画像は、震災当時に市役所からのお知らせのなかの一枚。食べ物が不足をしていた。隣組の人々は、そのまま、住んでいた。水がないだけで、普通に生活をしていた。当時配布をした中に、避難所の人数確認の表もあった。当時、20キロ圏内から、避難場所を指示されてきてみたが、満員。無理もない、いわき市の沿岸部は、津波の被害で避難をして、満員の状態だった。すぐ近くの体育館には、250人避難をしているとあった。食べ物には困っていたのだろう。当時も、いわき市は電気が使えた。給水を受けに行き、その水で、ご飯を炊き、おにぎりを作った。トイレに使う水は、ちょつと離れたところにある井戸水をくみ上げてきて使った。今後、日本全土、大震災が発生しないことを願っている。