「10万年後の安全」 オンカロ・放射能廃棄物は
東京都知事選の運動も最終日となった。各報道機関の予測によれば、反原発の候補の苦戦を報じている。一本化を要望する動きもあったが実現しなかった。
ここにきて残念な結果になったとしても「反原発の票」に期待することは大である。東京都民の決断を求めたい。
細川候補の決意を押したのも、小泉元首相の態度表明であり、告示前の予測を覆し街宣などの共同行動は、自民党内にそれなりの矛盾を惹起させたことは間違いない。
さて、小泉氏を決意させたフィンランドの最終処分場「オンカロ」である。フィンランド語では「隠し場所」という意味であるとか。
そのオンカロ処分場の関係者が来日し、日本記者クラブで会見をした。
「廃棄物を地層深く埋めたが、長期的安全性について、規制当局からさらなる検証が求められている。また、今後新設される原発の処分先が未定であると報告している。
その一方で、放射性廃棄物の処分場の建設は、今後検討すると述べつつも「欧州の経済事情は厳しく、過疎地にとっては、数十年の雇用先確保に連なる」と。どこの国でも、過疎地がその選択の俎上に乗る事実を物語っている。
「トイレなきマンション」からの脱出は、先進国どこでも難しいということである。
ところで、規制当局も求めている「長期的安全性の検証」である。
先進国の中で、廃棄物の管理に成功したかに見えるフィランド「オンカロ」も、その安全性は検証されなければならないとした。
いわゆる「10万年の安全」である。
このことを報告している映画に「100000年後の安全」というものがある。(DVDがある)
次に書く文章は、この映画の登場者の口を通して語られた警告である。
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ここは、言うならば埋蔵場所だ。『あるものを』から、あなたたちを守るためにその物を埋めた。絶対的な安全のために我々は大変苦労した。ここは、来てはならないところである。通称「オンカロ」。隠された場所と言う意味だ。
この世紀にはじまったプロジェクトは、私の生存中には終わらない。完了するのは私が死んだ22世紀である。オンカロの耐用年限は10万年。この10分の1である1万年を持ちこたえた建造物はない。だが、我々は、今の文明が高度であると自負している。
遠い将来、これを見つけた君は、我々の文明をどう思うだろうか。昔々、人は火の扱い方を学んだ。他の生物にはできなかったことだ。そして世界を征服した。そして、新しい火に破壊力のあることを知った。消せないほどの強力な火だ。そして、人は宇宙の力を得たと悦に入っていた。その火は、大地と生き物を殺すことができる。自分の子どもや動物、そして作物までも灰にすることができる。
人は助けを求めたが、助けはなかった。
そこで地球の内部深くに埋葬室をつくった。火は、その場所で人知れずに眠りにつく。
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私は、2013年6月22日から13回にわたり「消せない火シリーズ」のブログを書いた。あの東電福島爆発の翌日から、度々襲ってくる余震の中で、県外の仲間に送信続けてきたメールの再録である。
100000年後の安全。そのとき、そこに危険なものが埋められているという表示が通用するのだろうか。今、私たちが書いている文字や語っている言葉が果たして存在しているだろうか。
2万年前の日本の地形は、ほぼ現状の形であるものの、九州とアジア大陸との海峡は狭く、本土と北海道は一跨ぎ、そして北海道と樺太はつながっていたという歴史を知ることになる。
地形がどうなっているかさえわからない。「10万年後の安全」という表現をすること事体、ありえないことである。
今を生きる者の責任として、消せない火に「どうぞ、その場でそっとしていてください。静かにしていてください。怒らないでください。永遠の眠りの床を準備しますから」と。それしかないということであろう。
だが、その「眠りの床」を用意できる知見も保証もない。 それでも、原発を必要としますか。他国へ輸出しますか。