委託的な仕事があります。
机上論ではなく行動が伴わなくてはなりません。

経験を生かして額に汗して行動するインパナトーレでありたいと思っています。


インパナトーレが3年になりました! 五色ダルマを㈱インパナトーレのキャラクターにします

2006年06月12日 | アパレル放談

3年前に定年前の突然の退職で、思い切った、「一人起業」でした。 石の上にも3年の諺を信じて日本版インパナトーレをやってきました。

達磨大師は挫折を機に9年間壁に向かって悟りを開き、その後、その悟りを広めました。有名な「9年面壁」です。 達磨大師のように「9年面壁」は到底出来ません。

「石の上(泥の上)にも3年」で勘弁してもらって、達磨さんに眼を入れました。

ついでに足と手を付けてみました。今年の正月の年賀状に、このことを添え書きしました。

一般的に達磨さんは、赤ダルマか白ダルマですが、赤以外に黄色と、橙、緑、青の5色のダルマをイラスト化してインパナトーレのキャラクターにしてみようと思います。

人間には守護色(ラッキーカラー)という色を持っているそうです。

人間の本質を色で表現しています。

赤は情熱=情熱を表す色黄色は癒しの色=アイデア豊富、企画力、発想力橙は行動=行動的を表す。緑は人間関係=人間関係を重視、人とのつながり紺は知識、計算力=知識を積み上げ学究 ちなみに私の守護色は黄色です。普通は2から3色持っているそうですが、私は黄色のみです。 本質の色ですから性質と違ってその人の本質を表すそうです。

私の黄色は発想力、アイデア力があるそうで企画や戦略等の仕事があっているそうです。インパナトーレを始めるときにもこんなことも影響していたのかもしれません。

私には黄色一色しか無いのでバランスにかけているのかも知れません。赤や緑、紺、橙の色を足して5色達磨を心がけたいと思います。

情熱(赤)を持って、知識(紺)を積み上げ、豊富なアイデアと企画(黄)をもって、人とのつながり(緑)を重視して、行動(橙)するインパナトーレで有り続けたいと思います。

追記達磨の原画は女房に依頼しました。(経費節減のため)作者(女房)は、私の日頃の表情と動きをイメージしたようです。色の中でグリーンの達磨(コミニケーション=ノミニケーション)のスケッチのときが一番力が入っていました。


㈱インパナトーレ窪添 設立(起業)3年になりました!創業3周年のお礼!

2006年06月12日 | アパレル放談
私がアパレル退職後に、一人で起業した会社の㈱インパナトーレ窪添が3年になりました。
「石の上にも3年」といいますが、アッという間に過ぎました。

私の場合は、石の上というより、泥の上にも3年といった方がいいかも知れません。

石の上に座るのは、少し硬く我慢が要りますが、諺通りに辛抱すれば、冷たい石も暖かくなりますが、インパナトーレという、仮説の新しい職種を創ろうとしているわけですから、石のような基盤のある職種ではありません。
例えていえば、石ではなく、基盤の無い泥の塊の上に座っているようなものです。
じっと辛抱だけでは沈んでしまいます。
沈んでしまわないように、いつも動きながら地盤を造っていかなければなりません。
泥まみれになってこそ「使い走り屋・便利屋のインパナトーレ」だと思っています。

私の好奇心や反骨心(本人は義侠心と思っています)が、それを苦労と感じさせ無い、楽しく充実した3年でした。

設立のときの挨拶状で宣言しましたように「生涯現役を志し、元気の続く限り社会参加と社会貢献を大切にしていきたいと考えています」の言葉を、あらためて誓っています。

3年間で多くの新しい人との出会いがありました。
今まで経験しなかった分野の経験もさせていただきました。
感謝しています。

石のような磐石な基盤が出来たかは別として、日本版インパナトーレに対する足掛かりのようなものは出来たのではないかと思っています。

一般的な会社の創業の周年記念には「感謝セール」のようなイベントが企画されます。
インパナトーレはそれが出来ません。
「在庫なし、従業員なし、借金なし」を会社の一人企業です。
周年記念の特別な商品はありません。
お世話になった方に、喜んでいただけるような良い「成果」を出すことです。
身の引き締まる思いです。

「本当の成果」を出すためには、私が提案したビジネスモデルを実行するサポートが重要と考えています。

単なるコンサルタントやプランニングの仕事ではないと考えています。

ビジネスモデルを提案させていただいた会社の、社長や若い現場の方と一緒にビジネスプランの遂行のサポートを重視しています。

今日は関係している縫製工場の社長と一緒に和歌山に行きます。

社長の熱意に、ほだされて同行営業を買って出ました。
久し振りのセールスですが、若い時のことを思い出して楽しんできます。

3年を振り返る(成果を披露)意味で、6月に入ってから、㈱インパナトーレが関与したビジネスモデルの事例をこのBlogで紹介しています。







久し振りにゴルフをして、昔のアパレルのことを思い出しました

2006年06月10日 | アパレル放談
休みを利用して、久し振りにゴルフをしました。

私がアパレル企業に入社した時の直属の上司の方とその友人とのプライベートなゴルフでした。

スコアーは兎も角、天気も良く快適なゴルフでした。

私は若い時に仕事が忙しく、その上仕入れに関する仕事をしていたこともあり、現場の業務を離れてからゴルフを始めたほうが良いと、私なりの考えで、ゴルフは封印していました。

役員に昇格した時に社長の勧めもあり、ゴルフを解禁しました。
ゴルフを始めたのは、40歳からでした。

仕事上の付き合いのゴルフは余り好きではありませんが、こういったプライベートなゴルフは楽しいものだと再認識しました。

同伴した元上司は、今は完全リタイアされておられます。
アパレルの勃興と最盛期に活躍された方です。

ラウンド中に、昔懐かしい話に花が咲きました。

当然アパレルの良き時代の話になりました。

昭和50年代から60年代前半がアパレルの絶頂期だったと思います。

当時は新設(新興)ゴルフ場の新規会員権を、法人、個人を問わずアパレル企業の各社が、競って買いあさっていました。

その頃のゴルフ場はアパレル企業の経営者や幹部で賑わっていました。

百貨店やアパレル、テキスタイル問屋主催の「○○会」というのが、
頻繁に開催されて、春や秋のシーズンには社長や幹部はマンデープロ並みのスケジュールをこなしていました。

シングルプレーヤーも多く、たびたびホールインワンの記念品を頂きました。
ホールインワン記念のテレフォンカードは使い切れずに今も残っています。

ラスベガスだ?ネズミだ?サオイチだ?などの「握り」計算を素早く計算されるのを見て感心した記憶があります。

当時、厳しい業績に悩む他産業からは羨望と妬みの的でした。

ニューエコノミー対オールドエコノミーや勝ち組対負け組み論がありますが、当時はアパレルは繊維のオールドエコノミーに中ではニューエコノミーだったのかも知れません。

当時のアパレル業界は、現在のIT産業や新金融界などの勝ち組の六本木ヒルズ族と似通っているような気がします。

時代による産業の盛衰を現していると思います。

最近アパレルの社長とお話ししますと、ゴルフ場会員権の損失額の話を笑いながら話される方が多い。

先日食事したメーカー、縫製工場の社長も損失額の積算を酒の酔いにまぎれて嘆いておられました。

このように笑いながら損失額を話される会社は、
既にそれを償却している会社が多く、余裕から出た話です。

ゴルフ会員権だけが原因では有りませんが、多くの会社がこの業界から姿を消している場合が多いのではないかとフッと思いました。

そんなことを考えていたら、OBをしてしまいましたが、久し振りに楽しい時を過ごすことが出来ました。