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’08年度アパレル売上高ランキング 繊研新聞

2009年07月30日 | アパレル放談
恒例の繊研新聞の売上高ランキングの婦人アパレル部門のデーターが掲載されていました。
先日の百貨店部門に続き第二弾です。
今後専門店、通信販売、生地問屋(テキスタイルコンバーター)部門と掲載されていくと思います。
興味深いデーターで、貴重な資料と思っています。
先の投稿にも書きましたが、繊維・アパレル・小売・流通の総合的なデーターで、業界がどのように盛衰し、どのように移行し、新しいチャネルが誕生ししているかの全体像が掴めて、今後の方向性を考える上で貴重な資料となります。
研究レポートで百貨店同様に1990年を基点として2006年のデーターを分析しました。
1990年は、全てのアパレルが「製造卸型」で、SPA(企画・製造小売型)がアパレルや専門店業界に取り入れられた年度と位置づけました。
1990年以降アパレル業界に大きな変化が起こりました。
A)ワールド、イトキン、サンエー、ファイブフォックス、JAVA、フランドルなどが脱卸を行いSPA型に移行しました。
B)一方、レナウン、三陽商会、東京スタイル、レナウンルック、ナイガイ、樫山などの百貨店老舗アパレルは樫山を除き百貨店中心のアパレルの座標を守りました。
C)かたくなに旧態の製造卸型に固執した、キング、キャングループ、ピアジェ(ライカ)、ラピーヌ、赤川英、コロネット紹介
D)クロスプラス、サンラリー、ジュニア、シンガポール、小泉アパレル等の量販店アパレル
A)~D)の1990年の経年比較により、それぞれのビジネスモデルがどのように盛衰、移行して言ったかを考察しました。
その変化を分析し、百貨店や専門店、通信販売、生地問屋などの経年比較を行なうことで、小売、流通の変化や生産の変化、空洞化などの効果と問題点が浮かび上がってくると考えています。
今後の専門店や生地問屋(テキスタイルコンバーター)、通信販売店などのランキングが発表を楽しみにしています。
1990年以前の川上→川中→川下の垂直的な河流型の繊維・アパレル・小売の業界構造が、SPAを中心とした水平的な流れに変化し、海外メガブランドやユニクロを始めとするしまむら、大手アパレルなどの海外グローバル化や、中小アパレル・小売(むしろ零細アパレル)によるBtoBやBtoCによるニュービジネスへの期待や“マンガ”に代表されるローカルローカル文化がアジアを中心としたリージョナル文化の勃興などが予測されます。
これらの潜在的なマーケットが生まれていることが予測されます。
これからの課題は、これらの潜在的な市場(消費者が真に受け入れらている)のマーケットにスポットを当て、醸成していくことも重要と思います。
私は、先の研究レポートで、繊維・アパレル・流通小売業界は川上→川中→川下の「河流型」から、生産から流通・小売・情報がグローバルにリージョナルにローカルに注ぎ合い、交流していく時代になっていると考えてて、「河流型」ではなく、「大洋型」と提唱しました。

そんな観点から、今日の繊研新聞のデーターを私のパソコンに入力して、分析してみたいと思います。

’08年度百貨店店舗別売上高  繊研新聞今日(7・27)のページ

2009年07月28日 | アパレル放談
’08年度の百貨店の店舗別売り上げが繊研新聞に掲載されました。
毎年、百貨店だけでなく、専門店、量販店、通信販売も小売りやアパレル、生地問屋などの業績データーのランキングを婦人と紳士に分けて上位100社の業績ランキングを集計し市場で発表しています。
私の記憶では、1980年末頃から継続しています。
別冊でDATA BOOKとして発刊し、読者に配布しています。
日本の繊維、アパレル、小売りの業績の直近の実態と経年の推移を知る上で貴重な資料と思います。
 今年の3月に、ある大学の准教授と共同研究の機会があり、この繊研新聞のDATA BOOKのデーターを参考に研究レポートを作成しました。
テーマは、“ファッションビジネスにおける業態構造の移行―その成果と問題点の考察―”です。
仰々しいテーマですが、「バブル崩壊後の繊維・アパレル・流通がどのように業態変化し、移行してきたか」を、DATA BOOKの売り上げランキングを業態別に仕分けし、各業態の盛衰を検証し、今後の業態の移行と新業態を考察のレポートを作成しました。
具体的には、バブル崩壊の1990年の各業態ごとの売上数字と2006年(直近年)の数字を経年比較し、その盛衰の要因や業界に与えた影響を検証しました。
結果的には、「私の経験的な仮説」と殆んど近い内容でしたが、実績数字に基づいて実証できたのではないかと、自己満足しています。
今日の繊研新聞の百貨店の売上ランキングのデーターを企業別の業績を評価するためのデータとしてではなく、経年比較や歴年比較することにより、より百貨店の実態が分析でき、今後の対策(新ビジネスモデル?)にも貴重な資料となると考えられます。
先のレポートの百貨店の検証結果は下記です。
1)1990年度百貨店50社売上合計= 1,336,100(百万円)
  2006年度     〃     = 1,123,787 
  経年比              = 84%
2)1990年ど上位20社の売上合計 =   837,900
  2006年度     〃     =   687,111
                     82%
3)1990年度上位 6社の売上合計 =   366,400
  2006年度     〃     =   296,398
  経年比              = 81%  
4)2008年度(今日の繊研新聞)データーによると、全ての項目で70%台に落ち込んでいる       
                          
以上の売上数字を分析の結果から下記の実態が導き出せる
a.上位50店舗の売上合計は国内の百貨店売上の100%に近い数字と看做すことが出来る
b. 上位50店舗、上位20店舗、上位6店舗それぞれが80%前半で、20%に近い売り上げ減少である
c. 1990年度以降に百貨店は非採算フロアー(家具、書籍、呉服・・・)の縮小を計り、高粗利の見込める婦人服売場の増床が行なわれた。(基礎データーは無いが、30%以上の増床と推察される
増床による売り場面積の増加は、坪効率低下を生み、期存分の売上減と、増床による坪効率低下が相乗され、大幅な坪効率の低下となった。(推測値60%台)
d.坪効率低下による在庫回転率低下は、商品ロスとなり売上利益率の低下を生む
e.その他アウトレットモール(5000億) 近郊メガSCや都心のファッションビルなど新興の売場施設やWeb、Mobileなどの新チャネルの増加(規制緩和と新テクノロジー)
f.セレクトショップ、ファッション系セレクトショップとの競合
g.ラグジュアリーブランドの導入により、メガブランドの納入条件の補填のためのアパレルブランドへの掛率低下
h.1990年以降に売上低迷対策として、営業日の増加(店休)や営業時間の延長が行なわれ、販売スタッフのシフト配置が必要となり、人件費のアップ(推測値1.5)が負担となった

結果として、
a .原価率の引き下げによる名目粗利率の確保
b.アウトレットモールやメガSC、都心メガモール、WEBなどへの百貨店アパレルへの離脱
c.アパレルのSPA化による企画生産力の低下
などの百貨店顧客無視の政策が顧客の百貨店不信を生む結果となり、今日に至った。
このように考えると、「百貨店の売上不振は経済危機による物だけでなく、“積年の百貨店の矛盾”が重大な要因」と考えるほうが適切であろう。
過日繊研新聞に投稿した伊勢丹の新ビジネスモデルに関する辛らつな?私見は、この研究レポートを論拠にしたものです。

最近、百貨店の低価戦略の報道が業界紙だけでなく一般紙やテレビ報道にも出ています。
昨今の百貨店の売上不振に対する対応に、アパレル業界に携わった者の一人として、危惧しています。
根本的な対応が望まれます。


研究レポートは、「国立情報学研究所」という機関のHPでダウロード出来るようになるとのことです。(時期は未定)
後日、登録が完了後に、私のHPでも公開したいと考えています。  



テレビドラマ「官僚たちの夏」と繊維・アパレル産業 続Ⅲ

2009年07月27日 | アパレル放談
私のBlogは、「専門的過ぎて難しい」と、この業界以外の知人からご指摘を受けることが多い。 さすがに面と向かっては「私の文章の稚拙さ」に対する指摘は無いが、多分遠慮されてのことと思っています。 文章の稚拙さに大しては、ご辛抱願いたい。
 私ごときの日常の出来事を知名人のBlogのように、自分の身の回りの出来事を日記風にBlog投稿してもなんら意味も無いと自覚しています。
 自分がお世話になったアパレル業界の今後に「何か残して生きたい!」との想いで、レポート、コラム風にBlogをしています。 それが時々高じて辛らつな表現になり、反省しています。 これも業界を想う(憂う)気持ちの現われと、ご容赦願いたい。
 昨日の日曜日の当Blogのアクセス解析(閲覧数、訪問者数、キーワードなどのデーター解析)を調べてみると、何時もと違った内容の解析結果でした。 アクセス解析は、このBlogがどのようにして読まれているか、読んでいる方がどのような内容に興味をお持ちか、どのようなSEOが効果的かなどを知る上にも効果的です。
 特にキーワード(どのキーワード検索で私のBlogに訪問してきたか)の解析に特徴が見られました。 その特徴とは、「貿易摩擦」、「日米繊維交渉」、「自主規制」などのキーワード検索からの訪問が多かったことです。
 日曜日に放映されているTBS系ドラマの「官僚たちの夏」の影響ではないかと想像されます。
 今週の日曜日は、戦後の「日米安保条約」改訂の過程でスケープゴート?となった「日本の繊維産業の構造変化」の歴史の幕開けとなった内幕が描かれています。
私は、城山三郎の原作(通産官僚たちの夏」を読み、その後、仕事に大いに役立った思い出があります。
 1960年頃から1970年頃の時代で、私が1968年イトキン入社で特に印象深く記憶に残っています。 その頃は、アパレルという言葉も無く、既製服業界は繊維のカテゴリーでした。 定かではありませんが、株式も「商業」では無く「繊維」欄であったと記憶しています。
 日米繊維交渉の過程で、天然繊維の紡績に代わる合成・化学繊維メーカーの強化策や内需振興のための政府の補助・振興策が多く生まれました。
 その頃生まれた「主婦の店=後のダイエー」に代表されるスーパーは、繊維不況の真っ只中にあった、メリヤス業者やブラウス、セーター、ボトムなどの企業倒産を背景にしたバッタ屋的な商品調達から生まれました。
 そのスーパーが政府の振興策により、大発展を遂げた「東洋レイヨン、帝国人絹・倉敷ビニロン」などの合成繊維の販売促進策を利用(共同?)し、スーパーがGMSとして1970年代から’80年代に大発展して行くことになりました。
このようにして、テレビドラマの「官僚たちの夏」を、観てみると特別に面白く感じます。
 政治の世界でも、戦後政治の総括を問う選挙があります。
官僚政治の是非も争点となっています。
タイミング良く、戦後の「官僚政治の表と裏」や功罪」や「官僚政治の功罪」を知ることができます。
近く発表される各政党の「マニュフェスト」も歴史の視点も交えて見てみること大切と感じます。

「テレビドラマ「官僚たちの夏」と繊維・アパレル産業

2009年07月21日 | アパレル放談
先週日曜日放映のTBS系テレビドラマ城山三郎の原作の「官僚たちの夏」は、丁度、戦後の日本経済の最初の日米貿易摩擦に関係する内容で、繊維・アパレル業界に従事した私にとって興味深いものでした。
1960年代の出来事で、まだ私は高校生のころで、直接的な記憶は無く、大学に入学しだ後に、同年の日米安全保障条約との関係で、大学時代の授業で勉強した記憶があります。
綿製品の輸出自主規制から始まり、その後、「毛製品、化学製品の自主規制」と繊維・アパレルは対米の貿易摩擦の象徴となり、その後日本の産業構造の変化と共に、鉄鋼、テレビ、工作機械、自動車と「日米の貿易摩擦」から「日米経済摩擦」と変化していったのは、記憶に新しいことでしょう。
「1989年の日米構造協議」から「1993年の日米包括経済協議」と進み、「市場開放」が、今日のSC時代とラグジュアリーブランドやファストファッションブランドの日本進出を加速させました。
もう一つ、日本の生産の空洞化の一因になったのではないかと思われる、「関税暫定措置法第8条」も1960年に同時に発布されました。
この法律は「一定の条件下での加工再輸入製品の関税低減」を認める法律です。
私の記憶では、暫定8条の繊維・アパレルの適用が「1993年の日米包括経済協議」の一環として、その時期に組み込まれたと考えられます。
「斬8」によって、日本素材による中国生産が加速され、それまで低価格の商品が中心であった中国製品が「百貨店・専門店ブランド」にも普及しました。
それは百貨店のSPA化や商社によるOEM化を加速しました。
また、国内縫製工場やニッターの中国移転が進みました。
幾つかの国内の縫製工場やニッターが、中国での日系工場として成功を収めました。
一方で、この「暫8」は、結果として、今日の百貨店の危機や生産の空洞化による国内優秀向上の崩壊の危機などの問題を生む結果となったと考えられます。
私は、前々からブランディングやMD、マーケティング戦略などには、直近のファッショントレンド情報だけで無く、むしろ社会構造や産業(流通)構造、政治、経済、社会などの考察も重要と考えてきました。
業界紙などを見ても、ファッショントレンド情報や業界・企業情報などの記事が中心です。
このBlogを投稿するに当たって、繊維・アパレルの歴史の参考にするために、繊研新聞が発行している「Fashion Business Guide2006」=日本のファッション産業全般のガイドブック・参考書」を参考のために見てみました。
そのガイドブックに、繊維アパレル年表が掲載されています。
その年表の“政治・経済・社会の重大事項”の欄に、「日米繊維交渉の歴史」や「プラザ合意」、「大店法」などの重要項目が見当たりません。
今後日本の繊維・アパレル産業がグローバル化や流通、産業構造の変化への対応策が求められる中で、このような歴史感に基づいた思考も軽視できないと考えます。
ライフワークとして、「アパレル史」をまとめてみたい衝動に駆られます。



テレビドラマ「官僚たちの夏」と繊維・アパレル産業

2009年07月18日 | アパレル放談
城山三郎の小説「通産省官僚たちの夏」の再ドラマ化され、TBS(MBS)系で
日曜日の9時から三回目の放映されます。
戦後の高度成長経済を牽引した、若手通産官僚たちのドラマです。
多くの方が御覧になっておられると思います。
最近の政治の世界では、官僚に対するに対する非難が集中していますが、「戦後の復興や高度成長の担い手」であったことも否定できません。
官僚主導の政治の善悪は別として、戦後の経済発展を知る上でも興味深いドラマです。
TBSの番宣をするわけではありませんが、番組予告によりますと、19日放映の内容は、戦後の「日米繊維貿易摩擦」に関する内容です。
戦後「1$(360円)ブラウス」でアメリカの繊維市場を席巻し、貿易摩擦を引き起こし、日本政府が「繊維産業を守るか、鉄鋼や電気、自動車などにシフトする事によって日本全体の危機を守るか」を政界と通産官僚の二派に分かれての、確執を描いています。
結局、対米自主規制を受け入れて、「鉄鋼や電気、自動車、工作機械などの近代的な産業」に大きく方向展開しました。
それ以降、1960年代のLTA(綿製品)、70年代のMFA(綿製品から、毛織、化学製品に関する取り決め)へと進み、日本の繊維産業が、輸出から内需に向かっていく歴史の始まりです。
私が1968年にイトキン㈱に入社し、アパレル(婦人既製服製造卸)の職に就いた時代です。
石川、福井などの合繊や浜松、泉州、西脇などの繊維輸出で栄えた産地が、変化していく時代を原体験しています。
繊維産業が「川上中心から川中、川下」へと変化していった時代です。
その後、日米貿易摩擦は、繊維から電気、自動車と移り変わって、「貿易摩擦から経済摩擦」となり、1980年末の「日米構造協議」1990年代の「日米包括経済協議」となり、「金融や市場の自由化」が始まり、日本の産業構造変化が始まりました。
「金融の自由化の功罪」は広く議論されていますが、「市場の規制緩和、自由化」は、大店法の改正」となり、今日のオーバーストアーの要因にもなりました。
流通市場の緩和の功罪については諸説あり、歴史家の検証を待つことにして、新しい産業が誕生する起爆剤になったことも否定できません。
百貨店の危機?もアウトレットやメガブランドなどとも大きく影響していることは否定できません。
このように見てみると、ビジネスにも、直近の最新情報も重要ですが、歴史観に基づいた判断も重要であると再認識しています。
今週の「官僚たちの夏」が期待した中身かは詳しく分かりませんが、楽しみにしています。
皆さんにも是非お勧めします。

伊勢丹、新ビジネスモデル構築 続Ⅳ

2009年07月17日 | アパレル放談
三回に渡って伊勢丹の新ビジネスモデル構築に対し異論を投稿してきました。
「原価率35%の自主商品への取り組み強化」が伊勢丹の新ビジネスモデル構築と大西社長は宣言しています。
自主企画の積極的な取組みを全面的に否定する訳ではないが、百貨店の原点に帰って、「仕入先であるメーカーと百貨店が信頼、協力の関係により、お客様の信頼を取り戻す」ことが重要と投稿してきました。
最近、百貨店の上代価格の引下げ要請が強く、これに対する嘆きや対策のための相談を、テキスタイルコンバーターやOEMメーカー、工場から受ける事が多くなりました。

今日の繊研新聞の一面に「原価率ギリギリの商品は掛け率を上げる=東京スタイル高野社長」と言うタイトルで百貨店の値入率の問題に言及した記事が出ていました。
「百貨店戦略品の一部で百貨店と条件交渉」に入っていると報じていました。
高野社長の強力(強烈!)な社内外に対するリーダーシップは定評のあるとこでしたが“面目躍如”と言った感じを持ちました。
高野社長は、「百貨店が一気に値入れ率を下げることは考えにくいが、部分的にはある」との見通しでボディキュア商品以外でも条件見直し交渉をする方針とのことです。
しかしながら、「ボディキュアの商品だけの条件見直しでは、この百貨店不況からの脱却はありえない」と私は、考えます。
百貨店が目指す取引環境は、「原価率30%~35%・値入れ率65%~68%」のガイドラインが望ましいのではないかと考えています。
このガイドラインは、“アパレル業界人”の立場ではなく、アパレルの現場から距離を置いた“消費者”としての実感から出た数字です。
私が提唱する取引環境は、最近の政治の世界と同じように感じます。
野党の“マニフェスト”と同様に、財源論(百貨店の収益性)で百貨店側からの猛反撃を受けそうです。
その猛反論に対するアパレル側の回答は、「現行の百貨店の経費構造=生産性の低さの抜本改革」となるでしょう。
今の与野党の対立の図式と酷似しています。
今の対立の勝敗を決するのは、政治の政治の世界では、「国民・有権者」であり、経済の世界では「消費者・お客様」です。
私が創業家の家訓にこだわるのは、「質素、倹約、勤勉、奉仕、お客様第一」などの精神です。

伊勢丹、新ビジネスモデル構築 続 Ⅲ 

2009年07月10日 | アパレル放談
最近、中年のビジネスマンが、高校や中学の参考書や歴史年表を買うのが目立っているとラジオ番組で放送していました。
混沌とした経済情勢下のビジネスマンが、それからの脱却を求めて歴史に興味を抱き、もう一度歴史を学ぼうとしているのではないかとラジオ番組のキャスターが解説していました。
私が百貨店の危機的状態に対して、歴史に学ぶことも必要と考えています。

大丸の「先義、後利」の家訓にある「義」は、今年の大河ドラマの上杉家の家訓で脚光を浴びていますが、社会の要求なのかも知れません。
“創業家家訓”に見られる共通の精神は、「お客様」「質素」「倹約」「勤勉」などです。
それらは、お客様への奉仕の精神と、仕入先(作り手)への姿勢の原点となっていたと思われます。
その精神が失われてきてしまったといえましょう。
もとより、お客様の価値観や購買動向の変化はあり、商品の内容や販売手法は、変化、革新していくものですが、棄ててはいけない創業の精神です。
大丸と三越に面白い歴史的事件が有ります。

江戸時代の古い事件で、今更ながらとお感じになるかもしれませんが、「大塩平八郎の乱」の時代の話です。
飢饉に耐えかねて一揆を起した歴史的事件です。
大店を襲い、焼き討ちに及んだ時に、「大丸は義商なり」として焼き討ちを免れて、三越は焼け打ちにあったと記録されています。(映画で見た「越後屋、お主も悪じゃのう!」という越後屋は三越のことと関連つけるのは行きすぎとは思いますが・・・・。)

現在の不況は、行き過ぎた経済に対する“お客様の一揆”と考えています。
騒乱を起す意味ではない“不買の一揆”です。
昨日のFRの第三四半期の業績が発表されていました。
FRは、お客様から「義商」とされて“一揆の焼き討ち”を免れているのかも知れません。

FRが何時まで「義商」で有り続けられるか?
それが長く続くことを、私は願っています。

5、6年程前には、FRに納入しているメーカー(中国を含む)から、FRに対して、良い噂話を聞かなかった記憶があります。
顧客のFR離れも見られました。
ところが、最近はお客様からも、納入メーカーからも好感度の話しばかりです。

FRの柳井創業オーナーの現場復帰もその頃だったのでは無いでしょうか?
その意味で、「創業オーナー経営に戻った」と言えるでしょう。








伊勢丹、新ビジネスモデル構築 続

2009年07月08日 | アパレル放談
百貨店の低迷が続く中で、リーディングカンパニーとも言える伊勢丹・三越が、新ビジネスモデルを構築を目指しているという記事が一昨日の繊研新聞の一面に取り上げられていました。
前回のBlogで、この新ビジネスモデルに少し違和感を覚えたと投稿しました。
その新ビジネスモデルの骨子は、商品の上代に対する原価率に対する対策です。
伊勢丹の大西社長は、「ユニクロの上代に対する原価率が45%と程度と目される中で、百貨店のそれは25%であると分析し、今後、これを35%ぐらいまで引き上げる。
そのために、「素材メーカーとの協業推進」を行い、「商品価値向上」を図りる。
同時に、「納入業者が負担している販売員の経費負担の低減のために、自主販売比率を高め販売態勢の効率化を目指した」新ビジネスモデルを構築するとのことです。
この政策が「新ビジネスモデル」と大見出しとなって、業界紙の一面を飾ることにも違和感を感じます。
百貨店の原価率は現場では、全部とは言わないまでも、実質的に25%どころか20%と言われています。
商社のOEM部分を加味すると20%を切っているのが現状ではないでしょうか?
納入業者の販売員人件費コストを、伊勢丹は10%超といっていますが、実態はそれ以上では無いでしょうか?
重要なのは、そのようになった原因と経緯を真摯に受け止めて、それに対する態勢つくりが重要と思います。
百貨店がユニクロのビジネスモデルを“模倣”すること良いとは思えません。
顧客が果たして、それを期待しているのでしょうか?
その態勢とは、「新ビジネスモデルではなく、百貨店の古典的・伝統的なビジネスモデルへの回帰」と私は考えます。
ここで言う百貨店とは呉服屋出身の老舗百貨店のことです。
江戸、明治時代から長く続いた老舗百貨店には、ストアーロイヤルティー、ブランドロイヤリティーとなり、顧客の信頼と憧れ、満足感が定着していました。
また、納入先にも畏敬の念まで持って取引をしてきたのではないでしょうか?
むしろ、「お取引をさしていただいている」といったほうが良いと思えるくらいだったと記憶しています。
それらの老舗百貨店は、元々創業家経営でした。
老舗百貨店には、それぞれ創業者の「家訓・遺訓」があり、大事に守られてきました。
(創業家家訓)
 *大丸の「先義後利」

 *伊勢丹の「お客様第一」「現金正札附掛値なし」

 *松坂屋の「物価の高下に拘わらず、善良なる物品を仕入れ誠実を旨とし利を貪
  らず顧客に接すること」

 *三越の「倹約に努めよ、主人は全業務を知ること・・・三井家家訓」
 

私のアパレル現役時代が、その経営が創業家から変化した時代でした。
  *大丸の下村家から奥田(元)社長
  *伊勢丹の小菅家から小柴(元)社長
  *松坂屋の伊藤家から鈴木(元)社長
  *高島屋の飯田家から岡本(元)社長
  *創業家社長から幹部社員(大番頭)への禅譲が競って行われました。
松坂屋の「お家騒動」や三越事件、そごう百貨店など禅譲といえない面もありましたが・・・・。
創業家のオーナー経営から近代経営へ変化した時代でした。
そのこと自体は、経済構造の変化や市場の変化、資本市場からの要求でありました。
創業家経営からの禅譲・離脱は、時代の要求でもあり、一定の成功を収めました。
一方、そのころから、創業家の家訓とは異なる経営が散見され、それが「今日の百貨店の危機的状態の要因になったのではないか?」と言うのが私の私論・暴論です。
次回へ続く。

伊勢丹、新ビジネスモデル構築に本腰

2009年07月06日 | アパレル放談

Blogのタイトルは今日の繊研新聞の一面見出しです。
 ”商品価値の向上へ”という見出しも大きく目に入ってきました。
記事の中で伊勢丹大西社長は、百貨店、の競争力の低下の要因として、ユニクロと百貨店との原価構成比率の違いを指摘していました。
「ユニクロは、上代に対する原価率を45%とし、百貨店は25%である」と指摘して、百貨店の原価率の低さを指摘しています。
また、「販売経費や在庫リスクをアパレル側にヘッジしてきたこと」が、原価率の低さの要因となっていると指摘しています。
この問題に対する今後の伊勢丹の方策として、「商品開発や販売に主体的に関与することで商品の価値と価格のバランスを改善することが“百貨店が生き残るには必要」と強調しています。
「素材メーカーとの協業推進と販売効率化」を伊勢丹の新ビジネスモデル構築と強調していました。
私は、“業界矛盾=百貨店の矛盾”として、百貨店の構造的なこの問題をBlogで警鐘してきました。
当時、多くの知人から「過激過ぎる、暴露的である」忠告されたことがありました。
ようやく、代表的な百貨店のトップから「業界矛盾」に対し言及したことは、時代の流れを感じます。
ただし、伊勢丹が目指す「新ビジネスモデル」を全面的に否定するものではありませんが、今回の伊勢丹の新ビジネスモデルに、私は少し違和感を感じます。
伊勢丹、三越、大丸、松坂屋、高島屋などの呉服系の老舗百貨店」の経営方針として、正しいことだとは思えません。
百貨店の存在価値・意義は時代が変われど、伝統的な老舗としての信頼、憧れという一面が重要と考えられないでしょうか。
今回の伊勢丹の「新ビジネスモデルは、単なる手段であり、顧客が老舗百貨店に求めていることといえないのではないでしょうか?
「百貨店の古典的・伝統的ビジネスモデル」に立ち返ることも重要と思えてなりません。
これについての私の「自論(暴論)を次回に投稿したいと思います。

ご案内!
業界矛盾に投稿記事にご興味のある方は、カテゴリーランから『アパレル業界の矛盾』をお開きください。百貨店の矛盾や量販店,専門店、SPA、アパレルの構造的な問題点の発生要因についてBlog投稿しています。
お読みで無い方は是非御覧ください。