八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

跌蕩放言

2024年09月23日 11時52分18秒 | Weblog

前回に続いて、またまた、いじわるばあさんの登場です。サザエさん、2021年秋、「イソノ家の食卓」に綴りこまれていた、「いじわるばあさん」傑作集のなかからです。敬老の日は過ぎて、時を失してますが、あえて載せました。画像の一コマ、二コマは、いじわるばあさんの言い放題、三コマ目は、婦人会の余興の踊りを見ながら、「てめぇが出ておどりたいのサ」と放言。三コマ目は、夜空に星がまばたき、月影を引きずって、ばあさんが肩に担いだ弁当の匂いを、犬が鼻をひくひくしながら、あとをついている。「敬老の日なんて、若いものの、自己満足だョ」と、ひと事つぶやいている。ばあさんも、一日中、楽しんだことなのだろう。これを見ながら、あはっはっはぁ、なんて、笑えず、もの哀しくなる。でも、いじわるばあさんが、本領を発揮をする表情は、笑える。表題の「跌蕩放言」ーてつとうほうげんー勝手気ままにしゃべりちらすことー、そのままだなぁです。「腹は立て損」ということもある。小生、老人会会長の了承で、仕事をしていたので、会費納入をして籍を置いていた。何かのイベントでの弁当は、家族分、三個届いていた。あの昭和の時代だったなぁと懐古した。そうそう、いじわるばあさんでも、ある日突然、唸ってひっくりかえったことがあり、お医者さんの診断は、「潜在性欲求不満ショック発作」と、読んだ。突然ですが、「秋の虫の○○が賑わしいとかけて、元気な赤ちゃんの○○ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーなきごえー鳴き声ー泣き声ーです」。いじわるばあさんをしないで、「心広体胖」ーこころひろければ、体ゆたかになるーで、過ごせればと、思ってはいる。


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