燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった

2019-08-26 05:29:07 | 日記

  

これからはじまる、混乱と不安

そして仲間との対立・解決の道が見えない長い道程

 

2011年3月17日

津波からやっと逃れられたのに、今度は原発が命を奪う

 

「津波から逃れられた命が、今奪われようとしている」ということです。原発から20キロmと、20~30キロmの線引きの問題です。60キロm離れた郡山市にも避難者が来ています。そして身寄りの無い方は、各集会場や学校の体育館が避難場所となっています。真冬並みの寒さです。ダンボールを敷いた床に毛布一枚。とても暖がとれる状態ではありません。むすび一つを三人で分け合うというところもあると報道されています。

どこでも「水と灯油」をと叫んでいます。

南相馬市は原発基地から20~30キロにあたります。そこが屋内退避地区です。「外に出るな、屋内にいろ」です。そこに医師をはじめ、スタッフが避難し「医療機能を失った病院」が残りました。その中で残ったのが地元採用の看護師です。

特別老人施設もそうです。地元の介護士が残りました。

換気はするなと言うことでエアコン暖房は使えません。オール電化施設ですので灯油ストーブなどは無くなっていました。またあったとしても、しばらく使っていないものが数台です。それでも集めました。今度は灯油がありません。

市長は訴えました。ようやくタンクローリーが来たのですが、原発から30キロ圏内に入ってこないのです。屋内退避地区だからです。運転手は被爆を恐れているからです。やむなく市長の努力で、運転士を確保しタンクローリーを取りに行ったというのです。

また、ようやく手配ができたバスで圏外に避難中その中で死亡。避難所にやっとついたもののまたそこで死亡というニュースが報じられています。まさに「命からがら津波から逃れたものの、その命があとで奪われている」のです。

こんな悲しい、悔しいことがあって良いのでしょうか。