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日本の神と仏 2

2018年08月22日 | 歴史
平安京が興した大寺は二つしかなかった。南の端の羅城門を挟んで東に東寺、西に西寺を置いた。この場合、「寺」はテラではなく役所と解する方がいい。 奈良時代の官僧たちは、仲間同士でもみあって派閥抗争していた。 僧のほとんどは民の救済など考えておらず、当時はそういう理論体系もなかった。のちの鎌倉仏教のような信仰というものは思想としてないに等しかった。 ところが、新たな首都で興った平安仏教は違っていた。貴族 . . . 本文を読む
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