八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

七十路徒然なるままに

2008年02月13日 19時50分42秒 | Weblog
今日、近親を三十万億土とゆう遠い遠いところへ旅立つのを見送った。人生のはかなさとゆうのか、むなしさとゆうのを感じる。このような時に、よく、禅語百選を見る。そこからの引用です。『貧』『病』の逆境にも、人生の意味を実感したら、心は安らかになる、とある。人生の意味、小生七十の坂を下っていても解していない。まぜっかえせば、小生修行が足りないと思う。今は夜露も、空腹もしのげる。着るものも、季節に応じたのを着れる。今より以下になつても『貧』は辛抱をしなければならない。歌の文句に「ぼろを着てても心は錦---」とゆうのがあった。『病』はどうなるのだろう。時々診察してもらうお医者様に「きおつけるんだよ」と声をかけられれば、ほんとうに「お蔭さまで、ありがとうございます」と感謝する。いずれかに、大病になった時は、自分自身の責任である。周りの人々によって、また先祖様があっての今の自分が健康であるのだから、まぁ-、自分に心せよといましめること。目の前の現象だけでなく、寝ても覚めても、四六時中、「お蔭さまで」の感謝。心安らかな、人生の意味を尋ねることを、日々胆に命じる。鶏には失礼だが、三歩歩くと忘れてしまう。ちょつと逃がさせてください。

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