八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

知らぬが仏

2011年05月26日 12時28分43秒 | Weblog
ちょっと意味合いが違うが、原発の爆発があった時、炉心溶融が、起こっていると、知ったなら、誰もが、いっぺんに避難をはじめたら、にっちもさっちも、いかなかったと思う。まあ、小生が居住しているところは、原発から50キロは、離れている。「まぁ、大丈夫だっぺぇ」って、のんびりしていたものだ。連日、連夜、テレビの報道を見ていたらば、不安にかられていった。街の中には、人影もなく、車の往来もなければ、自分ひとりが、とり残されているのかと、ますます、不安がつのる。原発の詳しい状況を、分かっていたいた人は、早々に避難をしてしまっていたようだ。原発の現場は、今も必死に、沈静化に努めている。最悪の事態は、逃れられると思う。大津波の被害で、避難をしている人も、原発の事故で、避難をしている人も、不自由な生活の日々だ。大津波や地震で、街そのものが、無くなってしまったので、あきらめもつくだろうが、原発で避難をしている人は、自分の町があるのに、住めないとは、あきらめもつかないと思う。人的災害もなく、自然的な災害もない、穏やかにすごしたいと、誰でも、望んでいることだと、思う。昨日は、いつもより、余震が多かった、震度、5弱には、肝を冷やした。毎日毎日、天の怒りが治まり、豊かさからの怒りが、収まるのを願っている。懸命な作業をしているのに、不謹慎だと、承知はしている。自衛隊の、災害派遣の、車両も、少なくなっているようだ。仕事とはいえ、、感謝しなけれはならない。画像は、例によって、市からの、しおりの、一ぺ-じ。

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