宵待草 (詞:竹久夢二・曲:多忠亮)
1・まてどくらせどこぬひとを
宵待草のやるせなさ
こよいは月もでぬそうな
宵待ち草(よいまちぐさ)が、日暮れを待ちかねたように月を映して咲きはじめ、一夜限り
にはかなく散ってゆきます。
子供の頃から「月見草」と呼んでいますが、正しくは「オオマチヨイグサ」といい、竹久夢二
によって創られた『宵待草』は、「待ち」「宵」にかけてそうしたのでしょう。
さすがに大正浪漫を代表する詩人(画家)の付けた、歌のタイトルらしいではありませんか。
恋多き夢二だったようですが、実ることのなかったひと夏の恋を詞に謳い上げたものです。
~ひと夏の恋~
明治43年夏、夢二はよりを戻した元妻たまきと、息子を伴い房総方面に避暑旅行に出掛
けます。
犬吠埼の太平洋を望む海鹿島に宿をとり滞在します。
この時、たまたま姉を頼って当地に来ていた女性(長谷川賢・19才)との出会いがあり、親
しく話している内に心を惹かれた夢二は、呼び出しては束の間の逢瀬を重ねるが、結ばれ
ることもないまま、その夏も終わってそれぞれに帰郷します。
彼女を忘れることが出来ず、翌年、夢二はふたたび当地を訪れ、彼女が嫁いだことを知り
自らの失恋を悟ります。
この時、夢二はひとりこの浜で待てど暮らせど来ぬ女性を想い、悲しみにふけったと言わ
れています。
浜辺に咲く待宵草にこと寄せて、実らぬ恋の憂いがこの詞を着想させたのでしょう。
ちなみにこの詩の基となった詞は、
「遣る瀬無い釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草の心もとなき
想ふまいとは思えども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな」
この原詞には、もともと二番があったとも言われているが、冒頭の歌の爆発的な人気にあ
やかって、昭和12年映画化された際、西條八十が
宵待草(西條八十)
2・暮れて河原に 星一つ
宵待草の 花の露
更けても風は なくそうな
二番を作詞したが、その後ほとんど歌われることはなかったと云う。
数年前、当地の県立美術館で竹久夢二展があった際、美人画を観賞したがなるほど既成
の枠にとらわれることのない、あの時代を浪漫的奔放(良くも悪くも)に生きた、画家・詩人
の絵だと感じたものです。
~今日も良い一日でありますように~