「すめらみこと いやさか」思い出した戦時国体

2015-08-17 13:36:13 | 日記

「すめらみこと いやさか」思い出した戦時国体

 

   安倍晋三氏の意中の学者であり、NHKの経営委員でもある長谷川三千子埼玉大学名誉教授について前日に引き続き紹介のブログを書くことにした。とは言え一市民である私にとっては、その人なるものを知るのはメディアからの情報によるものとなる。また右翼団体の代表である野村秋介氏が1993年朝日新聞東京本社に乗り込み社長の前で拳銃自殺をしたこともすでに報じられており、長谷川三千子氏が日本外国特派員協会で記者会見し、野村秋介氏を礼賛する追悼文を発表したこと、追悼は「私自身の解釈を述べた」ものだと釈明している。

 ところで、長谷川氏の実像をもっと知りたいと思い前記の追悼文を出力した。さらに長谷川氏が代表を務める日本会議なるものもネットによって知った。「2014年12月23日  日本メディアによると、1997年設立の「日本会議」は日本最大の右翼組織で、「神道政治 連盟」など他の主要な右翼団体と複雑で入り組んだ関係にあり、現在の日本政治右傾化の「日本会議」は、日本最大の保守系団体」となっている。

 さて、NHK籾井会長の「オランダの飾り窓」という引用や、売春街は「どこの国にもあること」などの暴言が国会の場で追及されたが、この長谷川経営委員の発言は籾井会長の影が薄くなるようなものすごいものであることを知る。

 しかし、安倍首相はこれを黙認し、菅官房長官は擁護さえしている。かつて「神の国発言」をした政治家が追及された。もちろん長谷川氏は政治家ではない。学者としての自由な発言となる。同様に私たちはそのような発言を知ることをとやかく批判されるものではないし、そのことを周知することも当然あって良い。しかもそのような思想が今なお根深く存在していることは肝に銘じておかなければならないことを強調する事もあって良い。

 そして今年の全国戦没者追悼式における天皇の言葉とお姿を見る。また南海の孤島にまで足を運ばれて追悼されるお姿とは、余りにもかけ離れた、似つかぬ「自由な発言」と見るのは私だけであろうか。

 次に追悼文の一部を貼りつける。

 野村秋介追悼文

 「…前略…野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。

 「すめらみこと いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうとふたたび現御神となられたのである」。野村秋介氏の死を追悼することの意味はそこにある。と私は思ふ。そして、それ以外のところにはない、と思つてゐる)(仮名遣いは原文のまま)  「朝日新聞デジタル2014年2月5日」