日々好日・いちよう

ちょっとした日々の一コマです

貫井徳郎・ミステリー「愚行録」

2009-07-18 | 読書
今日の話題は2005年刊創元社発行
貫井徳郎作「愚行録」の文庫本2009年4月初版
貫井徳郎の本は「慟哭」「天使の屍」に続く3冊目
しばらく振りに一気読みをしてしまった。



読み始めて数回表紙の確認をする
目次なし・・よって章立てなし
いきなり「3歳女児衰弱死・・ネグレストの疑いあり」の新聞記事
つづいて
「ええ、はい。あの事件のことでしょう?」
慶応大学出の妻と早稲田大学出の夫
幸せを絵に描いたような家族の凄惨な皆殺し事件

ず~~と、殺人事件の被害者の関係者の話が続く。
近所の主婦・近所のママ友・主人の親友・大学時代の友達
(これってミステリー?)
全てが会話「話し」で構成されて説明や注釈なしで読者の想像力を掻立てる。
それぞれの会話の間に挟み込まれる
「お兄ちゃんとあたし」
これは誰だろう? 何処とからむのだろう?
不思議に思いつつ読み進めると最後の数ページで一気に収束に向かい
3歳女児のネグレストに結びつく

その間慶応義塾大学の「内部生(小学生からの在学)」と「外部生」の格差を
これでもか・これでもかと続く。

作者貫井徳郎は渋谷生まれの早稲田大学卒業後野村不動産勤務
「やっぱり!」
経験が誇張されつつ(たぶん)描いている。

読み終わると「一言では言えない複雑な思い」が残る
作者本人も「最悪に不快な読後感を残す話を構想しました」本の紹介に書いていた。
巻末の大矢博子も「これほど解説の書きにくい作品はない」と。

主人公(?)のハイソママは聡明だけれど、弱者の気持ちが計れず
寛大だけれど主観が分からず、色んな人の話はあってももう一つ人格が掴みきれない。
殺人事件の被害者ではあるけれど、回りから憧れの人ではあるけれど
理解されてはいなかったのではないだろうかか?
ま・誰しも周囲に完全に理解されている人なんていないし
自分自身でさえビックリするような面が出てくることがある。

私は人から誤解されている・・と思っていても
誤解しているのは自分自身かも知れない。

幸せに生きるには「人と比べないこと」
自分の不幸を嘆いても始まらないし、人を恨んでも良いことはない・・
と・思いつつも
生まれが良くて、育ちもいい人と縁もゆかりもない毎日ではある。

貫井徳郎ホームページ
コメント
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