八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

船頭多くして船山に上る

2011年05月28日 13時55分31秒 | Weblog
「指揮する人が多いと、意見がまとまらず、予期した結果が得られなくなる」という意味だと、辞典にある。最近の報道で、原発の事故の発生当時に、水の注入が、続けていたとか、中断していたとかを、読む。現場で事故の対応をしているひとの目を、信じればいいのではないか。勿論、現場と本社とは、密に、連絡を取り合っているのだろうから。「言った」「言わない」、「した」「してない」と、外野席で、言い合っているように見えてしまう。原発事故の、発生当時は、こんな事態になるなんて、単細胞の小生は、思いもよらなかった。画像は、三月の15日に、いわき市民へのお知らせのもの。これを隣組の人々に配布していても、深刻には考えていなかった。14日、15日に、自主避難、自主退避と、県外の本社から、当いわきにある営業所に、指示があったと、聞かされると、のこのこと、あたりの様子を見てまわった。人影もなく、走る車もない光景をみて、不安になり、いわき市から脱出したのだった。原発の20キロ圏内からの避難してきた人と、いわき七浜に、大津波が襲い、難を逃れて、避難をしてきた人は、三月の12日には、平地区に、5500人と、数えられていた。避難所にはまたまだ避難をしている。早い収束が待たれる。

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