画像は防災のしおりの中の一部。このしおりはが、配布されたのが、いつなのか記憶にない。手元にあるのだから、保存している人も多いのだろう。原本は手元にない。コピ-しておいたものだ。大地震のあと、隣組の人々の、安否は確認できた。電気、ガスが、通じていたので、ちょっとは安心をした。しかし、断水になって、給水の場所を知りたくて、市役所に行った。前にも記載したが、給水場所の連絡は、多分、町内会にはあったのかも、知れない。自主防災会があるので、なにか連絡があるかもと、思っていたが、連絡は、とうとう無しだった。後日に知ったが、原発事故のことで、市からの広報車が、ふれ回ったと聞いた。その頃は、街の中には人影も、車影も、ぱらぱらだった。手書きの連絡書を配布して歩き、体が不自由な人には、食事がままならなければ、避難所があるし、もし、原発のことでも、心配なので、情報は、避難所の方が、早いのかも知れないとも、伝えた。そのあと、ずうぅっと、留守だったので、避難したんだと思った。大地震のあと、数日は、給水場所は、大混雑だったが、夜になると、列に並ばなくとも、給水できた。そのころは、大部分のひとが、避難をしてしまっていたのだろう。ずいぶん前から、東京とか、中部地方に、大地震が発生するとか云われている。そのため、原発の発電停止を、政府が要請をしたと、報じている。ひとっきり、映画で、日本沈没を見た。同じ光景が、このいわき七浜でも見る。これ以上の大震災が、発生しないことを、祈っている。また、日夜、原発事故の収束に携わっている人人の無事を、祈っている。
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