「混合介護制度」が考えられている。そのことが何を意味し、どうなるかを考えたい

2016-10-10 06:00:00 | 日記

   「混合介護制度」が考えられている。そのことが何を意味し、どうなるかを考えたい


    安倍晋三首相は有識者会議が大好きだ。だから会議をやたらと乱立する。そして再び「規制改革推進会議」を立ち上げた。

    そこでの課題の一つに「混合介護」が提起されようとしている。平成13年4月に成立した小泉内閣は「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、競争的な経済システムを作ることを目指し経済、社会全般にわたる構造改革を行うとした。その時に出されたものに「混合診療」がある。それは患者の自由なそして必要度を高めるために、公的医療制度の対象外となる「先進医療も同時に受けられようにすべき」というものであった。つまり患者は望む治療が受けられ、その医療行為にあたる医療機関は収入増となる。加えて医療技術の向上がはかられるとするのが看板であった。しかし「より良い医療を受けたいという願いは、同じ思いを持つほかのひとにも、同様により良い医療が提供されるべきだ」として、「医療に貧富の差を持ち込んではならない」とする国民の強い反対があった。だが2016年に「患者が申し出ることによって先進医療を受ける」ことができるとした「患者申出療養制度」が発足されている。

    今般検討されようとしている「混合介護」が「混合診療」とどこが違うのか。「介護を受けたい人が、お金を積めばより良い介護が受けられるようになる」ということなのか。

    そこで「混合介護」なるものを想定してみたい。多分次のような内容をもつだろう。「介護保険のサービスは原則1割(70歳から74歳は一部2割へ、65歳以上の現役並み収入者は2割)の負担で利用できる。今でも保険外サービスの介護は禁止されてはいない。しかし、保険内サービスと保険外サービスは明確にわけている。つまり保険内と保険外のサービスを「同時・一体的」に提供することはできないとなっている。その結果、たとえば介護士が要介護者向けの食事をつくると同時に帰宅が遅くなる同居家族向けの食事を用意することができない。また洗濯機の中に入っていた同居人の下着を取り除くという笑えない光景も生み出す。また、利用者が特定の介護士のサービスを求めらる指名料をとることもできない。

     そこに「混合介護」に新たなサービスメニューが生まれる。例えば、要介護1のAさんは次の訪問介護サービスを週に2回受けるとする。「30分未満の身体介護、報酬単価は2.450円である。さらに続けて45分未満の生活援助、その報酬単価は1.830円である。いずれも保険内サービスの単価である。そこに介護事業所は同時・一体化として保険外サービスを提供する。例えば、『同居家族の食事の用意や洗濯・衣類や家財の収納・ペットの世話などなど』をメニューに加えて合計の5.280円を計上する。Aさんの自己負担は2割である。よって保険内サービスの自己負担は856円になる。それに保険外サービス1.000円を加えて1.856円を介護事業者は請求する。Aさんはその介護士が御気に入った。いつも来て欲しいと願う。そこで指名料500円を加算。この日のAさんの訪問介護サービス料金は合計で2.356円。要介護1のAさんの訪問介護は週2回であるから1ケ月18.848円となる。その他に週2回の5時間〜7時間の通所介護(デイーサービス)を受ける。これは保険内サービスであり自己負担は572円×8回=4.576円となる。Aさんが自宅で過ごすために受ける介護サービスの合計は、保険内・保険外を含めて月に23.424円となる」

   そこで「混合診療」の討論を重ねて「混合介護」を考えたい。

    介護事業者は工夫を重ねて新しい「同時、一体的に行うことのできる保険外サービス」を提案してくるだろう。それはあらたな付加価値を生むからである。また指名料も含めて介護士の収入を増やす事にもなる。

    もちろんそれを受けるかどうかは本人(家族)の選択であるが、そこにはサービスを「受ける、受けられない」の差が生まれる。そして「民間の介護保険」がある。保険会社が組み立てる「介護保険メニュー」がテレビのコマーシャル画面を飾るだろう。ここにも保険を「掛ける、掛けられない」の差が生まれる。そして「肥え太る保険事業」を目指して、既存の保険会社だけではなく、介護事業所も含めたあらゆる分野からの参入が進むだろう。まさに「改革なくして景気回復なし」である。もしかして介護事業者は自社の介護保険加入を条件とするかも知れない。

    「介護の充実は庶民の願い」である。それを食い物にしようとする市場主義の横行は社会福祉とは相容れない。それは本来の保険適用の介護メニューの削減や切り捨てを生み出しかねないからである。「高齢社会に生きるため・知恵と工夫、そして言葉」をブログのタイトルとする私は思考する。観念的論議をではなく、要介護者とその家族の目線に立った実質的な国民的論議を望みたいと思う。